その夜に
テントの中ですっかりしょげてしまったルティエルは、席に座ることなく横たわっていた。
テントの入り口に背を向け影にいるからか一段とウジウジして見える。
「ルティエル様」
「なに?」
背中からミアに声をかけられ顔を後ろに向けたルティエルの顔には銀色の髪がかかっていて、どんよりとした雰囲気を全身から出している。
「貴族の顔は覚えられましたか?」
「半分くらいかな……」
傷心を抱きながらも、ルティエルはテントの入り口にしがみついてずっと外を眺めていた。ハロルドへの気持ちをあらわにしているレナティスに自然と目が行く中でも、幕をぎゅっと手でつかみながら参加している貴族たちの顔をずっと見つめていた(その後ろでアイザックがずっと「あれはユーベン男爵、あっちはソルシェ侯爵……」とずっとのんきに紹介し続けていた)。
「では、気分転換にお散歩でもどうですか。外の空気を吸いましょう」
「え~……」
億劫さに寝転がったままでいると、ミアに上体を持ち上げられ、ミアの風の力で拘束された。
「行きますよ」
「……はい」
返事をしたものの立ち上がる気もないルティエルを浮かせたミアは、そのままルティエルをテントの外へと連れだした。その様子に周囲の侍女がくすくすと笑い、ルティエルは恥ずかしさで口を一文字にした。
「ルティエル様、ポニーに乗りますか」
「いいよ僕は……」
テントを出てしばらく行った先で、ようやくミアにおろしてもらえた。すでにポニーより目立っている。
さっきまで怯えを潜めていた周囲の貴族令嬢や侍女も、“なんだあの様は”と妙な笑みまで浮かべ、ざわついている。
「ミア、僕、周りから笑われているよ」
「ルティエル様が親しみやすい方だと、皆様にわかっていただけたようです」
若干それはそうかもしれないと思いつつ、そそくさとポニーがいるエリアへと近づくと、自然とポニーもルティエルの方へと近づいてきた。ルティエルがポニーを撫でている間に、わらわらと子どもたちがルティエルに群がってきた。
「どうやってるの?ニンジンもないのに」
「こら、ルティエル様に失礼でしょ」
ルティエルになれなれしく話しかける子どもたちに焦った周囲の大人に、まぁまぁとルティエルはそっと手を上げた。
「動物たちと仲良くしたいと思ってたら自然と、かな」
「僕らも仲良くできる?」
「たぶんね、優しくしてあげてね」
「うん!」
しばらく子どもたちとポニーと遊んでから、狩りの出発地近くまで来てから、ぶらぶらとテントへと戻ることにした。あとは狩りに出た者らを待つのみのため、ティータイムを過ごす者らもいれば、集まっておしゃべりを楽しんでいる者らもいる。ルティエルもちらりと横目に見られることもあるが、ハロルドを通じてゴーダン卿が今日はルティエルはそっとしておくようにと言ってもらえているらしい。
(僕もいつかは、ちゃんと社交の場を設けなくては)
貴族との社交の場も后の大切な役割の一つ。
「あ……」
小さくつぶやいて、ルティエルは足を止めた。
「どうしました?ルティエル様」
「あ、いや、なんでもない。行こ」
急に止まったルティエルを不思議そうに見つめるミアを置いて、さっきより少しだけルティエルは早足になった。
ルティエルは視線の先の一段と大きな輪の中心にいるレナティスを見て、いや、レナティスのいる場に自分自身を投影して気づいた。
(僕は、すっかりハロルドの正后になるのは自分だと思っている──)
自分でも自分の内にそんな意識が根付いていたことに、驚いたのだ。
(僕は、ハロルドのただ一人の后でいたいって、思っている)
自分でも認めたくなかったが、もう目をそらせなかった。
見ないふりをしていた己の気持ちに気づき、全身が足もとから熱くなってきて、ルティエルはまた立ち止まった。
(どうしよう、こんなこと、叶うはずもないのに──)
けれど、ハロルドを独り占めにしたい気持ちから、もう目をそらすこともできない。
ルティエルは落ち着こうと、大きく息を吸って、吐いた。
