アノンの暴走
……アノン……なぜだろう?たくさん眠っていた気がする。頭がボーッとする。
うーん……音が少し籠もっている。なんだろう、揺れている?グラグラする、何だか、不思議な感じ。足はついてないようだ。宙に浮いている。誰かに運ばれているようだ。僕を運んでいる音だけが耳に届く。僕はどうなったんだ?いつもの看守は居ない。ここまでどう来たか、思い出せない。どこに連れてかれるのだろう。
もしかしてもう僕は……、……落ち着く匂いだ、少しひんやりする。そうだ。……これは木の匂いだ!……そうだ。
いつものあの石の所じゃない。冷気があるんだけど同時に澄んでいる。今のところ、足はあまり動かせない。よし。手を動かしてみよう。 少し手を伸ばしてみると柔らかいものにあたる。少し、さらりとしている。ひんやりとして気持ちいい。
「ヒッ」
「ごめん」咄嗟に僕は謝る。
「良かった!アノン起きたんだ。」
…………? …… あっ!そうか! どうやら"あの声"を聞いたあと、気を失っていたらしい。僕を抱く手はまだ温かい。まだミラと、一緒にいるようだ。そうか、まだ一緒なんだ。……嬉しい。
「そういえばここはどこ?」ミラに聞いてみる。
「いやねぇアノン聴いて!あのあとねぇ兵士に襲われちゃって、やっつけたんだけどうっとおしくてね、今はねちょうど、星でも照らせないところにいるの。たぶん森の奥深くじゃないかなぁ?」元気そうな言葉とは裏腹に彼女は肩で息を吸う音が聞こえる。どうやら激しい戦いがあったようだ。ミラの足音は乱れてないようだ。すごい。恐らく凄い闘いを繰り広げたのに。僕を抱えている。
そうこんなに強い、本当に勇敢な彼女がここまでになったということだ。それに比べて、僕は何もできなかった。
そう。"あの声"が聴こえて、あの怖い笑顔が見えて一瞬、"あの声"が僕になった。怖くて気を失ってしまった。
”あの声"とは何だったのだろうか?なぜだか僕にも見えた。そうあの光の輪郭……只者ではない、あの石の部屋からどうやら、僕を見ていた感じだ。でも一瞬、目のような所から涙が見えた気がする。そうあれは涙だ、わからない……けどわかった。僕に何をして欲しいのだろうか?僕は"あの声"を聴くだけで気を失うというのに。 そうこんなに何もできない僕なのに。”あの声"の贈り物は何だったのだろうか?。僕にはわからない。そうわからない。だんだん分からないが頭を埋め尽くしていった。
「うーん……」しまった。思わず、声が漏れてしまった。
「アノン、どうしたの?」
…………
「いや、大丈夫だよ」
ミラを心配させてしまったらしい。"あの声"について考えるのは何時でも出来る。とりあえず今は考えないでおこう。ミラが言うには「森」という場所らしい。
森か……小さい頃、お母様が言っていた。いろんな植物や、動物がいるんだって。そして、森というものは生命の源だ。みだりに入るものじゃあないって、勝手に入ると、神様が怒るんだって、神官さんがお仕置きをしにくるのだと。動物は鳴き声で彼らの居場所を伝える。でも、ここにはそれがない。ここには生命は、植物しかいないように感じる。風が不意に僕たちの間を通り抜ける。ミラの汗が僕の額にポトリと落ちる。どうやら、少し休んだほうが良いようだ。
「ありがとうね。もう大丈夫だよ。」彼女に優しく、労わるように伝える。
「そう、良かった。」 彼女はそっと胸を撫で下ろしたように言う。彼女はゆっくりと膝を下ろした。 もう一度、地面を踏みしめる。足が、僕の味方をしてくれる。膝も僕を笑わない。
「はい!」ミラは強引に僕の手を握る。
