知ってしまいました
*前回の温室会議の続き
「アイザックに任せるのは少し不安ですね」
「ミア、お前はいつも~!」
そうしてじゃれ合う二人を前に、安心したからだろう。小腹が減ってきてサンドイッチを食べようとルティエルは手を伸ばした。
『笑っているではないか⁉なぜだ、何の話をしてルティエルは笑っているのだ⁉』
急に脳裏に響いた声に、ルティエルの肩が跳ねた。
あたりを見回しても、大きな木々の後ろにでも隠れているのだろうか。ハロルドの姿は全く見えない。
「ルティエル様、どうしました?」
「その、ハロルド様が近くにいるようで、声が聞こえて来て」
聞かれてはまずいと、アイザックに耳打ちした。
それが、よくなかったのだろう。
「アイザック……」
地獄からの使者でも来たのかと思うほどの声色で、ルティエルの後ろの茂みから出て来たハロルドに驚いた小鳥もウサギもどこかに逃げて行ってしまった。
ルティエルの見上げた先のハロルドは、目の下に黒い影が見える気がした。
「アイザック、私はお前に、そこまでルティエルに近づくことを許した覚えはないぞ」
「はっ、申し訳ございません」
アイザックは勢いよく腰を九十度に折った。テーブルに頭を打たないかとルティエルが心配するほどに。
「アイザック、頭打ってない?大丈夫?」
「はい、大丈夫です!」
そのルティエルの様子に、反応しないわけがない。
『アイザックの心配までするなんて、ルティエルはなんと優しいんだ!はっ、このままではもしや私が悪者なのではないか⁉アイザック、許すまじ……』
その声にルティエルがハロルドを見ると、さっきよりも眉も目尻も厳しさを増していたが、当のアイザックは腰を曲げたままだ。
どうしたものかと焦っていると、コホン、と咳払いをしたミアにルティエルが目を向けると、ウィンクをされた。なにかアクションせよと言うことだろう。
腰を折ったままのアイザック、アイザックをにらみつづけるハロルド。なにか話しかけるとすれば──
「あ、あの、ハロルド様」
どうしたらいいかわからず取り乱しているルティエルが声をかけると、ハロルドから鋭い視線を向けられた。正直、それだけで怯みそうになる。もう逃げたい。
けれど、声がした。
『ルティエルが私に話しかけてくれた!うれしい♡』
まさかそんなことを考えているとは思えない、射殺されるほどの威圧がある。
いつもなら押し黙るルティエルだが、このにらんでいるように見えるのがミアの言うところの“照れている”なんだろう
ルティエルは、ごくりと唾を飲んでから、口を開いた。
「その、よろしければ、ハロルド様も一杯いかがでしょうか……?」
声が上ずってしまった。ティーカップを持ち上げる手が小さく震えるルティエルに
「いただこう」
ハロルドは即答だった。
「では陛下、こちらに」
「あぁ」
アイザックと息の合ったようにルティエルの向かいの席に瞬時についたハロルドは、食事の時と違ってひどく近かった。久々の距離にルティエルはより緊張感が増していく。
いったい、なにを話せばいいのかわからない。とりあえず舞い戻って来た小鳥が肩に止まったので、その頭を撫でてやった。
『うっ、愛らしすぎて直視できない』
ハロルドは胸を打たれたかのように、両手で胸を抑えた。
「あの、ハロルド様……?大丈夫でしょうか?」
「問題ない」
