ミラとの逃避行
「ふぅ、ようやく出られたようね。まったく……この場所、この国みたいに陰険ね」
ミラは肩で大きな息をしていた。少し、大粒の汗が僕の額に落ちる。その声には少し疲れが混じっていたけれど、不思議と明るかった。達成感に満ち溢れていた。彼女は僕の名も無い真っ黒な思い出に光を灯してくれた。大地を感じる、僕の感情が少しずつ変わっていくのを感じる。湿っていた石の匂いやホコリ臭さが消え、代わりに土と草の青々とした匂いが混じっている。どうやら、別の場所に出てきたらしい。風が頬を優しく撫でる。暖かい。体が空気を優しく包み込む。それだけで胸の奥がじんわり熱くなる。体の奥が、ゆっくりと目を覚ましていくみたいだ。僕の体全体が喜んでいる。なにかが蘇る感じだ。今はもう、僕を遮る天井も湿った石も、あの陰険な看守もいない。音が反響しない。それとミラもいる。それだけで、世界がこんなにも広く感じるなんて。今、ようやく"外"にいるんだ。
「ねぇ、アノン。降りてみる?ここだったら、ゆっくり立てると思うの」
「うん……降ろしてもらっていい?」
「もちろん!」ミラは僕を抱え直した。その腕が、ほんの少し震えていた。戦いの疲れなのか、それとも別の理由なのか。けれど、その震えは不思議と優しくて、僕の胸をくすぐった。彼女はそっと膝をつき、僕を地面へと下ろしていく。腕の力が抜けるたび、世界の重みがゆっくりと僕の足へ移っていく。
その瞬間、足の裏に、柔らかいものが触れた。土だ。ぬかるんでいる。けれど温かい。指の間に草の葉がすべり込み、ひんやりとした感触が伝わる。大地が、生きている。その事実だけで、息が詰まりそうになった。ミラが僕の手を握る。
「立てる?」彼女の声は、風よりも静かだった。僕はうなずいて、片足を前に出した。
膝が少し軋む。けれど、もう倒れなかった。両足で地を踏みしめた瞬間、体の内側から音がした気がした。血の流れる音、鼓動の音。それが、世界と混じり合っていく。
「……立てた」
「ふふ、当たり前でしょ」ミラは笑った。その笑顔は、どこか泣きそうにも聞こえた。風が二人の髪を撫でる。草の匂い、火の匂い、そして遠くの水音。それらが重なって、まるで世界そのものが息をしているように感じられた。
「外って……こんな匂いなんだね」
「ええ。痛みも、喜びも、風も、全部が感じられるよ」ミラの言葉は、寂しそうで、でも優しかった。
見えない空の向こうから、鳥の声がした。澄んだ、高い音。その一瞬で、心の奥の何かが溶けていく。耳で聴くのではなく、胸の奥で聴いている気がした。
「ミラ……ありがとう」そう言うと、彼女は短く息を呑んだ。そして、少し間を置いて笑った。
「お礼なら、この国を出てからにしてよ。まだ油断できないんだから」彼女の声に、少しだけ影が差した。風が一瞬止まる。その横顔が一瞬魅力的に視えた。視えないはずなのに。少し見惚れていた。
「……アノン!アンタ本当は見えてるでしょ!アナタが嘘をついてたら私は、……本当に……」ミラは泣きそうな声で僕に訴えた。僕は息を飲んだ。確かに、さっきまで暖かかった空気が、どこかざらついている。遠くで、低い唸りが聞こえた気がした。
「ごめん!」ミラに謝ろうと思って手を伸ばした。
手は空を切る、もう一度手を伸ばす。そこには彼女の手はなかった。これは夢かもしれない……目から涙が溢れ、頬に伝わりそうになる。
「アハハ!そうだねアナタは嘘はついてないね!ごめん!」ミラの手が僕の手をぎゅっと優しく包む。
「行こう。ここに長くいたら、また見つかる」
その手の温度が、頼もしかった。その手が何より嬉しかった。僕は頷いた。足元の土が、確かに僕の体を支えてくれている。もう、あの冷たい石の上にはいない。風が再び吹いた。葉が鳴る。どこかで小さな火が弾ける音。世界が、動いている。