なぜだろう?今の手は少し感触が違う?なぜだ?あれだけ力強い手だった彼女の手は今では、なぜだろう?少しきめ細かく、お姉様やお母様に似ている。気になる、少し懐かしく手をしっかりと握ってみる。
「痛っ!」彼女が少し痛みで声が歪む。
「ごめん!」しまった!力を入れすぎた。
「もう……やさしくしてよね!」ミラは冗談らしく言う。
「フッ……アハハ。」
「アハハ……」
少し可笑しかった。それだけで愛おしい。ずっとこの時間が続けばいい。
「これからどうしようか?」ミラは僕に尋ねる。
「うーん、とりあえずミラも頑張ったんだから取り敢えず休んでそれから考えようよ。」僕はなんとなくそう言ってみた。
「……ありがとう……」少しミラのトーンが下がっていた。どうしたのだろう?なぜだかミラは泣きそうだ。
どうしたらいいんだろう?考えるより先に手が動く、手が宙を動く。 頭だ、こういう時は頭をなでるといいんだっけ?お母様も、お姉様もこうやって僕を慰めてくれた。僕にも、同じように出来るかは分からない。でもやってみよう。ミラの頭をゆっくりと撫でてみる。
「……グスッごめん少しだけ……」ミラが僕の胸に飛び込んでくる。僕は自然と抱きしめていた。
「大丈夫だよ……ねぇミラ?」
なにが大丈夫なんだろうか?それに泣いているミラに僕はなにもすることが出来ない。とりあえず、ミラと一緒にこうしていよう。それしか今のところ、僕にはできることが無い。それでも、出来るならずっとこうしてよう。そうずっと……彼女が良いと言うまでずっとこのままで。
風がミラを撫でいるように通り過ぎる……
「アノン……もう大丈夫だよ……」ミラの声には名残り惜しさを少し感じてたが、僕はもう何もすることができない。
「……そうよかった」僕もこういうしかなかった。
スゥー……風が僕達の間を取り抜けていく……風が僕達に離れろと言っているようだ。そうここでぐずぐずすることも出来ないのかもしれない。
「もう行こうか……」ミラはそう言って僕と手を繋いで歩き出す。どこに行こうというのだろうか?行く当ても無いというのに、分からない……でも二人は歩くしかなかった。沈黙が続く、何を話していいか分からない。ミラも相当疲れていると思う。それでも歩くしかなかった。何も当てもない二人旅それもいいのかもしれない。そうこのまま二人で歩き続けても。
アハハ……アハハ……誰かが笑ったように聞こえる。耳を澄ませてみる。木の音でも、葉っぱが擦れる音でもない。いや聞こえるはずがない。また"あの声"なんだろうか?それなら出てきて欲しい。ミラの握る力が強くなる。ミラが足を止める。
「ねぇアノン足音が聞こえない?」ミラが不審な感じで聞いてきた。
「何も聞こえないよ。」咄嗟に言ってしまった。嘘は言ってはいけないはずなのに。
「アハハ……疲れてるのかな」ミラは少し笑って、そう言う。
「そうだよ……少し疲れている。」僕はそう答える。
僕も疲れているのかもしれない。今日は、僕も色々あった、そうここでゆっくりしたほうがいいかもしれない。今日という日が初めて分かった日なんだ。体が暖かい。まるで何かに照らされてるみたいだ。
「あれ?夜が明けちゃった?」ミラがそう言う。
「キレイ……」ミラが見惚れた様に言う。
木から光が反射して幻想的であるそう空からの光が反射してまるで地面の下根から滲み出るようだった。キレイだ。
「キレイだね……」思わず声が漏れた。
「そうだね……」握る手の力が緩む。
「ねぇまるで私達を祝福しているかもしれないね。」
そうかも知れないなぁ、光は暖かく僕達を迎えているような気がする。
「そうだね……」
「ねぇこの森を出たら……ゴブリンの村に行ってみない?……」
