北西の街へ
婚姻式の前に、ハロルドは北西の街へ獣害被害対策として魔獣討伐に向かうこととなった。
「ダメです」
「お前に断られる筋合いはない」
ハロルドとミアの両者一歩も引かないバトルを、恒例行事のようにルティエルとアイザックは眺めていた。
「ルティエル様、もう一杯お茶いります?」
「ありがとう、アイザック。ねぇ、このやり取り、いつ終わると思う?」
「さぁ……」
激しく外野の気持ちで眺めている、熱い口論を繰り広げる二人の議題は、北西の街にルティエルを連れていくか否か。
「ルティエル様になにかあったらどうするのですか。安全確保のためにも、王宮でお留守番です」
「私がそばにいるんだ。ルティエルには指一本触れさせない。それに私がいる場所がルティエルのいる場所だ。連れて行くのは当たり前だろう」
さっきから、このやり取りが続いている。温室中の小動物たちも木陰からその様子を震えながら見つめている。二人に怯えて近づきたくともルティエルに近づけないのだ。
「まぁまぁ二人とも落ち着いて」
さきほど一度、アイザックが仲裁に入ったが相手にもされなかった。
「いやぁ、俺もそろそろ陛下に政務に戻っていただかないと厳しい状況なんですよね」
「だよね、ずっとここで言い合いしてるもんね」
諦めと嘆きを含むアイザックの様子に、ルティエルは立ち上がり、座った。
(当事者の僕の意見が反映されるわけじゃないからなぁ)
さて、どうしようか。
そう思っていたところにあらわれたのは、まさかのゴーダン卿だった。
「本日はルティエル様にお願い事があり参りました。祝福を受けたルティエル様に北西の街にお越しいただき、ぜひ民を励ましていただきたいのです」
(──僕?)
跪くゴーダン卿に、ルティエルはきょとんとした。
ゴーダン卿が言うには、ルティエルがラティエス帝国に降り立ったときのことが、獣害被害に遭う北西の街では希望の象徴として語られているそうだ。
「今年は特に被害が大きい。もとに戻すまで時間がかかります。その前に、民に前向きな気持ちになるきっかけを与えたいのです」
ゴーダン卿の申し出に“しめた!”の顔をしたのはハロルドだ。
「よかろう、ルティエルを連れて北西の街へ参る」
「陛下⁉」
ミアが批判的な声を上げたが、ゴーダン卿の前もあり、ハロルドはミアに威圧的な目を向けた。そうなると、ミアも黙るしかない。
「それはありがたいことです!さっそく北西の町長に手紙を送ります」
そうして温室の戦いは、ハロルドの勝利となった。
「わたしも一緒に参りますからね!」
出発当日、ミアはいつもより戦闘に適したパンツルックに顔から胸まですっぽりと隠せる極太のストールを巻いていた。
(周囲を警戒するあまり、ミアの顔が黒ずんできている気がする)
外に控えるミアを、ルティエルは馬車の中から心配で眺めた。
「大丈夫だ、そう気に病まずともよい」
向かいではハロルドが書類に目を通している。
「ですが、せめてミアも馬車に乗せても」
「外の方がミアも動きやすかろう」
「ですが……」
これまで何度も、ミアが身を挺してルティエルを守ろうとしたことがあった。もし危険が迫ることがあれば、ミアは同じようなことをするだろう。
想像だけでルティエルがハラハラしていると、ハロルドにそれが伝わっていたようだ。
「案ずるな。ミアは元隠密だ。今でも鍛錬は怠っていないから、多少のことではやられはしない」
(隠密⁉)
さらっと伝えられたまさかの情報に、ルティエルは目が点になった。
「なんだ、まだ言っていなかったか」
「えぇ、はつみみです……」
ほわほわと話すルティエルに、ハロルドは小さい子どもでも見ているように頬が緩んだ。
「ミアは、小さい頃に施設に預けられてな。その頃には、風の力が発現していたらしい。気づけば今はもう取り潰された貴族の隠密として育てられていた。初めてあいつに殺されそうになった時のことを、今でも覚えているよ」
ハハッと快活に笑うハロルドに、またしてもルティエルはギョッとした目をした。
「あまりに手際が良くてな、何度私が力を放っても力を使ってかわすわ避けるわでよく逃げられたものだ。何度目だったか、ようやくミアを拘束して私の部下にならないかと勧誘したんだ」
あれはいい選択だったと、ハロルドはうなずいた。
(まさか二人にそんな過去があったなんて──)
驚きながらも、ルティエルは気づいた。
「ハロルド、いるじゃないですか」
「なにがだ?」
「殺さずに済んだ人、です」
ルティエルがそう言うと、ハロルドは虚を突かれたようになった。
「……本当だ、近すぎて忘れてしまっていたな」
ハロルドは懐かしむように微笑むと、コンッと馬車のドアが叩かれた。
「陛下、ルティエル様、そろそろ出立いたしま──どうかされましたか?」
「いや、なんでもない」
顔をのぞかせたミアに、ハロルドは慣れた様子でそう言った。