「ヨシ!取り敢えず街の方に行こう!」ミラは元気そうに、僕にニコッと語りかけた。
「うん、そうしよう」僕もわからないけど頷いた。街ってどんな感じだろう?二人で歩くってどんな感じだろう?よく分からないけどミラと一緒なら、何でもやれる。
「街ってどんな感じだろうね?」
「そうね。私1回屋台に行ったことがあるけど美味かったのよ。」
ゆっくりと歩みを進める。次第に二人とも話題がなくなってくる。突然始まった二人旅、そうなかなか話すこともない。でもずっと二人、離れないように手を繋ぎ続けている。そうだこの世界でたった二人、二人だけの旅なんだ。何故だか、胸の奥がドクドクと波を打つ。それが嬉しいのか、怖いのか、悲しいのか分からない。握った手から彼女の鼓動を感じる。握った手から彼女の汗を感じる。彼女もドキドキしているのだろうか?そうに違いない。そうなら今、僕たちは二人一緒だ。
「一緒だね。」僕は嬉しくなって、ついそんなことを言ってみる。
「バカ……」少し握る力が強くなる。痛い。なぜだろう、痛いのに嬉しい?殴られてもこんなことにはならない。そもそもなんで握る力が強くなったのかもわからない。それでも、こんなにも“生きている”と感じたのは、初めてだった。
風が二人の間を通り抜ける。頬に当たるその風が、どこかさっきより冷たい。風の音が少し変わっている、さっきまで穏やかだった風が僕たちを吹き晒している。鳥の鳴き声?鳥の羽ばたき?いや、鳥じゃない。もっと"何か"が空を動いた。
胸の奥がドクッとざわつく。空気が静かになっていく。空気が澄んでいくのに、不思議だ……自然と背筋が寒くなってくる。風の音が、ひとつひとつ数えられる。ミラも気づいたのか、僕の手を少し強く握った。握ったその手が汗で湿っていた。その汗は今までの汗と違って冷たい。僕の手もだんだんと冷たくなってくる。二人の額に一筋の汗がポトリと落ちた。そのときだった。
「アハハ……アハハ……大変な道を歩む君たちにボクからの最高の贈り物、記念にね。」声が降ってきた。僕の耳の奥に直接、響いている。
「今の、誰の声?」今回はミラにも聞こえている。
「わからない……けど、たぶん“また”だ。」風がざわめく。草の海が波打ち、土の下で何かが蠢く音がする。見えない“目”が、僕たちを見つめている気がした。
「贈り物って……なにをくれるつもり?」僕の問いに、声は答えない。ただ、その瞬間、世界が僕たちを笑った気がした。次の瞬間、地面が鳴った。
空気が跳ねる。砂が微かに浮き、空気の波が僕たちを撫でていく。風も空も、息を止めた。僕たちだけが取り残されたように感じる。大地の下で、何かが蠢いている。
音じゃない、でも“聴こえる”。まるで世界そのものが呻いているようだった。次第に、それは形を持ち始めた。足音いや、鼓動のような音が地面を伝ってくる。二人しかいなかった世界に、何かが割り込んでくる。
「……アノン、掴まってて」 ミラの声が震えていた。ミラは、すぐに僕を抱きかかえ、草葉の物陰へと押し込む。
「ここでじっとしてるの!」
その声は震えていた。泣きそうなほど優しかった。
地面が裂けた。裂け目の奥から、光のような――けれど光ではない“何か”が滲み出す。 液体のように流れて、形を変えながら、ゆっくりと地表を這い上がってくる。見えた?どうして?それは人の形をかたどっていた。でも“人間”じゃない。
「ハロ―、こんにちは?こんばんは?まぁ何でもいいか。"ホンモノ"くん……アハハ……」
「…………」ミラの叫んでるのはわかる。何かを必死で訴えてる。
「…………」ミラはまだ叫んでる。音だけが聞こえる。