ゴブリンといえば、お母様から聞くと、どうやら神様から、"祝福"を受けてなくてへそを曲げているらしい。と聞いた、そう言いながら僕を撫でる手は弱々しかったのを覚えている。……そう綺麗だ、もしかしてそこに行けと言っているのかも。
「そうだねそれもいいかもしれない。」
風が静かに流れる。……?光が綺麗?どうして僕に?見えている?ミラの手を握る。ゆっくり、そこへ首を向けてみる。……前と同じだ。ミラの顔が、見えない。……?ミラの手をもう一度手を握ってみる。
「わぁ……綺麗……」ミラは完全に光に感動している。どうやら反応がない……
「ねぇ……ミラこっちを見て」ミラの手を僕の額に当ててみる。ミラの手の熱を感じる。
「……どうしたの?アノン」恥ずかしそうに僕に話し掛ける。
「ようやく気づいた?ミラ?」僕は優しく話しかけてみる。
「あれどうしたんだろう?……光が確かに綺麗で?あれ真っ暗だ……どうして?」 ミラが不思議そうに話している。どうやら……まだ夜らしい。
「アハハ……バレたか。ふーんやっぱり君は「ホンモノ」だね……アハハ」"あの声"が僕の中に話し掛ける。
「君は誰なの?」僕は、初めて"あの声"に話しかけてみる。
「アハハ……ボクは誰でもあって誰でもないよ……アハハ……」"あの声"の答えは曖昧だ。
「まぁ、ご褒美に教えて上げるよ。君達追われてるよ?仮面の子面白いね……多分君も驚くよ。会ったらアハハ……まぁ君は気づかないかもね。」
仮面の子?誰だろう?
「痛っ……」ミラの悲鳴が聞こえた。どうやらミラが強く手を握り返してきたらしい
「誰と話しているの?……私のこと無視するの?……」ミラがどうやら痺れを切らしたらしい。
目の前の光が叫びだす、光がざわざわする。目の前の光が蠢き出す、……ザワザワ。
「アハハ……少し眠ってて貰おうか?アハハ……君が起きてると面倒くさいしアハハ……」光が頭を駆け巡る。ミラの手を離してしまった。なんだろう?どうして?
「ねぇ!アノン大丈夫ネェ……無視しないでよ!…………」ミラの声が遠のく。
「まぁ、少し眠ててね、バーイ……アハハ……」……
――
「ねぇ!アノン大丈夫ネェ……無視しないでよ!」アノンに向かって叫ぶ。涙が溢れてくる。アノンは何かに向かっている。わからないけど、それだけはわかる……何かおいてかれる気がした。
「ねぇ!置いてかないでよ!!!」アノンは手を握っても、何をしても、応えてくれない。アノンの身体が急に倒れていく。まるで誰かに何かを抜かれたかのようだった。
「アノン!!!」アノンが崩れ落ちる。幸い、腕の中だ。まだ息がある。誰かに魂を持ってこられてないようだ。まだ体温がある。その顔は静かだった。まるで何かを見つめているようで、その目の奥には“この世ではないどこか”が映っている気がした。私は怖くなった。さっきまで笑っていたアノンが、今は、もう遠い場所の景色を見ている。私じゃない、誰かを見ている。アノンが誰かと話しているのは分かった。でも私には聞こえない。そう、あの地下の冷たい暗い独房でもそうだった。アノンにはなにかが聞こえている。でも私には聞こえない。そう――聞こえない。仕方がない……そう仕方がないんだ。それでも、少しだけ羨ましかった。アノンだけが見ている“何か”がある。その向こうに、私の知らない世界が広がっている。けれど――その世界に、私は連れていってもらえない。