瞬時に腕を組んだハロルドは、明後日の方を向いた。こちらを見る気はないのだろう。と思いきや、そっぽを向くハロルドは、ルティエルをちらちらと見つつ聞いてきた。
「最近は、アフターヌーンティをしているのか?」
全く興味なく、社交辞令のように平坦な声色だ。
「そうです、ね。ごく最近、こうして過ごしています」
「そうか」
そうして紅茶を口にしたハロルドは、少しだけ微笑んで見えた。
「最近、食欲がないように見えたから、こうして少しでも食べているのであれば安心だ」
小さくだが、ほっとした笑みを浮かべたハロルドに、ルティエルは少しだけ心臓が高鳴った。
「ご心配をおかけし、申し訳ございません」
「いや、そういうわけでは……」
そうしてまた二人とも黙り込んでしまった。
いったいなにを話せばいいかと焦るルティエルであったが、それを上回る者がいた。
『せっかく久々にルティエルと話せるというのに、いったいなにを話せばいいんだ⁉このまま黙りこくっていたらきっと、気まずくなったルティエルは席を立ってしまうだろう。なにか、なにか話さねば⁉』
腕を組んだまま、真顔でルティエルの後ろの茂みから視線をそらさないハロルドがまさかこんなに焦っているとは。
自分より焦る声が聞こえてくると、なぜか落ち着いてくるものである。
「あの、ハロルド様はどうしてこちらに」
「散歩だ」
「今日のご政務は終わられたのですか?」
「息抜きだ」
一問一答。しかしそれも終わってしまった。
『私の馬鹿野郎!もっと話を広げることだってできるだろうが!いや、それもあるけれどルティエルと近すぎる!動くと足があたってしまいそうだ!緊張で身動きが取れないし、ルティエルを見ることさえできない!今日はすっごく私好みの洋装をしているというのに~!かわいいルティエルがかわいいを装っているなんて今にも倒れそうだ。はっ、そうだ!似合っていると言えばいいんだ!いや、急にそんなことを言い出しては──……』
今日のルティエルの服装は、白地に淡い緑のフレア生地が組み合わされており、また濃い緑のイヤリングを身に着けている。
(こういうのが好みなのか)
ハロルドの頭の中がとっても騒がしく忙しいなと思いつつ、大体いつもゆるやかな服を着ているので、毎日ハロルドの好みを着ているのではないだろうかと疑問になった。
「あの、ハロルド様」
「なんだ?」
ルティエルが話しかけると、ちらちらとこちらを見てくるが、決して視線が合わない。
(本当に僕のこと、意識してるんだ)
ここまで近くに座らなかったら、きっと気づかなかっただろう。
一昨日まではルティエルがハロルドと見れなかったのに、今ではハロルドがルティエルを見れなくなっている。
「よろしければ、今後はお二人でティータイムをお過ごしになられてはいかがでしょうか」
二人は間に入ったミアを向いた。
「陛下も近頃はご多忙で、お昼をともにする時間は少なくなってきております。ティータイムでしたら、ちょうど息抜きしたくなる時間でよろしいかと。こうして抜け出してこられるよりは、我々も陛下の居場所をきちんと把握できてよいですし」
図星だったのだろう。ハロルドは憮然とした。
「抜け出して、来られたのですか?」
ルティエルが非難したようにならないように、そっと尋ねると、小さくハロルドはうなずいた。
「よく抜け出されておりますよね、ルティエル様の様子を見に」
「ミア!」
ミアの声を遮るように、ハロルドが立ち上がった。
(僕を見るために抜け出している……?)
