女の子
「ねぇ、ねぇまた寝転されてるの……」
耳がざわざわする、何かが聞こえる気がする。耳鳴りにも似た声。耳をふさいで見る。それでも聞こえてくる。
「ねぇでば、そんな耳を塞いだくらいじゃだめだって。そんなんだから置いてかれるんだよ」
また、〝あの声〟か。ふとうっとおしく思ってしまう。どうして、僕を構おうとするのか。そういえばお腹が熱い、お腹をさすってみる。やっぱりヒリヒリする。少し、あざにもなっている。ミラに殴られたんだっけ。殴られたのになぜだかあの一発はどの拳よりも悲しかった。ミラは1人で行ったんだろうかあの轟音の中を……少し心がざわめく。僕だって強くなったという自負があった……それでも違ったんだ。ミラの願いは、きっとそうじゃなかった。布団の柔らかさがなぜか身に沁みる。暖かい。
「グズグズしていると……君面白いところを見逃すよ」〝あの声〟は、僕に何をさせたいのだろうか。それに、面白いところって何だろう。なぜだろう、自然とそれは少し恐ろしいものじゃないのかとぞっとする。暖かい布団から抜け出すと冷たい風に触れた。今日はこんなに寒かったっけ?手には何もない。手を握ってくれる人がいない。両手を身体に当ててみる。服がツルツルしている。気持ちが良い、これはたぶんミラに殴られた前のものと一緒だ。手で伝ってみる、柱の形、床の形を足と手と耳で分かるように歩く。そして段差を通って前に行った道だ……そう一人でも行けるはず。足が軋む……それでも今はなぜか急がないといけない……それだけが気持ちとして募る。それでもなぜか、胸の奥が重苦しくて足が進まない。胸の奥が痛い。息が切れて、膝に手をついてしまう。パリパリ、床が少し軋んでいる。たぶんここは玄関だ。この辺にアイシャさんがいる、僕たちを守ってください。お願いをして、玄関の扉に手をかける。これは多分引くものの扉だ。フー。息を吐いた。一人だった頃の僕の部屋がふっと手触りに蘇ってくる。そんなことどうでもいい。とりあえず、外に出ないと。右に引いても、左に引いても開かない。左のほうが多分、手応えがあった。右は何かに当たる感触がある。もう一度、引っ張ってもあかない。引っ張るところの周りを触ってみる。何か、太い丸い棒みたいなのがある。それを、引いてみる。そしたら何か抜けた感触があった。扉がゆっくり開いた。ようやく開くことができた。風が部屋の中へ吹き込んできた。
灰の匂いが……至る所で鼻にまとわりついて離れない。それでも炎の熱い焼けるような感覚はない。ここは焼けてないらしい。速く行かないと、手をつないでた感触が懐かしい。あの頃は誰かと一緒に歩いていた。今は真っすぐ歩くのも難しい。足の感触があるちょっと穴ボコがある。たぶんこれはミラが走ってたところかもしれない。そこを伝っていく。煙がだんだんと濃くなってきた……ホコリ臭い。村の中心に近づいてきたのだろうか……それでも炎の上がっている感じはない。誰の手も借りてないからまっすぐ歩けてるかすらわからない。そうだ、魔法を使ってた奴らはミラが全員やっつけたんだ、そうに違いない。そうに違いない。
「もう、遅いよ。君」〝あの声〟がふっと出てきた。どうしたのだろうか……いきなり。
「うーんどうしようかな……君がわかってくれないと意味がないからなぁ……そうだ。フフ……エイっ」
何かをされた、分からない。でも何か変な感じだ。周りにちょっとついたり消えたりする感じがある。分からないけど。そこに行かないといけないと思ってしまう。その感じを追っていく。そこはどこだか分からない。ちょっとずつ近づいていくと胸の奥がどんどん苦しくなってくる。絞られていくみたいに。その点滅が目の前に来てしまった。
「……来ちゃったの?」か細い声が聞こえた。間違えない。ミラだ。足元で聞こえる……点滅が大きくなっている。怖い、手を伸ばしたくない。
「ごめん、アノン……ちょっと手を出してくれないかな」
膝を折る……ミラの体を踏まないようにこのへんかな。幸いにも土だった。土埃が舞う。手が掴めない、どうしてだろう。待っている、待っているのにミラの手が触れない。手が宙を舞ったまま、凍りつく。
「あれ、私今あなたの綺麗な姿が見えているはずなのに。その黄緑のくすんだ綺麗な瞳が見えているのに」
そう、口がここにあるからちゃんと伝ってくる。うっ……鉄の香り、これはずっと嗅いできた。痛い匂い。ごめんね……分かってあげられなくて。何故か、この気持ちを抑えることが出来ない。どうしてだろう?噛み殺しても、抑えることが出来ない。ごめんね……ピチャン……涙がミラに跳ねている。噛み殺しても、この目を閉じても抑えることができない。
「今、雨が降っているの?おかしいな、今はこんなにあなたの周りにはこんなにも太陽が差しているのに」
ミラは、今にも消え去りそうな声で僕に話しかけている。
「いや、晴れているよ……きれいなお日様の香りがするよ」
「そう……ごめんね。アノン。手を握ってくれる?ごめんね。私今、疲れてるの。だから……」
涙は、止まりそうにない。鼻も灰の匂いと鼻水で一杯だ。それでも、耳でなんとかミラが分かるように。僕も一緒にいたんだ。だから……丸い、少しツルッとした感触。これは爪だ。そしてこれが指だ。キメが細かくて冷たい。……違う、何が違う。もっと……こうミラの手は厚くて暖かいはずだ。この手を暖められるように包み込む。ミラは弱々しくも握り返してくれた。
「フフ……ありがとう。暖かいわねアノン。こんなにもいっぱいのお花がある……キレイね。あなたが咲かしてくれたの?」
ミラは優しく微笑みながらも、声はずっと小さい。
「……うん、僕じゃないけどこんなにきれいだよ。こんなに綺麗なお花が咲いている」
「……そう。ちょっと不思議だったの、なんでこんな世界がキレイなんてね……」
ミラの手がどんどんと離れていく、その手を掴めるように強く握り返す。
「どうしたの……ミラは頑張ったんだからここまでこれたんだよ」
「やっぱり……そうなのね。うん、ありがとう。今私はアノンと一緒だよ……アノンときれいなお花しか見えない」
ミラの手が空にいかないようにずっと強い力で握り続ける。
「うん、そうだね。僕も一緒だよミラしか視えない」
「……ふふ、そうね。そう……アノンにあげたいものがあるわ……。う……けとってくれる?」
「いいさ!なんでも!ミラから貰うものは全ていいものさ!」
「……ありがとう。私ね……気づいたの。本当にずっと前からアノン……アナタと居たかった。色んな私を見てほしかった。……今の〝私〟も受け取ってくれる?」
なにか、叫んでしまいたい……それでもミラの〝贈り物〟を受け取らないと。
「もちろんだよ……そんなすごい贈り物なら大歓迎さ!」
「そう……ならあげる……。これが本当の〝私〟……他のメスに持っていかれないような〝呪い〟……嫌だったかな?」
声はなぜかよく聞こえる……でも点滅がもう……
「ありがとう。嬉しいよ……受け取ったよ……最高の贈り物だったよ……」ミラに〝見える〟ように口角を上げてみせた。
「……そう、アノン。私は家に帰るからね……寄り道しちゃ駄目よ……じゃあね……」
…………もうミラは握り返してくれなかった。そして世界から1つ灯りが消えた。