「よし!」私は切り替えると、気を失ったアノンを抱える。恐らく、追手が来るのであろう……速く逃げないと……どうやって?逃げればいい?カンジ――仲の良いゴブリンの奴のところへ行くにしても、ここがどこだかわからない。行く宛だってない……。あたりはまだ暗い。風が、木々の間を縫うように通り抜けていく。遠くで何かが鳴いた気がした。夜が息をしている。綺麗だったあの光は……?アノンは教えてくれたのかもしれない。あの光は危険だよって……体が震えだしている。向こうのあたりが光ってるように見えた。ヒュー……風が私の背中を押す。体が勝手に動き出す。夜の中へ。あの光の届かない場所へ。アノンと共に……。
夜が、思い出したように風を吹かせた。その風は、森の枝葉を揺らしながら、私たちの足跡をなぞっていく。追われているのか、導かれているのか――分からない。ただ、何かが確かに、こちらを見ている。気配がこの奥からいざなっている。アノンを抱いた腕に力を込める。 まだ温かい。でも、そのぬくもりの奥で、アノンの心だけが遠ざかっていく気がした。その感覚が怖い。まるで私の知らない誰かが、アノンを呼んでいるようで。私がどれだけ抱きしめても、アノンの心は少しずつ、私の手をすり抜けていく。私がどんなに笑っても、アノンは見えない……私が見えない、誰かがアノンには見える。
「お願い……」息が白く滲む。それでも私は走る。アノンに追いつけるように。もう一度、あの子の笑顔に追いつけるように。それだけを願って。
……ザラ……ドサ。足がもつれた。湿った土の感触。頬に冷たい風。痛みよりも、音のほうが先に響いた。倒れた私の腕の中で、アノンの髪が揺れる。その柔らかさに、ようやく少しだけ現実を感じた。泣きたかった。けれど泣いたら、止まれなくなる気がした。何かが、近づいてくる。それは風よりも静かで、夜よりも確かだった。胸の鼓動がひとつ、世界に響く。
……静かだ。風の音が途切れ、森が息を潜める。まるで世界が、何かを見届けようとしているようだった。
腕がわずかに震える。アノンが震えたのか、私が震えたのか分からない。アノンは今なにを感じているのだろうか。夢を見ているのか、それとも何かを聞いているのか――わからない。でも、確かに“呼ばれている”ような気がした。アノンのまつ毛がわずかに揺れる。その動きひとつで、胸が痛くなる。
……いや、違う。風じゃない。空気の流れが、どこかおかしい。耳の奥で“ひゅう”という音が響いて、すぐに止んだ。空気が反転した――そんな気がした。
夜がこちらを見ている。息を吸うたび、森の奥の闇が濃くなっていく。気づけば、あたりの音が1つ残らず消えていた。何かが、近づいてくる。それは風よりも静かで、夜よりも確かだった。胸の鼓動がひとつ、世界に響く。森の奥で、何かが軋む音がした。足を止める。耳を澄ませる。
ギギ……ギギギ……まるで金属が擦れ合うような、重たい音。風ではない。木でもない。あれは――足音だ。体の奥がピリッとする。何かが近づいてくる。ただの獣ではない。相手はこちらを狩るつもりだ。息を殺しても、相手の気配は消えない。まるで私の呼吸の音だけを追ってくるように。喉が焼ける。寒いはずなのに、汗が背を伝う。空気が張りつめて、肺の奥が痛い。ああ……この感じ、知っている。生きて帰れるか分からないときの、世界の静けさだ。胸が苦しい。呼吸を整えようとする。アノンの体温が腕の中で揺れるたび、鼓動の音が夜の静けさに滲む。 肩が上がって息が漏れそうになる。お願い……聞かれないで。この音が、誰にも届きませんように。
――ザッ。地面を踏みしめる音が、近い。私は咄嗟に身を低くした。枝の隙間から、ぼんやりと灯りが揺れている。松明の光がこちらを見つめる。