緑が香る風に、土の匂い。小さい頃は傍にあった香りに、ようやく再び出会えた気がする。それなのに、穏やかな気持ちでいられない。
「今日は、いい天気だね」
「……えぇ」
不自然なルティエルに怪訝そうなミアを連れて歩いていると、遠くの方から悲鳴が上がった。
「誰か、ポニーが⁉」
ルティエル達の方へと、柵から抜け出したポニーが我を忘れたように突進してきた。
(あれは、でも──)
迫ってくるポニーをルティエルがじっと見ていると、ポニーが襲い掛からんばかりに前脚を高く上げた。
「ルティエル様、お下がりください!」
ルティエルを守ろうと、ミアが手に小さな竜巻を発生させながらルティエルの前に立った。その肩に、ルティエルが手をかけた。
「危ないっ!」
方々から叫び声が上がる中、ルティエルは一歩、ポニーの方へと進んだ。
「大丈夫だよ」
そっと、ルティエルがポニーの首元から背中へと手をかけてやると、荒れ狂っていたポニーが静まったように前脚を地面に着地させた。
「ほら、もう大丈夫」
しばらくの間、気が立ったようにルティエルの周囲を走り回っていたポニーも徐々に落ち着いてきたようだ。ブフンブフンと鼻息荒くしていたが、ルティエルが首根っこにしがみついてやると静かになった。
「ルティエル様」
「うん、なんともないよ。それよりもこの子、ケガしてるんじゃないかな」
「ケガ、ですか?」
ルティエルに言われ、ミアが残っていた兵士に確かめさせると、尻の部分が少し焦げていた。
「びっくりして、走り出しちゃったんだよね。手当してあげて」
「はっ!」
ポニーを兵士に引き渡したルティエルに、ミアが厳しい顔を向けた。
「どうしたの?」
「……私の考えすぎかもしれませんが、ルティエル様を狙ってのことかもしれません」
「この場で僕を狙うことに意味があるとは思えない」
ここで何かあれば、ハロルドのみならずゴーダン卿からも咎を受けることになるだろう。
「えぇ、ですからそんなことする輩などいないと思えるこの場で狙ったのかと」
「……」
その後、ルティエルは念のためテントの中で過ごすことになったが、何も起こらず、狩りも大盛況の内に幕を閉じた。
「私がいない間に、大変だったようだな」
「いえ、ハロルドに心配をおかけするほどのことではありません」
今夜もハロルドは当たり前のように枕を持ってルティエルの部屋を訪れた。
顔をよく見せて欲しいと言って、今は自分の前に座らせたルティエルの顔を両手で包み、じっと見つめている。
「やはり、連れて行けばよかった」
はぁ~、とハロルドは大きくため息をつきルティエルの肩にもたれかかった。
狩場で万が一のことがあっては大変だとルティエルを置いていったものの、置いて行っても危ない目に合わせてしまい、ハロルドは嘆いている。落ち込んでいる。だから、甘えてぎゅっとルティエルを抱きしめた。
「ハロルド、大丈夫です。ミアも僕を守ってくれますし」
「それはそうだが……」
とにかく、自分がそばにいられなかったことにブーたれているのだろう。いつまで経っても離れてくれそうにない。
ルティエルはハロルドの背中をトン、トンとなだめるように叩いた。
「ハロルドは、甘えんぼさんですね」
「なんだ?知らなかったのか?」
からかうように言ったのはルティエルの方なのに、意地悪な笑みを浮かべたハロルドはそれに乗じてもっともっとと顔も、声も、体も摺り寄せて来た。
(これは、ちょっと、危ない気が……)
もうこれ以上くっつきようがないくらい全身を密着させたところで、先に音を上げたのはルティエルだ。
「さ、もうそろそろ休みましょう。明日も早いですし」
いや、もうちょっとこのままでいたいのだが、と言外に出してくるハロルドを無視して、ルティエルはベッドにもぐりこんだ。
「おやすみなさい、ハロルド」
「……おやすみ」
ルティエルは目を閉じていてもハロルドが恨みがましく見つめてきているのがわかった。
(本当に、ポニーがケガしたことは気になるけど、それ以外は気にしてない。それよりも、気になるのは──)
ルティエルはハロルドの視線が痛くて、ハロルドに背を向けた。