「ねぇねぇホンモノくん」輪郭が定まらない。まるで夢の中で見た誰かを、無理やり現実に引きずり出したみたいに。
「ねぇねぇホンモノくんアッレー?君に言ってるんだよ?反応ないからまぁいいや。アハハ……どう面白い? さぁて君たちはどう出るかな?」あの声だ。どこからでもなく、僕たちの周囲すべてから響く。贈り物。それは笑いながら、ゆっくりとこちらへ顔を向けた。顔のない顔で。笑顔なんて僕は見たことないが、それは邪悪な笑顔だと感じた。一瞬その顔が泣いたように見えた。光の粒が輪郭からポトリと落ちる。……何が見えたのか?光の粒が涙に見えた。その瞬間風が泣き声のように泣いた。一瞬その顔が消えた。
次の瞬間、またその笑顔がその邪悪さをさらに輝きを増した。…… 怖い、その笑顔が変わっていく、そして僕の顔になった!自分の顔なんて見たことないのに!その瞬間、あたりの空気が裏返る。現実が交錯する。耳の奥で、現実が再び僕の耳に割れんばかりに叫びだす。
「おい貴様! あそこの建物が壊れたのを知っているか!」現実の声だ。誰かの叫びが近づいてくる。
「知らないさ、そんなこと!」遅れてミラが叫んでるのが聞こえる。謎の声の笑い声と、現実の怒声が重なって、世界が二重に響く。音があふれる中で、僕は確かに僕の世界がぐちゃぐちゃと乱れ崩れていくのを感じた。
「……アハハ、アハハ……」"あの声"の笑い声がぐるぐると頭を巡る
頭が痛い。 足が不思議と震えだす。地面が揺れてる?地面の感覚がなくなる。
なぜだろう?どうして?世界が僕を拒絶しているみたいに僕の体を重くする。自然と地面に手をつける。見えないのに、頭の中がどんどん"あの声"に埋め尽くされている。
「アハハ……」目をつむっても消えない。 顔に草のとけどけとした感触が伝わってくる。
「…………」ミラが泣きそうな声で叫んでる。叫んでる?……わからない……わからない?…………
――――――
ドサッ……草場の物陰から鈍い大きな音がして静かになった。胸の奥がドクッと音を立てているのがわかる。口が渇く。頭が真っ白になった。考えるより先に叫んでしまった。
「アノン!!!」あっ、しまった。兵士と話していたんだった。
「急にどうした貴様!!!」兵士が興奮して私を怒鳴りつける。どうしよう?どうしよう?
「そういえばこいつは……」 後ろにいる兵士が怒鳴った兵士に耳打つ。張り詰めていた空気が一瞬緩む。
「そうか例のナナシか、……いや?こいつは魔物でいいなぁ?…………」急に静かになる。バレたか?いやバレているだろう。兵士の口元が醜く歪むのがわかる。ぎゅっと拳に力を込める。
「グヘヘ……」兵士の怒鳴りが次第に下卑た笑いに変わるのがわかる。
「何だ何だお楽しみは俺にもやらせろよ!」さらにゾロゾロと兵士たちが群れをなして、やってくる。そうやって乾いた夕焼けを漆黒の夜へと変えていく。もう一度拳を握ってみる、少し血が出るよし!力はまだ出る。兵士達は醜い獣のように私に視線を向ける。身が一度ブルっと震える。体の中心に熱が籠もってくるのがわかる。胸の奥の音が静まる。漆黒の夜が、ミラの呼吸と呼応する。あたりが、スーッと息をひそめた。
息を潜める。殺気を出すな。ゆっくりと相手の出方を伺え。
「スーッ」息を吸い込む。呼吸を一瞬、止めた。
…………
「ぎゃハッハ!」
「くらいな腐れ魔物が!」
「おい、身体は復元出来るようにしろよ!」
「コイツぁ上玉だ!」
「神におわします……」
「火の精霊よ……」無駄な詠唱。無駄な動作。風、炎、氷――無駄に重ねていく。
「選ばれし者からの祝福だ! 受け取れ! 魔物よ!!!」
頭の奥が熱くなる。拳に、さらに力を込め、構えた。
「あっ、頭きた!!!もうどうでもいい!!!フン!!!」