「どうして……まだ追ってくるの?」その問いが自分の胸の中に渦巻く。それでもこれだけは問いてはいけない。何故なら私は"祝福されていないもの"だからだ。その問いは夜は私に嘲るかのように重くのしかかる。追手だ。カン……。金属の響き。鎧の音。何人かいる。風が、彼らの息を森の奥まで運んでくる。血と火薬の匂いが混じっている。もう、見つかっているのかもしれない。もう――逃げたい、ここからずっと。でもアノンの手が離れられない。私の手はもう離してくれないのだ。そのとき、風が一瞬だけ逆流した。まるで森が、誰かの名を呟いたように。
風が止んだ。夜の息が、ぴたりと凍りつく。森は、いつも通り静かだった。それがこの森の「生きている音」。けれど今はその静けさの奥で、何かが目を覚ましている気がした。足元の枝が、ひとつだけ小さく折れた。その音が、やけに遠くまで響く。もう隠れきれない。体が勝手に震える。アノンの体重が腕の中でずしりと重くなり、呼吸のたびに熱がこもる。息が合わない。鼓動がずれていくのを感じる。
アノンを抱えているのに、アノンと一番近いのに、どんどん遠くなる気がする。そう、こんなに近いのにどんどん遠くなっていく。そう思ってしまう、自分から目を背けたかった。そう遠くなんてなってないのに、私は、ついにアノンに顔を離してしまった。アノンから、逃げてしまった。松明の光が、枝の隙間でふっと揺れた。闇が割れる。そこに立っていた。
仮面の騎士――。いや、違う。その立ち方を、私は知っている。鼓動がひとつ、跳ねた。あのときと、同じ間合い。あの強敵だ。喉が渇く。
「ラディス……」名前は体が覚えていた。
仮面が妖しく光る。
「もうそろそろ頃合いかな?やぁ……あの光は綺麗だったかなぁ?」
あの光はこの仮面の騎士によるものだったらしい。ならアノンと話してたのはコイツかもしれない。
「アノンに……何か吹きかけたのでしょ?」
仮面が不思議そうに傾げる。
「アノン?……そうそいつがそうか」仮面が悲しく光る。そしてアノンを指差す。
「そいつを渡してくれないか……どうやら大切な魔物いや……大切な物らしいんだ。」
その言葉に、力が入る。近いか遠いかなんて関係ない。今は、私が守るんだと。
「まぁ君も、そこにいるそいつも、王様が面白いって。勝ったら――今回は引いてやる。」
「すごい自信だね。」
声が震える。足がすくむ。
「僕は負けたことがないからね。"魔物に"はね」
背後に兵士の大軍がいるらしい。アノンを救うためにはそれを飲むしかない。アノンを近くの物陰に隠し。息が止まる。仮面の騎士はまだ、剣を抜かない。ただ、まっすぐこちらを見ている。その姿勢が、余計に怖かった。その瞳の奥に、私を仕留める色とは違う色があった。何故か目の前にいる仮面の騎士が迷よってるように、見えた。騎士なのに、何か繊細なものを。王のためではないもの、それは、まるで……哀しみのようだった。
待ちきれなかった。仮面の騎士の迷いに呼応するように、拳を握り、一打を放っていた。仮面が光る。その瞬間、一閃。刃が走った。しまった、斬られる。
ガン――。鈍い音が夜を裂いた。刃は刺さらず、ただ私の体を叩きつけた。
「痛っ……」
「君、どういう硬さをしてるんだよ。やっぱり君は危険だ。」
斬られてはいなかった。でも、確かに触れた。剣が当たったのは――初めてだった。剣は通ってない、死にはしない、これならまだ戦える。
「これならどうかな?」
目では追えない、これなら受けられる。一発当てさえすればいい。
「おっと?」
拳の圧で兵士の軍団に風穴を開ける。風が止まった。拳と剣が、空気の中でぶつかり合う。一瞬の衝撃が、夜の奥まで波紋のように広がった。互いにもう一歩も動けない。踏み込めば終わる。だが、踏み込まなければ――この緊張も終わらない。森が、私たちの呼吸だけを聞いている。ラディスの剣先が、かすかに揺れた。呼吸の乱れか、それとも……ためらいか。星明かりに照らされた仮面の奥が、何かを訴えている気がした。