ハロルドに目をやると、顔を真っ赤にして汗を手で拭っていた。
「ミア、そこまで言うことはないだろう」
こそこそと話されていても、こんなに近くにいてはどうしても聞こえてしまう。
「陛下が奥手なのが悪いと、我々何度も申し上げております」
涼しい顔で答えるミアと、真逆のハロルド。
「だからと言って……」
どちらが主君かわからない。どうやらミアの方がハロルドより一歩上手のようだ。
「あの、ハロルド様」
「その、私はただ、最近体調が悪いと言っていたから、やはり私の力で治した方がいいのかと思って」
明らかに慌てた様子で弁明をするハロルドに、ルティエルはなんだか笑えてきてしまった。
「ありがとうございます。でも、様子を確認しに来られるのでしたら、こっそりではなく、ちゃんと僕ともお話していただけるととうれしいです」
ルティエルは心の底から微笑んでいた。
(こんな僕を、大切にしようとしてくれる)
たった数回、心の声が聞こえただけだ。でもハロルドの言葉以上に、ハロルドの想いがルティエルの中に浸透してきていた。
「……わかった。これからは、声をかけよう」
「はい」
あとは、もう少しその強面をなんとかしてもらえると助かるのだが。ぶっきらぼうにも程がある。
『今、ルティエルと心が通じ合ってないか⁉それにルティエルが笑みを向けてくれている‼今にも倒れそうだ、いや、脳裏に焼き付けておかねば‼』
眼光の鋭さは、ルティエルの肩に止まっていた小鳥が飛んで行ってしまうほどだった。
ネックレスを付けるようになってから数日。
「もう少し、僕から話すようにしてみようと思うんだ。もっとハロルド様と近づけるように。ハロルド様から声をかけられるのを待つだけじゃ、ずっと待つだけになりそうだし……」
射殺されるんじゃないかと思うほどのにらみ顔が、まさか緊張しているだなんて心の声を聞くまで思いもしなかった。
「うちの陛下が申し訳ありません」
「ううん、僕もハロルド様から近づいてくださるのを待つだけだったって気づいたから。だから、もっとお互いを分かり合えるように頑張るよ」
朝の支度中、ルティエルは髪をリボンで結うミアに宣言した。
(父からも姉からも、王城にいた使用人からも冷たくあしらわれていた僕に、ハロルドは温かく迎え入れようとしてくれる)
しかめっ面を向けられるのは怖いが向けられる気持ちを、ハロルドの心の声を思い出すだけで胸の奥から知らない気持ちが溢れてくる。
「わたしもお話しいただくのが一番だと思います。話せるようになれば、あの奥手さも少しはましになるかと」
できました、とミアに言われて立ち上がったルティエルは、食事の間に向かった。
「あと、少し聞きたいんだけど」
きょろきょろと目だけで周りを見回し、他の侍女らの姿が見えなくなってからルティエルは小声でミアに尋ねた。
「はい、なんでしょうか」
けれど、確認するのも恥ずかしくなってきて、もじもじとしてから、ルティエルは口を開いた。
「その、僕の服やアクセサリーって、もしかして」
「えぇ、陛下自らお選びになっています。それはもう活き活きと」
「そう……」
渋さを交えてミアが深く頷く様子から、ハロルドがきっとこだわって(かなりの時間を使って)ルティエルの服を嬉々として選ぶ様子が目に見えるようだ。
なんとなく、そうではないかと思っていた。政務の傍ら、ルティエルが着る服をハロルド自ら選ぶ時間を、ルティエルの様子を確認する時間を食事時間以外にも取っていたとは。
(でも、僕と接するのは苦手、いや、恥ずかしいのか)
初めて話したとき、少年のような青さも見えたが、恥ずかしさでぶっきらぼう化する感じはしなかったのに、どうしたものか。
「おはようございます、ハロルド様」
「おはよう……」
今日も射殺されるのではないかと思うほどの鋭い眼光を向けられている。心の声が聞こえなかったら、絶対に思い違いをしていた。
『ハーフアップだと⁉髪にリボンを巻き付けて結ってあるなんて、ミアはいい仕事しているな』
視線を合わせたハロルドとミアはこくりとうなずき合っている。
(本当にハロルドは、僕の見た目が好きだな)
好きだと、かわいいとよく言ってくれてはいるものの、やはり外見だけで選ばれたのではないかという不安は払しょくできずにいる。
「ルティエルは、……今日はどういう予定だ?」
話しかけようと思っていた矢先、とても小声ではあるがハロルドから話しかけられた。