私は思い切り拳を兵士の方へ突き出した。 魔法はまるでそこへ行きたがっているかのように拳へ寄り、サァーっと消える。
兵士たちは互いの顔を見合わせる。
「おい! テメェのせいだろう!!!」ひとりの兵士の顔がみるみる青ざめる。
「そもそもキサマが悪いだろ!!!」別の兵士の頬が怒りで真っ赤になる。
「オイ!! 今度は魔法を揃えるぞ、火だ!!!」兵士の長が顔を無理に整え気丈に振る舞う。
「今度こそ受け取れ! 腐れ魔物!!!」詠唱の声はより荒く、より必死になる。
「フン……」今度は丁寧に息を整え、拳を突き出す。
「ボン」拳圧が術式の根本を砕き、目の前で小さな破裂を起こした。
兵士たちは一斉に息を呑んだ。
「な、なんだ…………魔法が消えた……」情けない声が漏れ出す。次の瞬間、彼らは後ずさる。兵士たちは、一瞬の出来事に目を見開く。理解できない、信じられないという顔。兵士の足は、勝手に音を立ててまるで地面が揺れてるかのように震えていた。
「何かのトリックだ!」
「そうだ! そうに違いない!」
「こいつは魔物だ! 魔法なんて使えるはずがない!」 兵士たちは声を絞り出し、私を睨みつける。ただ拳で術式を砕いてやった。それだけだ。確かなのはこれだけだこいつらは私に怯え出している。ふ、と笑みが浮かんだ。息が整う。胸の奥が静まる。頭がすっきりしていく。 茂みを見れば、アノンが仰向けに倒れ、穏やかな顔で眠っている。傷はないようだ。安堵が胸を満たし、笑みが零れる。
兵士たちの視線が私に集まる。今なら、行ける。土を軽く踏み締める。土は素直に私に返事を返してくれる。 拳をもう一度握り、周りの空気と呼吸を合わせる。今だ。今しかない。アノンを守る。
土を踏みしめる。足場を固める。焦るな。早まるな。誰も、アノンを取ろうとはしていない。ヒュッ……風を置き去りにした。兵士たちは、まだ私のいた方をみている。まるでそこに何か、大切なものがあるみたいに。安堵で、少し胸の奥が軽くなる。アノンのいる方向に足を向ける。アノンの方向に世界が呼びかけているかのようだ。
居た!アノンだ!胸の奥が熱くなってくる。静かに足を下ろす、アノンを抱きかかえる。少し軽くなっている。くすんだ目も愛おしい。涙が落ちそうになってくる。
落ち着け!ミラ!ここはまだ戦場よ!一度深呼吸する。あたりをゆっくり見渡していく。冷静に見ると兵士達はかなり多い。恐らく、ここからすぐ逃げるのは、無理であろう。風は、私の間を割って入る。戦えと。
「おい!あいつはどこだ!」まずい兵士たちは私を探し出している。ここでは、アノンが巻き込まれてしまう。
あたりを見渡し、目を凝らし、いい場所を探す。まるで、私の目がそこがわかったかのように焦点があった。草の高さが高く、土がふかふかなようだ。私は呼吸を押し殺して、存在を消す。なんだろう?今まで、存在を消そうとして嬉しかったことはなかった。それでも本当に嬉しい。そう名前を教え合った彼を助けたい。もう独りぼっちにはなりたくない!そのためならなんだって出来る。そこへつく。丁寧に膝を下ろして、アノンを丁寧に地面に寝かせる。
アノンの気を失っている顔もまるで輝いて見える。顔が赤くなる。心臓の鼓動が速くなる。風がもう一度私の間を取り抜ける。何をしている?行って来いと。アノンの顔をもう一度見る。
名残惜しい。ええい!アノンの額に口づけをして
「行ってきます。必ず、帰ってくるね」
「よし!行くか!」
ヒュッ……兵士たちに向けて走り出す。音があとから聞こえてくるみたいだ。 土が、いや、空気が、私を応援しているみたいだ。世界がまるで私を応援しているかのようだ。
……ありがとう。 風が背中を押す。
……イッテラッシャイ……よし!ここならもう十分だ!