「……本気じゃないね。」
「そっちこそ。」
その短い言葉が、打ち合いよりも重かった。互いの息がぶつかり、夜の空気が震える。何度も攻撃の形を作っては、壊した。攻める理由も、退く理由も、どこかへ消えていた。ラディスが、剣を下げた。風が、再び森を撫でる。その静けさが、何よりも恐ろしかった。
「楽しいね……僕の剣で斬れないのは初めてだよ。」一瞬、仮面の奥で笑った気がした。
「まぁ君がこうじゃなかったら――楽しかったのにね。」その声は、どこか楽しげで、どこか寂しげだった。仮面の向こうに、揺れる人間の影が見えた気がした。
その震えが、私の胸に落ちた瞬間――拳が、もう一度、勝手に握られた。……静かだった。風も、星も、息をするのをやめていた。ただ、私とラディスの間にだけ、時間が残っていた。剣先がわずかに下がる。その動きに、私の拳も緩む。ほんの一瞬、理解が交わる。――この時をもう少し味わいたい。そう二人は願っていた。その瞬間だった。
「今だッ!!!」怒号が夜を裂いた。背後の兵士の一人が、焦燥のように駆け出した。魔法が放たれ、甲冑が鳴る。それだけで、世界の静けさが粉々に砕けた。
「やめろッ!!!ここは神聖な森なんだぞ!!!」ラディスの声が飛ぶ。怒りでも命令でもない。――悲鳴だった。祈りだった。
「魔物に礼儀だの要らない!!!コイツラを倒すにはこうするしかない!!!」だが、兵士の足は止まらない。星明かりの下で、魔法の大渦が迫ってくる。松明の火が、恐怖と熱で歪む。私は咄嗟に構えを直す。 拳が、また勝手に震えた。怒りなのか、恐怖なのか、自分でも分からない。
「来るなぁ!!!」
次の瞬間、風が爆ぜた。空気が裏返り、兵士の列が吹き飛ぶ。木々が軋み、土が浮き上がる。まるで夜そのものが、私を守るように暴れた。ラディスが剣を構える。
その構えは少し崩れていた。森が泣いている。なぜだかその音が聞こえた気がした。……やるしかない。私は、もう一度、心に火を灯した。
「オーイ……ねぇねぇ、“ホンモノくん”……」誰かが、僕を呼んでいる。
「ねぇ、聞こえてる? ねぇねぇ、“ホンモノ”?」光が輪郭になって、揺れている。これは前にも――見たことがある。
「君の大事な人、やられちゃうよ。アハハ……」
音がしない。風も、燃える音も、全部、遠くへ行ってしまった。焦げた匂い。冷たい地面。胸の奥がまだ熱い。
「……ミラ?」声を出した。けれど返事はない。代わりに、どこかで――息遣いが聴こえた。
「ハァ……ハァ……」それが自分のものかどうかも分からなかった。頭が湿っている。多分これが土だ。土を払って、立ち上がる。
「アノン!今は、起きちゃだめ!!!」ミラの声だ。止めようとしている。でも、もう、止められない。
「グヘヘ……」下卑た笑いが聞こえる。
「もう一匹の魔物が起きたか!」
「ラディス様はああ言ってたが、もう知らねぇ!!!」
「そうだ。ラディス様も『もう好きにしろと』言ったんだ!仲間もそっちのやつにやられんてんだ。」好き勝手に言い出す。「合わせるぞ!!!」怒号とともに、何かが来る? 熱いの、冷たいの色々だ?これはまずい、それだけはわかる。なぜだろう?何も変わらないのに目を瞑る。ドン!!!何かの音が聞こえる。
「アノン大丈夫……?」ミラが弱々しく答える。
「やっぱりこいつ硬えなギャハハ」
「今回は、撃ち返して来なかったぞ」
「奥のやつがどうやら本当に大事らしいな。」