「ルティ」
しばらくして、ルティエルの肩をつかんだハロルドに仰向けにされた。
「やはり、なにか隠しているだろう」
「え?」
ハロルドはルティエルの胸に頬を乗せた。
「あの、ハロルド……?」
「私には、言えないことか?」
「いえ、そういうわけではないのですが……」
「じゃあなんだ?」
ハロルドはすっかり聞く姿勢で、ルティエルをのぞきこんだ。
「私も、自分の気持ちを伝えるようにする。だから、お前も私に思っていることは言って欲しい」
真摯にじっと、ハロルドは待っている。
(これは、話すまで寝ないだろうな……)
明日も多忙なハロルドに、これを話さないといけないとは。いやそれよりも、こんなことを気にしている自分が悪いのか。
起き上がったルティエルは、適当な話を述べた。けれど“それじゃないよね?”のハロルドからの圧のある笑顔に諦めて口を開いた。
「言いますけど、あまり気にしないでいただきたいといいましょうか」
「内容による」
きっぱりと言うハロルドに、ルティエルは自分もこだわらないから、と言おうとした。
「……僕は、小国出身で、政治にも疎く、とりえもありません。男で子が宿せると言っても、世間的には女の方が子を作りやすいと言われています」
ハロルドは、ルティエルがなにを言わんとしているかわからない様子だ。
「……それが悩みなのか?」
そうであるならばそんな考え打ち消してやろうとするハロルドに、シーツをきつく握ったルティエルは小さな声で言った。
「……だから、そのうち、正后を迎えるのだろうと思って」
言った瞬間、ハロルドが目を大きくした。
(やっぱり、言わなかったらよかった)
いくらハロルドとルティエルが互いを想い合っていると言っても、ハロルドは一国の王。それとこれとは別の話だということはわかっているし、それをちゃんと認識したうえで嫁ぎに来た。
(でも、頭でわかっていることに、心が追い付くわけじゃない)
ルティエルはなんでもない話のふりをして、淡々と言った。
「わかっています、こんなこと言ってはいけないと。でも、以前もそういうお話を聞きましたし、国のためにも必要なことで──ハロルド?」
こちらがぐるぐるしていた胸の内を一生懸命話しているというのに、ハロルドはルティエルの胸に突っ伏して震えている。
「あぁー、ルティ」
その声は、これ以上ない奥からこみ上げるような感情を乗せていた。
「いや、悪い。私がちゃんと伝えていなかったのが悪かった」
何が面白いのか、ハロルドは笑いながら目元の涙を指で拭った。
「ルティ、おいで」
ルティエルから降りたハロルドは、甘やかすように腕を開いた。が、笑っているハロルドにしばらく苦しんでいた悩みを打ち明けたのにひどい、とルティエルはハロルドに背中を向けた。
「ルティ、ほら」
けれど、そんな様子もハロルドからしたら愛しくてたまらない。ルティエルの腕をつかんだハロルドは、ルティエルを腕の中にすっぽり閉じ込めた。
けれど、ハロルドはなかなか話し始めない。言葉にならない言葉を何度か小さくうめきながらルティエルに顔を擦り付け、その額に、耳に、首元に軽くキスした後、ハロルドはやっと話し始めた。
「ルティ」
「なんですか?」
「こっちを向け」
ルティエルは固い声で返事しつつも、きっとハロルドの方を向くまで、じっと待っているのだろうとわかっていた。多少ムスッとしたままルティエルはハロルドの方へと顔を向けた。
ハロルドは目を輝かせ、うれしくて仕方がなさそうにまっすぐな笑みを浮かべていた。
「私は生涯、お前以外の后を迎えるつもりはない。お前が私の唯一の后だ。私はそれを望むから、お前はそれを叶えてくれるか?」
驚きのあまりか、ルティエルは声も出ず、はじめはハロルドの言うことが頭に入って来なかった。けれどしばらくすると、頭がついていかなくても感情がにじみでて、声が出ない分、涙があふれた。
「泣くな、ルティエル」
「だって、そんな……」
ボロボロと泣き続けるルティエルの頭をハロルドは撫でた。
「不安にさせてすまない。私はお前がそばにいればそれでいい。それでいいんだ」
