国滅ぼしかけの消火活動【生活魔法(笑)】
「――ちょっとイルハ!! これ、一体どうするのよ……!?」
鼓膜が震えるほどの爆音の余韻が響く中、銀髪の騎士フェリスが、普段のクールな鉄面皮を完全に崩して絶叫した。
彼女が細い指先で指し示している先。そこには、さっきまでエルラディン聖教国の威信をかけて建造された、厳か極まりない大聖堂の東翼が存在していた。
……そう、「存在していた(過去形)」だ。
いまやそこにあるのは、綺麗に円形にくり抜かれて夜空が丸見えになった外壁と、粉々に粉砕されて形を失った大理石の瓦礫の山。そして、その瓦礫の隙間からメラメラと、不自然なほど激しく、禍々しいまでの勢いで燃え広がっている紅蓮の炎だった。
1サークルの生活魔法『ファイア』――いわゆる、前世で言うところの「百円ライターの着火」程度のスクリプトを実行した結果がこれである。
「落ち着いて、フェリス。パニックはデバッグの大敵よ。コンパイルは通っているんだから、これは単なる想定内の例外処理の範疇よ」
「どこが想定内なのよ!? 大聖堂の右半分が丸ごとロストしてるじゃない! これ、国単位の歴史的損失どころの騒ぎじゃないわよ!?」
「大丈夫。システム的に発生した現象なら、システム的に相殺できるわ。物理エンジンの特性上、火属性のオブジェクトには水属性のオブジェクトをぶつければ、相互のアトリビュートが干渉し合ってゼロに収束するはずだから」
私は煤煙が漂う空気の中で、どこまでも冷静に、フンスと胸を張った。
前世の社畜プログラマー時代、私は数々の「深夜二時に発生した本番環境のデータ全損バグ」をワンオペで処理してきたのだ。大聖堂の半分が吹き飛んで炎上している程度、サーバーが物理的に爆発したことに比べれば、画面上のピクセルがちょっと焦げているようなものである。
……いや、現実の視覚情報としては、かなり大惨事ではあるのだけれど。
私は体内の潤沢なルート権限(10サークル)に再びアクセスし、脳内でクローズドなデバッグ環境を立ち上げた。
先ほどの『ファイア』の実行ログをトレースした結果、原因はすでに完全に判明している。
(原因分析:聖魔力から基本属性魔力への『データ型のキャスト(型変換)』を行う際、私の中にある神話級の魔力総量が多すぎて、出力の初期値が限界値を突破。結果として、内部変数がオーバーフローを起こし、最低出力のスクリプトでありながら最大火力の処理が走ってしまった、と。……典型的なバッファオーバーフローバグね。設計した運営の顔が見てみたいわ)
原因さえ分かれば、対策を当てるのは簡単だ。
デフォルトの出力設定がバグるなら、今度は最初から、手動で出力を限界まで『デクリメント(減算処理)』して発動すればいいだけのこと。強大なエネルギーを、私の精密な論理の力で、ミリ単位、いやマイクロ単位にまで絞り込んで出力する。
これぞ、中身の見えないブラックボックスである「聖魔法」には絶対に不可能な、基本五属性魔法だからこそできる、職人技のエンジニアリングだ。
「ターゲット指定……東翼の火災領域。発動呪文……水属性1サークル『ウォーター(生成)』。……よし、ここからがデバッグの本番よ。出力パラメータを、通常の-99.999%に強制補正。魔力の流動を極限まで絞り込んで……」
私の背後では、アフロヘアのようになった神官たちが「ひ、ヒールを……誰か私にヒール(癒しの祈り)を……」「ダメだ、聖魔力の回路が恐怖で拒絶反応を起こして動かん……!」などとブツブツ呟きながら床を這い回っている。
彼らの大好きな聖魔法『ヒール』とやらは、UIのボタンをポチッと押せば自動で発動するお気楽仕様だが、一度ユーザーのメンタル(精神状態)にエラーが起きると、例外ハンドリングが一切定義されていないため、このように完全なフリーズ状態に陥る。実につまらない、融通の利かないクソシステムだ。
私はそんなポンコツ共を冷ややかにスルーし、燃え盛る紅蓮の炎へ向けて、純白のドレスの袖をまくり上げて両手をかざした。
「フェリス、見ていなさい。これが本来の、美しく制御された『魔法』の姿よ。――微小なる水源。我が命令に従い、空間の水素と酸素を結合、渇きを潤す滴となって現象を上書きせよ。1サークル魔法……『ウォーター』!」
パチン、と。
今度は、夜の静寂に溶けてしまいそうなほど、小さく、繊細に指を鳴らした。
バグ対策は完璧。出力量のデクリメントも限界までかけた。
計算上、私の指先からは、まるで高原の朝露のような、あるいは霧吹きからシュッと吹き出るような、優しくて冷たい微細な水粒子が放出され、炎を穏やかに鎮火するはずだった。
そう、私の「計算上」は――。
ズガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガッ!!!!!
