宿場町の精神ハッキングと大陸のアーキテクチャ
「――ねえイルハ。私、近衛騎士として長年この国に仕えてきたけれど、まさか『魔王軍の幹部』を引き連れて宿場町の門をくぐる羽目になるとは夢にも思わなかったわ」
エルラディン聖教国の国境へと続く街道沿い。旅人や商人が行き交う活気ある宿場町の入り口で、フェリスが死んだような魚の目で私を見つめていた。
それもそのはずである。
いまの私のグラフィック(外見)は、光すら透過しない【虚無の黒】に染まり、妖艶なレースと闇の魔力の茨をまとった「漆黒の魔女」そのものだ。昼間の太陽の下だと、周囲の空間から私だけが不自然に切り取られているように見えて、目立つどころの騒ぎではない。歩く国家機密、あるいは歩く天変地異。すれ違う馬車の御者が、恐怖で二度見どころか三度見して御者台から転げ落ちそうになっている。
「大丈夫よフェリス。見た目のデータ(表面仕様)がラスボスでも、周囲の認知エンジン(脳内処理)に偽装パッチを当ててしまえば、システム的には『ただの一般人』としてスルーされるはずだから」
「周囲の認知にパッチって……あなた、今度は他人の精神までハッキングするつもり!?」
フェリスが銀髪を振り乱してギョッとする。
精神魔法。この世界では、高位の暗黒魔導士や精神術師が使うとされる禁忌のカテゴリだ。だが、プログラマーである私に言わせれば、人間の脳なんて「外部からの視覚・聴覚情報を処理して、感情や認識を出力する」だけの、生体ブレインサーバーに過ぎない。
つまり、入力データと出力データの間に、ほんの少しの「条件分岐(if文)」を差し込んであげればいいのだ。
「ターゲット指定、この宿場町の住民全員の『認知プロセス』。……私の持つ神話級の十サークル魔力を、今度は精神属性へとキャスト(型変換)するわ。出力調整は……前回の反省を活かして、極限まで『マイルド』にね」
私は路地裏の影で、すれ違う町民たちに意識を集中した。
脳内で流れるソースコードを注意深く書き換えていく。
(ロジック構築:もし【イルハの姿】を視界にレンダリング(描画)したら、脳内の例外処理を起動。その見た目の数値を『超絶地味な村人A』に強制置換(上書き)して、脳のメイン処理へ返せ。精神属性一サークル魔法……『マインド・モディファイ(認知偽装)』!)
パチン、と小さく指を鳴らす。
今度こそ完璧だ。出力は最小限、効果範囲も限定的。
これで町の人々の目には、私が「麻袋をかぶった地味な農家の娘」くらいにしか見えなくなるはず――。
ドォォォォォォォォォン……!!!
頭が割れるような、重低音の精神衝撃波が宿場町全体を駆け抜けた。
「……え?」
「いや、町民全員が白目を剥いて硬直してるじゃないのよォォォ!!!???」
フェリスの悲鳴のようなツッコミが、完全に静まり返った宿場町に響き渡った。
見れば、さっきまで大声でリンゴを売っていた商人も、歩いていた旅人も、井戸端会議をしていた主婦たちも、全員がピキーンと動きを止め、白目を剥いたまま泡を吹いて直立不動で固まっている。
それどころか、街道を走っていた馬までが前足を上げたまま空中でフリーズしていた。物理的な時間停止ではない。町の全員の脳内サーバーが、私の放った偽装パッチの処理負荷(CPU使用率100%)に耐えかねて、一斉にハングアップ(強制終了)してしまったのだ。
「あ、あれ……? おかしいわね。町民全員の脳のメモリスペック(処理能力)を高く見積もりすぎちゃったみたい。一サークル魔法なのに、私の基本魔力が高すぎて、全ユーザーの脳内コアに致命的なカーネルパニックを引き起こしちゃったわ」
「マイルドって言ったのはどこの誰よイルハ!! これじゃ偽装どころか、宿場町一つを精神的に全滅させた最凶の魔女よ!!」
フェリスが私の両肩を掴んでブンブンと揺さぶる。
だが、町全体がフリーズしてくれたおかげで、誰一人として私たちの指名手配を書き換える(通報する)者はいなくなった。怪我の功名、いわゆる仕様通りの動作だ。
「……でもフェリス、これで誰にも邪魔されずに、この宿場町のアーキテクチャ(構造)を調査できるわ。国境を越えるための最短ルートを検索りましょう」
私はフリーズしたままの案内所の看板から地図のデータを物理的に回収し、この世界の地理的な設計(マップ構造)を把握し始めた。
地図によると、このエルラディン聖教国の大陸インフラは、中央の大聖堂を起点として放射状に魔力ライン(バス回線)が走る、非常に古い集中管理型のトポロジーで構築されている。
「なるほどね……。だから教会(中央サーバー)は、国中の聖女や魔法使いの魔力を一括で監視・制御できているんだわ。この古いアーキテクチャ自体をハックして分散型に書き換えない限り、私たちはどこまで逃げても教会の追跡(ping)から逃れられない」
「世界そのものの仕組みを書き換えるってこと……? イルハ、あなた本当に、神様に喧嘩を売るつもりなのね」
フェリスが呆れたように吐き捨てながらも、その口元には不敵な笑みが浮かんでいた。
宿場町の住民たちの脳内サーバーが再起動して大混乱に陥る前に、私たちは偽装データを残したまま、次なる目的地へと走り出す。
私の暴走するロジックと、それに全力で付き合うフェリスのツッコミ。
バグだらけの大陸の仕組みを根本からリファクタリング(再構築)するための逃避行は、いよいよ国境の難所へと突入していくのだった。