今度は風が、ピタッと止まった。まるで「ここで戦え」と言わんばかりに。覚悟を決めろ!その風を胸の奥に目一杯に吸い込み、喉を開く。
――さぁ……世界を震わせろ!!!
「私はここよ!!!!!」
その声が、止まっていた風を切り裂いた。切り裂かれた風はうねり、やがて波となり、大地を叩く大津波のように兵士たちを呑み込む。持っていた松明がたちまち掻き消える。
バタッ!!!兵士の一部は声だけで地に伏し、残った者たちは、うわごとのように呟く。
「な……なんだ? 声が……俺たちを、飲み込んだ……」
「おい!しっかりしろ!」中でも兵士長らしき人物が兵士達を鼓舞する。しかし、その声も風の中に消える。兵士たちは、さっきまでの威勢などなくただうわ言のようにあたりを彷徨う。よし!これなら逃げられると思った。
「フッッ」兵士長が笑った。なぜだか耳に入った、いや?体が聞けと叫んでる。
「フフッ……俺たちがだめでもラディス様がそうあの仮面の鮮血狂がお前を討ち滅ぼすだろう」
「ピーッ」すごい音がした。
…………
次の瞬間……音が思い出すかのように鳴り出す。空気が唸り声を上げる。 その音を呼応するかのように。
「フフッ……貴様はもう終わりだ」屍と同然だった兵士たちが水を得てよみがえったかのように、起き上がる。
「貴様ら!!!ラディス様に顔向け出来んぞ!!!」兵士長が煽る。
「おう!!!」兵士たちの目に精気がこもる。兵士たちの目が鈍く光る。
なんだろう?風向きが一変した。どうして?不気味に鈍く光る兵士達を見ると、足が笑う。パチンッ、自分の頬を叩いて気を引き締める。少し構えて、次の行動をうかがう。
「貴様ら撃てー!!!!」兵士長が声を振り絞る。
兵士たちは自分たちの得意な魔法を思い思いに込める。兵士たちの魔法がぶつかり、混ざり合い、ひとつの渦に重なる。それは、まるで漆黒の夜空の穴に大穴を穿つような、暗黒の奔流。あらゆる光を吸い込み、あらゆる希望をも呑み込んで――迫ってくる。物凄く禍々しい。
「負けるもんか……」 魔法?そんなものは無い。 神様にもらったもの?そんなものは無い。でも、この身体は……お父さんとお母さんにもらった祝福だ!!!
「これが私の魔法だ!!!」
私は全身全霊で右拳を振り抜いた。一瞬、世界が止まる。そして世界が裂けていく。そして魔法の大渦が震えだす。次の瞬間、魔法の大渦が弾けた。渾身の一打が漆黒の夜空を裂いていく。一番星が私を照らした。星が、私にそれ以上にない称賛をくれた。まるで、星が私の名前を呼んでくれたようだった。
風は、思い出したように深呼吸をはじめた。アリガトウ――
私は振り向く。風が私を包む。ああ……なんだか温かい気持ちになる。
星の光が、静かに私に注ぐ。なぜだろう。戦っているのに、胸の奥がしんみりとする。目頭が熱くなり、涙が頬を伝う。
無意識に踏みしめた土はくり抜けていた。それでも、私の居場所を教えてくれる。そう。私はここにいていいんだ。アノンを助けられるんだ。星が囁く。まだ、終わっていない。拳に、もう一度、力を込める。
「これで最後だ!!!」
拳圧が空気を切り裂き、風の大波が兵士たちを襲う。だが次の瞬間――何かが一閃、その大波を断ち切った。 星が、仮面を照らしている。 剣が、眩く光る。冷たい汗が背中を伝う。冷たい……兵士たちの空気が変わる。攻勢をかけようとしていた。
「やってやるぞ!!! あの女に目にもの見せてやる!!!」
「ラディス様! やってやってくだせぇ!」
「黙れぇ!!!」仮面の騎士の怒鳴り声が、夜を裂いた。 誰もが、息をするのを忘れる。仮面が、星明かりの下で妖しく光る。