「いや、高圧洗浄機の出力ォ仕様になってるじゃないのよォォォ!!!???」
本日二回目となる、フェリスの魂の底からの絶叫が大聖堂(の残骸)に木霊した。
私の両手から放たれたのは、高原の朝露などでは断じてなかった。
それは、超極細のストローほどの細さにまでギチギチに圧縮され、音速の数倍の速度で撃ち出された、白銀の「水流レーザー」だった。
放水などという生易しいものではない。シュウウウウ!という、空気を切り裂く高周波の絶叫と共に、放たれた超高圧水流は、燃え盛る炎を優しく相殺する――なんてステップを完全にすっ飛ばした。
ズバァン!!!と音を立てて、水流レーザーが瓦礫に触れた瞬間。
激しく燃えていたはずの紅蓮の炎ごと、頑丈な大理石の床、倒壊しかけていた巨大な支柱、さらには教会の象徴として奥に鎮座していた純金製の『大司教の聖像』までを――まるで温めたナイフでバターを切り裂くかのように、恐ろしいほど滑らかな断面で真っ二つに全切断(物理カット)していった。
「あ、あれ……? おっかしいわね、体積と流速の反比例計算が……あ、型変換した後にデクリメントをかけたから、乗算処理が反転して逆に超圧縮がかかっちゃったのかしら?」
「イルハ! お願いだから一回その器用すぎる指先を縛らせてちょうだい!! 火は消えた! 火は完全に消えたけど、代わりに大聖堂の基礎構造が全部スライスされてるわよ!?」
フェリスが私の肩をガシガシと揺さぶる。
その拍子に、彼女の美しい銀髪から、大聖堂の埃と、いまの超高圧水流が霧となった冷たい水飛沫がハラハラと舞い散った。私を見つめる彼女の鋭い双眸は、怒っているというよりも、もはや未知の天災に遭遇して脳の処理が追いついていない開発者のそれだった。
シュうううううう……。
あたりに、激しい水蒸気と、焦げた匂いが立ち込める。
霧が晴れたあとに広がっていたのは、驚くほどシュールな光景だった。
燃え盛っていた炎は一滴も残らず消え去っている。なぜなら、燃えるための対象ごと、水流レーザーによって分子レベルで切断され、空間から「物理的に消滅」させられたからだ。
残された大聖堂の焼け跡は、まるで精密なレーザー加工を施されたかのように、断面が鏡のようにツルツルに輝く不思議なモニュメントへと変貌していた。
「……でも、フェリス。結果として『消火』という要求仕様は一秒未満で完全に達成されたわ。バグ(火災)は消去された。これで一件落着じゃない?」
「バグと一緒に教会の歴史とエルラディンの財産が永久にロストしたのよイルハ!! 見て、大司教様なんて、綺麗に真っ二つになった自分の金ピカ聖像を指差したまま、彫刻みたいに固まってるわよ!?」
フェリスに言われて視線を向けると、大司教は「あ……あ体……わしの……一億エルラかけて作った特注の聖像が……断面が綺麗すぎて逆に怖い……あばばばば……」と、完全にバグったNPCのように不自然な挙動を繰り返したのち、白目を剥いて完全にシステムダウン(気絶)してしまった。
「……うん、やっぱりこの異世界の世界システム、根本的なフレームワークが古いプログラミング言語で組まれてるわね。型変換の挙動が不安定すぎるわ。これは本格的に仕様書を探して、根本からデバッグ(修正パッチを適用)してあげないと、そのうち世界そのものがメモリリークで崩壊するわよ」
私は一人、顎に手を当てて深刻に頷いた。