(なんだかんだ、言い合いしてても仲いいもんね)
ルティエルが微笑ましく二人を眺めていると
「なんですか?気持ち悪いですよ」
「ミア、言葉がはっきりすぎる」
ルティエルの考えを読み取ったように、ミアがぐさりと刺してきた。
「長旅ごくろうさまでした」
先に降りたハロルドの手を取ってルティエルが馬車から降り立った。
(ここが北西の街──)
王宮から数日、馬車の旅を経て辿り着いた街、ノーウェイドは王都とは比べ物にならないほど寒く、雪が降り積もっていた。
「ルティ、寒くはないか?」
ルティエルに自分の毛皮のコートをかけたハロルドの鼻が赤くなっている。
「僕よりも、ご自分を労わってください」
ルティエルはハロルドから白地に青の糸で細かな蔦と小さな花が描かれた厚手の装いに加え、耳当てと手袋も用意されていた。毛皮のコートがなくとも温かく過ごせている。
「これは、ハロルドが着てくださいね」
ルティエルがハロルドにコートを着せようとすると、それがうれしかったのだろう。
『もうすっかりルティエルは私の伴侶然としているな♡』
ハロルドは小さく笑みを浮かべていた。
(全く、これから獣害対策に向かう御身だというのに)
そう思っているのに、ルティエルもどうしても、口の端がゆるんでしまう。
いつだってハロルドはルティエルを優先しようとする。それはとても、くすぐったくてたまらない。
「陛下、ルティエル様。どうぞこちらに。町長が挨拶したいとのことです」
「あぁ。だが、その前に──」
ゴーダン卿に連れられ、ハロルドの腕に手をまわしたルティエルは町長の屋敷へと足を踏み入れた。
「そういえば、今日はザンク卿はいらっしゃらないのですか?」
周囲を見回しつつ、ルティエルはゴーダン卿に尋ねた。
「えぇ、あの者はこういうことには向いておりませんで。王宮で事務仕事をさせています」
ゴーダン卿がさらりと述べ、ハロルドが追加した。
「ザンク卿はゴーダン卿の遠縁でな、小さい頃から面倒を見ているんだ。ゴーダン卿がいなければ、王宮に務めることもなかっただろう。不器用で、気も利かないあの男を、よくここまで育てたと思うぞ」
ハロルドは幼い頃から王宮に来ていた、ゴーダン卿とザンク卿の姿を知っているのだろう。
「ははっ、そんな風に思われていたとは。私はただ、応援しているだけですよ」
ルティエルには前を向くゴーダン卿の目に、柔らかな優しさが宿っているように見えた。
「さ、こちらです」
ゴーダン卿に続いて、ルティエルはハロルドと町長と顔を合わせした。
「早々に獣害対策にお越しくださり、ありがとうございます。心ばかりですが、今晩はこちらでゆっくりとおやすみください」
ハロルドにルティエル、それにゴーダン卿と近しい側近はしばらく町長の屋敷を拠点とすることとなった。今は町長が開いた晩さん会にて、もてなしてくれている。火の使い手がいるのだろう、部屋の四隅におかれた天井まで届くほど大きな長方形のクリスタルのケースの中で、炎が燃え上がり、室内は薄手の服で過ごせるほど温かかった。炎を反射するクリスタルが赤やオレンジに光り輝き、大層美しい。
食事はハロルド、ルティエル、アイザック、ゴーダン卿が町長と同じ席につき、下座ではその他の城から連れて来た兵士、ゴーダン卿の兵士と町の兵士たちが交流を深めている。
そんな中、ルティエルは顔を上げられずにいた。
(うぅ……、どこを見ても誰かと目が合う)
町長の家に来るまでもそうだったが、晩さん会でも町の兵士と目が合うと、憧れの象徴と目が合ったと言わんばかりに照れられ、そのあとに手を合わせて拝まれるということが繰り返された。ラティエス帝国に足を踏み入れた際の鳥との触れ合いが、神話のように語られていると言っていたゴーダン卿の話が嘘ではないと身にしみる。
そんな住民たちの様子にハロルドは、邪な心を抱かれていたなら機嫌を害しただろうが
『こんなにもルティエルを敬ってくれるとは、素晴らしい!』
と国で最も敬意を払われるべき存在である自分より、ルティエルに民の視線が向けられていることに満足そうにしている。そのためか、ルティエルを除く町長・ハロルド・アイザック・ゴーダン卿の話に花が咲いている。
「本当に、ルティエル様にお越しいただけるとは、恐悦至極にございます」
「深窓の奥深く、陛下が慈しまれているとお聞きしていたので難しいかと思っていましたが、私が申し出る前から陛下はルティエル様をお連れすることをお考えだったのですよ」
町長がまたルティエルに拝んでいると、ゴーダン卿がそう言った。
「なんと、そうなのですか」
「あぁ、ルティエルの存在が街を照らす光になると思ってな。連れてきた甲斐があった」
ふふん、と自慢げなハロルドをじとっとした目でルティエルは見てしまう。
「ルティエル様、そんなに顔を引きつらせていないで、もっとにこやかにしてください」
