境界の森の異常【未知の例外処理】
音速の放物線を描いた自由落下の末、私は落下速度のベクトルを反転させる『クリーン(空気クッション仕様)』を直前で展開し、なんとか五体満足で未知の大地へと着地した。
そこは、エルラディン聖教国の干渉が及ばない、国境沿いに広がる通称「境界の森」。
だが、一歩足を踏み入れた瞬間に、プログラマーとしての私のシステムセンサー(直感)が、明確な「違和感」を検知して警報を鳴らし始めた。
「……何かしら、このエリア。空気の通りが悪いというか、背景のレンダリング(風景の描画)が妙にギザギザしていて、システム全体がひどく重い(ラグい)気がするわ」
「そうね……。ここは昔から『神に捨てられた迷宮』って呼ばれていて、どんな高位の魔導士でも魔法がうまく発動できなくなる、呪われた土地として有名なのよ」
フェリスが錆びた剣の柄に手をかけ、周囲の暗がりを警戒しながら教えてくれた。
彼女の美しい銀髪が、森のあちこちに群生している「奇妙な赤い花」の光を浴びて、妖しく紫色に明滅している。
その赤い花は、まるで独自の脈動を刻むように怪しく点滅し、周囲に微細な赤い光粒子を撒き散らしていた。
「魔法が発動しなくなる……? そんなの仕様書にないわ。ちょっと試してみるわね」
私は手元に、最もエラーの起きにくい基本スクリプト、火属性一サークルの『ティンダー(火ツキ)』を呼び出そうとした。
脳内で変数と関数を組み立て、魔力の出力を最適化して、指を鳴らす。
――パチン。
【Error: Exception in thread "main" NullPointerException】
【プロセスはコード -1 で強制終了しました】
「……は? 嘘でしょ? 完全に構文は正しいのに、コンパイルすら通らずに強制終了されたわ」
私は自分の指先を見つめて目を見張った。火種どころか、煙すら出ない。
私の持つ十サークルのルート権限(魔力)は完全に満タンなのに、術式を出力するためのパイプラインそのものが、根元から強引に「遮断」されたような感覚だ。
「言ったでしょう、イルハ。ここではどんな奇跡も無効化されるの。教会の教えでは、神の加護が届かない『世界の果てのバグ』だって……」
フェリスが悲しげに目を伏せる。
だが、その言葉を聞いた瞬間、私のデバッガーとしての魂がパチパチと火花を散らした。
「バグですって? 笑わせないで。世界システムという巨大なプログラムが、こんな局所的なエラーを放置して稼働し続けられるわけがないわ。これはバグ(不具合)じゃない……明確な意図を持って埋め込まれた【例外処理(try-catch文)】よ!」
私はドレスの裾をひるがえし、足元に咲く「赤い花」の前にしゃがみ込んだ。
そして、その花から放出されている赤い光粒子の波形を、魔力解像度を最大にして凝視する。
ビンゴだ。この赤い花から放たれている光粒子は、周囲の空間にあるすべての魔力データに対して、強制的に『abort();(処理中断)』のコマンドを送り続ける、ジャミング(電波妨害)コードの役割を果たしていたのだ。
「なるほどね……!この赤い花は、世界システムが『想定外の過大魔力』によってサーバーダウンするのを防ぐために、あらかじめ配置された安全弁なのよ。私たちが近づいただけで魔法が消えるのは、私の十サークルの魔力に花が過剰反応して、エリア全体の魔法機能を緊急停止させているからだわ!」
「理屈は全く分からないけれど、つまり、イルハの規格外の魔力のせいで、この森のセキュリティが最高レベルに跳ね上がってるってこと!?」
「その通りよフェリス! 私の存在自体が、このエリアにとっては致命的な不正アクセス(ウイルス)扱いになっているのね!」
「自慢そうに言わないで! 魔法が使えないなら、私たちはただの非力な女の子二人じゃない! どうするのよ!」
フェリスが頭を抱えたその時。
森の奥の茂みがガサガサと大きく揺れ、赤い光粒子を全身から激しく吹き出す、巨大な魔獣が姿を現した。
その姿は狼に似ていたが、頭部がいくつも重なり合ってブレているような、まるでグラフィックの処理落ち(残像バグ)を起こしているかのような不気味な姿をしていた。
ガアアアアアアアアアッ!!!