異世界エルラディン。神の奇跡という名の「ブラックボックス(聖魔法)」にあぐらをかき、メンテナンスを何百年も怠ってきたこの世界は、見かけの壮麗さとは裏腹に、内部はいつ致命的なシステムクラッシュを起こしてもおかしくないバグの山だったのだ。
「もういいわ、イルハ……。あなたと一緒にいたら、私の騎士としての理性が壊れちゃう……」
ガックリと膝をつき、美しい顔を手で覆うフェリス。
だが、その指の隙間から覗く彼女の瞳は、決して私を拒絶してはいない。むしろ、このガチガチに管理された教会の教義を、その圧倒的な理不尽さと独自のロジックで粉々にぶち壊していく私に対して、言い知れぬ「解放感」を感じているかのような、熱い輝きを宿していた。
「ふふ、付き合ってもらうわよ、フェリス。あなたはこのクソ仕様の世界で、初めて私の『ロジック』を正しく認識してくれた、唯一無二のデバッガー(相棒)なんだから」
気絶した大司教と、パニックでフリーズした神官たちを後に、私はフェリスの手を強く握りしめた。
出力調整という名のパッチ当ての旅は、どうやら想像以上に波乱に満ちたものになりそうだった。
こうして、私とフェリスの「世界システムのデバッグ」という名の逃避行……ではなく、パッチ当ての旅の幕が開いたわけだけれど。
現実という名のランタイム(実行環境)は、いつだって想定外のエラーを吐き出すものだ。
「――で。イルハ、これからどうするの?」
大聖堂の焼け跡から這い出し、深夜の裏通りへと身を隠したところで、フェリスが私の手を握ったまま尋ねてきた。
その綺麗な銀髪には、さっきの超高圧水流レーザーが跳ね上げた微細な水滴が、まるで星屑のようにキラキラと付着している。冷たい夜風に吹かれながら、彼女は少しだけ不安そうに、しかし確かに私の次の「ロジック」を待つように見つめていた。
「まずは現状のログ(状況)を確認しましょう。私たちは今、教会の最高権力者である大司教を気絶させ、国の重要文化財を物理クラッシュさせた。これ、完全に指名手配のフラグ(条件分岐)が立っているわよね?」
「立っているわ。それも、国家最高レベルの特級指名手配犯としてね。近衛騎士の私が言うんだから間違いないわ。今頃、教会のセキュリティシステム……神殿騎士団が全エリアに緊急配備されているはずよ」
フェリスはため息をつきながらも、私の突飛な用語に毒され始めていた。
その適応力の高さは、デバッガーとして非常に優秀だ。私は満足に頷く。
「なら、対策は一つ。このエリアから迅速にログアウト(脱出)すること。幸い、私には神話級のルート権限(10サークル)があるわ。教会の敷地を囲む防壁の暗号化なんて、セキュリティホールを見つけて一瞬でバイパス(迂回)してあげる」
「……よく分からないけれど、あなたに付いていくしかないみたいね。私の騎士としてのキャリア(人生)のプログラム、あなたと出会った瞬間に完全にクラッシュしちゃったもの」
フェリスは困ったように、けれど少しだけ楽しそうに口元を綻ばせた。
「ふふ、安心しなさいフェリス。私の書くコードに、未処理の例外は残さない主義だから」
私は彼女の手をさらに強く握り締め、教会の包囲網をハッキングするための第一歩を踏み出した。
このバグだらけの世界を、私たちの手で美しく書き換えていくために。
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