「ミア、どこに行ってたの?」
いつの間にか、いつものメイド服を着たミアがルティエルの後ろに立っていた。
「街の様子を見て回っていました。これでどこから攻撃されても撃墜できます」
力強く拳を握ったミアに、ルティエルは首を傾げた。
「ミアも獣害対策に行くんだっけ?」
「いえ、わたくしはルティエル様のおそばにいます。慣れない土地でルティエル様を狙う輩がいた時の対策で見て回っておりました」
「この街でそんな人はいないと思うよ?」
「えぇ、この街の方はそのようなことしないでしょう」
緊張感が走る。ルティエルはいつどこで誰に襲われてもおかしくないんだと、ミアは言っているのだ、
「……ミア」
「はい」
でもミアが、ルティエルを恐がらせたくないと思っていることもわかっている。
「いつもありがとう」
言葉にしなくても、互いを信頼し合っているからこそ通じ合えることもある。
「……はい」
二人の間には、柔らかな空気が流れた。
『ミア、どうしてルティエルといい雰囲気なんだ……』
ルティエルとミアが見つめ合っていると、厳しい視線を感じた。
(ハロルドの目が痛い……)
ミアに嫉妬するのはそろそろやめて欲しいと思うルティエルであった。
翌日、ゴーダン卿を先頭に魔獣討伐へと街北端の森へとやって来た。
(昨日見た様子だと──……)
街についた直後、町長の屋敷に行く前に獣害被害を確認した。森に近づくにつれて被害は拡大し、一番近い町では田畑が踏み荒らされ、作物は奪われ、倒壊している建物を住民らが集まって修復していた。
(家と家に間隔が広くあいていて、離れて建っていたからまだ被害が少なくて済んだのかな……あれ?)
ゆっくりと、周囲を見渡しながら歩いているとルティエルは違和感を抱き、首を傾げた。
「あの、すみません。聞いてもいいですか」
家の修理をしているであろう、木材を担いでいる通りすがりの住民らに声をかけると、住民らはハッとした様子で荷物を雪の上に置いて跪き、まるで眩い者を見るかのようにキラキラとした目でルティエルを見上げた。思わずルティエルは怯んだが、今はそんなことを言っている場合ではない。
「その、魔獣の被害に遭った建物って、家が多い?」
顔を見合わせて確認し合った住民らは、いえ、とルティエルに言った。
「家よりは冬の間の備蓄品を入れている倉庫や蔵が多いですね」
「……そう、わかった。ありがとう」
一礼してから「しゃべっちゃったー」と盛り上がりながら去っていく住民らと反対方向に進んだルティエルは、その後も被害のあった建物を確認した。
「ルティエル様、どうかなさいましたか?」
ぴったりと離れず警護についているミアも、ルティエルの様子で気になったようだ。
「そのね、民家も被害があったけど、ほとんどが屋根が破損してたり、門が壊れてたりの一部で……わざわざ蔵だけ狙って襲ったのかな、と思って」
うーん、とルティエルとミアが頭を悩ませても答えは出ないこと。それでもルティエルは気になってしまう。
「どうした、ルティエル」
外を眺めながら考え込んでいると、馬車の向かいに座るハロルドから声をかけられ、ぼんやりしていた意識が戻った。見つめるハロルドの瞳は、ルティエルがなにを思っているのか問うようだ。
「ハロルドは、どう思いますか?民家ではなく、魔獣は蔵や倉庫だけを狙ったのでしょうか」
「食物を狙ったのであれば、その可能性はあるだろう」
「そうなんですけど……」
魔獣は、家より巨大だと聞いていた。そんな魔獣なら、家のそばに立つ蔵を荒らしたときにもっと家屋に被害があるはずだ。それがないということは──
「ハロルド、獣害被害で人を傷つけるケースはあったのでしょうか」
「魔獣に襲われたケースはないな。魔獣が現れたことに驚いてケガをした者はいたが」
「そうですか」
ルティエルはまた、頬に手をあてて考え始めた。
「なにを考えているかわからないが」
ふっ、とかかった影に視線を上げると目の前に立ったハロルドがルティエルの頬に手をあてた。
「いいか、ルティエル。私を見送ったら、馬車で町長の屋敷に戻って、私の帰りを待っているんだ。いいな?」
「わかっています、ハロルド」
もう何度、ハロルドからそう言い聞かされていることだろうか。
(僕、小さい子どもじゃないのに……)
ぷくっと頬を膨らませると、胸を打たれたハロルドはその衝撃で向かいの席に座り込んだ。
『かわいさと美と甘やかさの共演……』
キャーと照れて顔を手で覆ったハロルドは、すぐさま立ち上がるとルティエルの両脇に手を付いて、そっとルティエルに口づけをした。
「ルティ、城に帰ったら覚悟していてくれ」
「……それは、ハロルド次第です」
照れたルティエルがそう言うと、ハロルドは嬉しそうに笑った。
あと数話、よろしくお付き合いくださいませ……!