パッと顔を上げると、先ほどの二倍の強面になっていた。カトラリーを持つ手も若干震えている。ハロルドの心の内を知らない侍女たちは震えあがっている。
「今日は、朝食後は先生にラティエス帝国の歴史と地理について教えていただく予定です」
ラティエス帝国にやってきた数日後から、ルティエルには后教育が行われている。
「その、なにか、興味深いところなど、あったか?」
ジクルス国にいた頃は、教師をつけられることもなく、自分で本を読んで学ぶことしかできなかった。だから疑問点があれば教師に聞けるこの環境は、ルティエルの知的好奇心をうずうずとさせた。水を得た魚のように、予定より速いスピードで学習が進んでいる。それは、ハロルドにも報告されていることだろう。
そうなるように、ルティエルも懸命に取り組んでいた。
(勉強は楽しくもあるけど、せっかくの機会を与えてもらえるんだから、がんばらないと)
ハロルドからは教師たちに、無理なくゆっくり進めるよう伝えていた。実際は夜中にミアに隠れて勉強している日もある。いくらハロルドからの好意がわかっても、まだ不安がぬぐえないルティエルは、必死に勉強していた。
非常にたどたどしい話し方ではあるが、ハロルドががんばってくれているのをルティエルも感じていた。
「そうですね、歴史については国土の広げ方などについて、歴代の王の“力”についても興味深いところが多く」
そこまで言うと、しょげたため息が聞こえた。
『ルティエルも私のこの力を、恐れているのだろうか』
生命に使役する力──人を生かすことも殺すこともできる力だ。幼い頃からハロルドはきっと、敬われることより、恐れ畏怖されることの方が多かっただろう。
(力があるというのも、大変なものだな)
ルティエルには、見当もつかなかった。ただ、他人から遠ざけられる淋しさ、苦しみはいつも身近にあった。
「あとは、地理の授業の途中で先生からお聞きした獣害についてでしょうか。ジクルス国では獣害はありませんでしたので」
「それはそうだろうな」
ジクルス国はラティエス帝国のように肥沃ではないからだろうか。トラも狼もいたけれど、城にも城下にも近づいてくることはなかった。遭遇したのは、ルティエルが森で捜索された時が最後だった。
「国土が豊かである悩みというのは、今までありませんでしたので」
「いや、それは……」
ハロルドはなにかを言おうとしたが、その口をゆっくりと閉じた。なにやらルティエルをじっと見つめながら、考え込んでいるようだ。
「どうかされましたでしょうか」
変なことでも言っただろうかと、不安になりながらも尋ねると、いつものにらむような様子ではなく、目を細め、まるでルティエルの奥底を覗き込もうとしているようだ。
「ルティエル、もしかして──」
「失礼いたします、陛下」
ピンときたハロルドがなにか話そうとしたが、部屋に入って来たアイザックの声で中断されてしまった。
「なんだ?朝食中だ」
ルティエルに向けるしかめ面ではなく、本当に不機嫌な顔をハロルドはアイザックに向けた。
「ゴーダン卿が謁見の間にお越しです。先日来ご相談している件で、と」
ハロルドは不快感あらわに舌打ちをした。
「こんな朝早くから迷惑なことだ。朝食後に参る。しばし待たせておけ」
「それが、これよりゴーダン卿は北部の魔獣被害の視察に行かれるとのことで」
「出立は正午の予定ではなかったか?」
「それが、村人たちから早く来て欲しいと文が送られ、前倒しにされたそうです」
はぁ、と荒々しく息を吐いたハロルドは、ちらりとルティエルに目をやった。
「僕のことは気にしないで行っていらしてください」
『なんと健気な!』
心の声と顔面との差には、もう慣れた。朝一番でなければ、少しずつではあるが、まれにハロルドも普通の顔をしているときもある。けれど、ストライクゾーンにはまった時はまだ、強烈ににらみを利かせた目になるのは慣れない。脳裏に焼き付けようとしなくても、毎日見れるから大丈夫と思うが、心の声を聞いているとは言えないので、そう言うこともできない。
「わかった。それでは行ってくる」
「はい」
渋々、ハロルドは席を立ち、その後にアイザックが続いた。
『どうせまた、適当な用事に乗じて娘を私に嫁がせたいという話だろう』
部屋から出る前、ハロルドのその心の声がはっきりと聞こえた。
「………え?」
ハロルド、爛々です