「やっちまえ!!!」「ヒャッハー!!!」
ドカ、バキ……
「うっ……」ミラが弱々しく、うめきを上げる。 心がざわざわする。 頭が真っ白になるこんなことなら、自分も……と思って、身を乗り出す。
「来ないで!!!」ミラの悲痛な声が聞こえる。ミラの姿がまるで小さくなるようだった。
「もうそろそろ頃合いか」
「とどめだ!!!」野蛮な声が森に響く。どうすればいいのか、分からない。そもそも、僕にどうこうする力なんてない。元々、閉ざされた視界が、本当に閉ざされていく……。もう、ミラとここで終わっていいのかもしれない……。そう、最期にこうやってミラと逝けるならそれでいい。
「何言っているの?」光が僕の視界の中で再び、輪郭を作っていく。そう、”あの声”だ。
「何つまんないこと考えてるの?アハハ、やっだ面白い」
「あの声」は僕を嘲るように笑いかける。正直、一番聞かれたくない相手だった。でも、何故だか、今は一番頼れる存在な気がした。
「でも、僕は何もできないよ」光が聞こえる方向に呟く。
「おい!奥にいるやつ遂におかしくなり出したぞ。」
「まぁいいじゃないか。2匹とも、優しく葬ってしまおうぜ!!!」何かをわめいている。
「まぁまぁ、君はボクのいう通りにしたらいいよ」
「あの声」は意気揚々と指示を始める。あたりがなぜだか、静まり返っていく気がする。
「……」なぜだか野蛮な声が聞こえなくなっていく。
「ねぇ?君は光は見たことはある?」"あの声"は前と打って変わって優しく問いかけてくる。
「何だよ気持ち悪いな?」
あまりに気持ち悪かった、考えるより先に、言ってしまった。
「……」なんだろう?怒らしてしまったのだろうか?なぜだか胸がドキドキする。
「アハハ……!面白い君、やっぱり君はホンモノだね。まぁ、それもいいけど彼女、死んじゃうよ?」背筋が冷たくなる。どうやら機嫌は損ねてないようだ。
「君のは見えているよ。」僕は正直に言った。
「アハハ……ボクを見えているのかアハハ……」
光が一瞬点滅したようだった。
「それなら話は速いね……、君の持っているものを爆発させるんだよ。」
体が熱くなっていく。
「なにこれ?」
「これは君が持っている本当の力だよ。」
呼吸が消える。脈が裏返る。音が、目の奥から鳴りはじめた。何もかも遠のくのに、自分の内だけが異様に近い。なぜだかは、わからないけれど、やれる気がした。
「さぁ解放してみよう……」
だんだん何も感じなくなっていく……光と一体になっていく。そうだこれなんだ……これが僕……これが僕なんだ。
「アハハ……キレイな光!」
光の椅子で"存在"が呟く。
「そうだ!この子の本当のお誕生日になるね。記念に前の子に教えてもらった、あのお歌を歌おう。そうだ、いいね!」光が楽しそうに舞う。
「ちょっと待って、この子のお誕生日だからせっかくだから、あの子と……そうだフフあの子も助けちゃおう。まったく……自分で殺しちゃってもつまらないからね。アハハ……」光は忙しそうにせっせと何かを施した。
「よし!準備はできたぞ。さんはい、ハッピバースデートゥーユー、ハッピバースデートゥーユー、ハッピバースデートゥーユー、ハッピバースデー、ディア……」
「うん?やっぱりこの子の名前上手く言えないな?まぁ良いか。ハッピバースデー トゥー ユー……おめでとう!!!」
光は楽しげに、けれどどこか震えながら歌い続けた。壊れた音を撒き散らして、響き渡る。それと一緒にアノンを包む光はどんどん森を飲み込んでいく。 それはまるでアノンの光が森を燃料にして燃え続けてるようだった。そうやって光と音のオーケストラを奏でていった。