あやすように、安心させるようにルティエルを抱いたハロルドは、ルティエルが泣き終えるまでよしよしとルティエルの頭を撫で続けた。
「……すみません、濡らしてしまいました」
思いのほか涙があふれ、ハロルドの胸元は濡れてしまった。
「着替えを持ってこさせますか?」
「いや、大丈夫だ」
ルティエルを離したハロルドは、そのまま寝巻の裾に手をかけ、脱いだそれを床に落とした。
(うわ……)
日頃から鍛え上げられたハロルドの上体があらわになり、ルティエルは目のやり場に困る。「ルティ」
そんなルティエルをわかっているだろうに、ハロルドはルティエルの頬に手をあてた。
「……いいか?」
ルティエルの耳元でそうささやくハロルドがなにを求めているのか。
「で、でも……、婚姻式もまだですし……」
恥ずかしさで、ルティエルはうつむいたけれど、うつむくとハロルドの均質の取れた割れた腹筋が目に入ってきょろきょろとしてしまう。
「今更、毎日こうして一緒に眠っているんだ。なにもないと思っている者の方が少ないと思うぞ」
確かに、最初の方は侍女たちが気を利かせて寝室に花を飾ったり、ベッドにバラでハートを作っていたり、入浴時にやたらと香りよくさせられたりとあったが、最近は特に趣向を凝らさないでくれている。
「でも……」
だからこそ、ルティエルは余計に戸惑った。
反論しようとするルティエルの口を塞ぐように、ハロルドはルティエルに口付けた。
「ルティ、もっと口を開いて」
それがいつものように優しく触れるような口づけだけじゃなくて、ルティエルはハロルドに食べられるのではないかと思った。けれどそれほど強く、ハロルドがルティエルを求めていることも疑いようもなく認識させられた。
粗い息を漏らしながら、やっと離してもらえたと思えば、じっとハロルドがルティエルを欲に満ちた目で見つめ、ルティエルの下腹から首元へと手を這わせた。
「……っ」
密着する肌も息も熱くて、頭が真っ白になってしまったルティエルはハロルドに押し倒された。
「ルティエル、ずっとお前に触れたかった」
「ハロルド……」
そうして再び深く口付けてきたハロルドを、ルティエルはもう拒みはしなかった。
「……ひどいです」
「ルティ」
翌朝、布団を鼻元まで被ったままのルティエルは目を三角にしてハロルドに陳情した。
「すまない、つい浮かれてしまって。許してくれ」
いまだ上機嫌のハロルドは本当にわかっているのかいないのか。ハロルドはルティエルの額に、頬に、あごにキスをしてきた。
「僕は、ハロルドみたいに鍛えてもいないし、それに……初めてだったから慣れないことも多くて」
昨晩のことを思い出すと恥ずかしさで消えてしまいたくなる。それに──
(体に力が入らなくて起き上がれない……)
ルティエルは足腰立たなくなってしまった。もうすぐミアを含め侍女たちが朝の支度をしに来るというのに。
「今日は一日、横になっていればいい。食事も運ばせる。な?」
ずっと侍従がいるハロルドにはわからないのだろう、この恥ずかしさは。
「だからな、ルティ」
「なんですか?」
控えめながらも、迷子の子犬のような目をしてハロルドはルティエルの耳元でささやいた。
「今日の夜も、ルティを愛したい」
「……勘弁してください」
ルティエルがぷいっとハロルドから顔を背けると、「ルティエル~」と嘆くハロルドに抱きつかれた。
(……だってあんなの、無理だって)
一晩中、頭の先から指の先までハロルドに愛されて、頭がおかしくなるかと思った。
(毎日あんなに愛されたら、死んじゃう……)
恥ずかしい。でもうれしくて、幸せで仕方ない。でも大きな愛に包まれ過ぎて、自分が自分じゃなくなりそうで、ハロルドが愛しすぎて、ハロルドの愛が苦しくて仕方ない。
「ルティ、せめてこっち向いてくれないか」
そんなことをルティエルが思っているとは露も知らないハロルドは、その日からしばらくルティエルのご機嫌取りに奔走し、毎晩上機嫌に過ごした。
いちゃいちゃは書いてて楽しいです




