協奏の産声
アノン――。何度、この言葉いや、音色を口にしたのだろう。この名前を、何度も何度も呟くたびに、胸の奥が少しだけ落ち着く。少し、幸せな気持ちになる。まるで、自分の声がお姉様の声と重なっていくように。今日もまた、僕はその音色を確かめ、唇がその音色を忘れないように必死に唇を動かす。
「アノン……アノン……アノン……」
「うるさい!!!!!」
鉄の向こうで、怒鳴り声が僕の音色、いや、僕たち姉弟の音色を切り裂き、部屋中を跳ね、僕に襲いかかる。どうやらいつもの看守の気に触れたらしい。
「まったく……お前は亡くなった姫様の名前を、まだ呼ぶのか。貴様は、天にいる姫様まで、呪う気か!」
呪う? 違う。これはお姉様から受け継いだ――祝福だ。僕はただ、この音色で生かされている、だから、この音色を奏でないと、呼吸の仕方、いや生きている意味さえ忘れてしまう。名を呼ぶたび、世界の端にわずかに音が戻る。そのときだった。壁の向こうで"何か”が鳴った。雷でも、風でもない。それは、生き物のような音だった。耳の奥が熱くなり、心臓が打つたびに空気が震える。世界が少しずつ軋んでいく。音が変わる。外の世界が、息をしている。音が重なった。遠くでも近くでもない。まるで誰かが、夢の中で僕を呼ぶように。
「おやおや、君のほうが"ホンモノ"なんだね。アハハ……」
闇の向こうの光が差していたそこから誰かが呼んでる気がする。不思議と音のない声。それでも――初めて僕の、姉の名前を呼んでいる。その声は、壁の内側にも外側にもあった。反響が増えて、世界がほどけていく。空気が波打ち、音の粒が肌に降り注ぐ。光もないのに、まぶしかった。追いかけた。その声を追えば、出口がある気がした。足音が、夢の中で響く。追いつける。追いつける。もうあと一歩だ。
サァ……。そうだもう追いつける。
手を伸ばすと、そこはいつもの部屋だった。目を開けた。何も見えない。夢を見ていた。そうなにかが見えていた。何だったんだろう。