「フフッ……どうやら、うちの部下たちがオイタをしたようだね。例え君が魔物であろうが、国賊であろうが、王の命令があるまでは、討たない主義でね。」
「……それで?」私は恐怖で声が引きつきながらも、言葉を吐いた。
仮面がさらに妖しく光る。
「ああ、そうだ。今日、夕暮れの頃に―― ある名無し、いや、昔王家に潜り込んだ魔物がいてね。そいつは呪いによって王女と王妃を殺したらしい。」
「……」
「まぁ、その魔物は“奇妙な力”を持っていてね。地下牢に閉じ込められていたのだが――醜くも逃げたらしい。知らないかな?」
その言葉を聞いた瞬間、背筋がさらに冷たくなった。
「それで?」私は震えないよう、声に力を込めて言い返す。
仮面の光がふっと消えた。
「そう……そいつは、王女の“名前”を奪い、看守にその名を呼ばせて、呪わせようとしたらしい。」 仮面の騎士は小さく肩をすくめて言う。
「まったく……魔物のやることは理解できない。」
「……」
「まぁ、一つ言えるのは―― その“王女”も、“王妃”も、存在したのかすら怪しいがね。フッ……」
それを聞いた瞬間、胸の奥が弾けた。
「アノンを――ばかにするなぁッ!!!」
“アノン”という名を口にした瞬間、仮面が――涙を流したように見えた。
「フフッ……アハハ……やっぱり君だったか。そいつの脱走の手引き……いや、地下牢の崩壊の犯人は。」今度は仮面が光に照らされて不気味に笑った気がした。
「それなら話が変わるなぁ……まぁ私は名前を名乗るが流儀でね、魔物だろうとそれが討つ相手なら礼儀を忘れないそれが騎士というものだからね。」
「ラディスだ参る!」
息を呑んだ瞬間、閃光のように私の喉元まで迫ってきていた。風が裂けた、音が聞こえない。まるで剣が風を纏っているかのようであった。すんでのところで、剣戟を避け、拳を構え繰り出す。見えなかった。咄嗟に反応できなかった、だけだと信じたい。頭が真っ白になる。何も考えずに拳を繰り出す。拳が空を切る。拳を打つたびに風だけが震える。風が拳を殴り返して、拳が焼ける。全く、仮面は震えてない。全てが、読まれてるかのように。華麗に舞う。こんなことは初めてだ。
どうやろうかと頭の中で色んな思いが交錯していく。手先の感覚がなくなる。けれど立っている。
「フフッこんなものかなぁ?所詮は魔物と言ったところだね……」
星明かりが、一瞬点滅した。風が一瞬止んだ。次の瞬間、世界が再び回り始める。私は渾身の力を込めて、拳を繰り出す、
「ギャー」
どうやら拳圧が兵士の一団に当たったらしい。私は少し余裕を取り戻して。
「オタクの部下たちはギャーギャーー言ってるけど大丈夫なの?」
仮面は何も表情を変えない。
「フフッ……あいつらは普段から話を聞かなくてね、今度キツイお仕置きをしようと思ってたんだ。ありがとうね。」
拳が当たっていないことは確かだ。埒があかない、この状況を打開するにはどうすれば?そうだ辺りは暗い、かろうじて星明かりだけで見えている。それならば!
思いっきり地面を殴りつける。土が覆いかぶさるように、仮面の騎士――ラティスに襲いかかる。
「フフッ考えたねぇ……まぁいいや少し待ってあげる。」
私は何も考えずに、戦線を離脱し、アノンを元へとひた走る、 あそこだ!アノンがいた。ササッとアノンを抱きかかえる。走っていく、ところどころ兵士がぞろぞろと湧いて出てくる。道が別れていた。遠くに明かりがあった道もあった。
あれはおそらく街だ……見ると、なぜか星明かりに照らされていない、真っ暗な入り口もある。木が星の光を吸収している。まるで生き物だ。それが波打つかのような波紋を打っていく。吸い込まれるような感覚だ。心を決める。そうすると、背筋がシャキッとする。闇に踏み込んだ。