「くっ、追手じゃなくて魔獣(原生バグ)のお出ましね……! イルハ、下がって! 魔法が使えないなら、私の物理攻撃(剣技)で切り抜けるわ!」
フェリスが錆びた剣を引き抜き、鋭い踏み込みで魔獣の前に躍り出た。
彼女の剣技は、魔法の加護を失ってなお、精密で圧倒的な速度を誇っていた。一閃。魔獣の首を正確に捉え――。
スカッ。
「え……!?」
剣は、確かに魔獣の身体を捉えたはずだった。しかし、手応えは一切なく、剣先は虚空を切り裂いただけだった。魔獣の姿が、まるでテレビの砂嵐のように一瞬だけザザッ、とブレて、次の瞬間には何事もなかったかのようにフェリスの目の前に「再配置」されていた。
「攻撃が、透過した……!? 幻影なの!?」
フェリスが驚愕に目を見開く。魔獣の鋭い爪が、体勢を崩した彼女の胸元へと迫る――。
「フェリス、そこを動かないで(フリーズ)!」
私は路地裏から飛び出し、フェリスの身体を後ろから抱きすくめるようにして、その爪の軌道上へと自分の「純黒の手袋」をはめた右手を突き出した。
「イルハ、だめよ! 魔法は使えないのよ!!」
「魔法が使えないなら――世界システムの『コアデータ』を直接、物理ハッキング(メモリ改ざん)するだけよ!!」
私は迫り来る魔獣の爪に向かって、あえて掌を完全に開き、接触させた。
魔法の術式が使えないなら、オブジェクトに直接触れて、その構成データ(ポインタ)を私の十サークルのルート権限で強引に書き換えてしまえばいい。
(ロジック構築:ターゲット、接触したオブジェクトの存在定義。この魔獣のグラフィックがブレているのは、座標データがループ処理でバグっているからよ。ならば、その存在確率(生存フラグ)の変数を――『false(偽)』に直接書き換える(オーバーライト)!)
私の手のひらから、魔法ではない、生の、剥き出しのシステム魔力が魔獣の身体へと直接流し込まれた。
その瞬間。
ピキィィィィィィィィィィィン……!!!
魔獣の全身が、完全に真っ白な「立方体のブロック(豆腐バグ)」へと変貌し、そのまま音もなくサラサラとした塵(消去データ)になって消滅した。
「……は?」
限界突破したフェリスのツッコミが、今度は声にすらならず、ただの乾いた裏返り声となって森に消えた。
魔法を無効化するはずの例外処理の森で、魔法を使わずに「存在そのものをデータ抹消」するという、もはや神の領域に近いバグ技を繰り出した私を見て、フェリスは完全に魂が抜けたような顔をしていた。
「……あ、おかしいわね。魔獣の座標バグを直してあげるつもりが、存在の定義ファイル(マスターデータ)ごと上書き保存(上書きデリート)しちゃったみたい」
「……もういいわ。もう驚かない。あなたは魔法が使えなくても、触るだけで世界を壊せる『歩くシステムエラー』なんだって、今ので完全に理解したから……」
フェリスは錆びた剣を鞘に収め、がっくりと項垂れながらも、その唇にはどこか諦め混じりの、けれど最高に愛おしそうな苦笑いを浮かべていた。
私はそんな彼女の手を、再びぎゅっと握り締める。
手袋越しでも伝わってくる彼女の確かな体温。世界システムがどれだけ私たちを「例外」として排除しようとも、この相棒が隣にいる限り、私のロジックが負けることは絶対にない。
「ふふ、さあ行きましょう、フェリス。この例外処理の森をハックして、新しい新天地へのバックドア(抜け道)を見つけるわよ!」
「はいはい、どこまでもお付き合いしますよ、私の破天荒な魔女様」
怪しく光る赤い花の森を、私たちは恐れることなく、むしろ楽しげな足取りで突き進んでいく。
世界のクソ仕様を根本からリファクタリングする二人の逃避行は、未知の例外すらも味方につけて、さらに深く、世界の核心へとランタイムを加速させていくのだった。
お読みいただきありがとうございました!
魔法が無効化される呪われた森で、まさかの「生データの直接改ざん(豆腐バグ化デリート)」という力技を披露したイルハ。フェリスのツッコミも、ついに声が出なくなる領域へと達してしまいました。




