ラディス鍛錬
己の影見えぬとき人は何を思うだろうか?人はそう、光を探すだろう、自分を見つけるために。
辺りは闇で満ち、月明かりだけが辺りを照らす。己の感覚を極限までに研ぎ澄ませていく。松明の明かり、ランプの明かりで辺りが綺麗に照らされるなんて思うな。闇を呑み込め。目を無闇に光らせるな……己の腹の底の意思だけを信じろ。風が吹き抜けてくる。肌が少しピクリと風に撫でられる。息をゆっくり吸っていく、そして腹の底で空気を溜めていく。ゆっくりとその風を吹き返すように吐き出す。
腹の底からじっくりと締めていく。手の先から血が体を巡ってくるのを感じる。体がだんだんとじんわりと暖かくなる。風が己の体を冷まそうとしているのがわかる。それを振りほどきながら、逆に風を纏っていく。硬い、石畳の地面を足で踏みしめ、そして石畳がそれに応えている。剣は闇を吸って妖しく笑う。
こんな時に、一人で剣を振るのはもったいないではないか。そう、こんな時は斬る相手が必要だ。
目に意識を向ける。だんだんと、目におぼろげにだが今回の目標の像が写ってくる。この相手は、少し大きい自分の力を過信しているのかもしれない大柄な魔物だ。なんせ、小柄な僕だ、剣を使うなんて露にも思わないだろう。どうせ、魔法を使われても倒せる。そう、高を括っているのだこういうのは。
魔物は大振りの構えで、己の拳を力の限りこちらに振りかざし力押しにしてくるに違いない。腹の底が僕の斬る所を教えてくれる。剣は僕の心を許せる唯一の相棒だ。んな相手にも負ける気がしない。かたちを整えるな、整えると逆に何も斬れなくなる。どこに、剣の刃を当てれば良いか、そしてどこの角度を振れば良いのかをいちいち考えていては、剣が鈍くなる。
理想のかたちは体が、剣が囁いてくれる。その囁きを聞き逃さない。想いのままに剣先をただ速く、その目標に向かって斬りつけることを意識しながら振り抜く。剣を振り向いてくれることを祈りながら。
ブン……ブン……魔物はすんでのところで避けてしまった……魔物がにやりと笑った。
こちらを挑発しているようだ。全くこれだから魔物は……唇を噛み締める。これでは、ダメだ。 頭のなかに師匠の言葉がよぎる。『剣を泣かせるな』と。
いまの一太刀は、剣が風と一緒に鳴いてしまっている。剣が鳴くと相手に剣の刃の位置を知らせてしまう。そして、自然と振りが大振りになってしまっているのだ。
もう一度、腹から大きく息を吸う。音を置き去りにしろ……、殺意を相手に向けるな……。
「今だ」…………
一閃、男がふっと笑ったように見えた、そして拳を振り上げている。ヒュン。男が笑ったまま倒れた。風が舞っていく……良し、剣は鳴っていない。これだ、コレこそ求めているものだ。手が少し痛い……マメができたのか……まだ手に力が入っている。剣をまだ掴もうとしている……これでは剣とは一体にならない。師匠の言葉がまた、頭のなかに駆け巡る。
『剣なんてものは、どんな剣でも名剣であると、違いがあるとすれば剣を扱うものである』
僕は、こんなに剣のことを想い続けているのにまだ一つの剣すら一体になれていないのだ。拳をギュッと握りしめる。そうすると、今の不甲斐なさが和らいでいるように思えた。
ニヤリ……闇が僕を笑った。闇から、男いや?女が飛び出してくる。こいつは……もしかして……。どんどんと像が濃くなってくる。コイツは、ミラとか自分で名乗っていた……。姿形は僕らと同じ。
金色で耳の長い、僕らと本当に一緒。コイツは、コブリンなどと一緒の"魔物"なんだ。名前なんて無い、神からのお告げでは世界を壊すと言われた存在。闇に閉ざされたこの檻の中で。こんなところでこの怪物と二人で鍛錬か。それは、確かに無様にも、置き去りにされしまったものだ。自分でミラとかと名乗った、魔物がニヤリと笑った。
顔に着けた仮面がジリジリと頬に張り付いて、焼け付くようだ。この痛みはいつ何時忘れようとしたいものを思い起こさせる。
僕は、魔物には、すべてを奪われてきたそれだけは覚えている。家も、家族も、弟も。そして名前も。
あいつらは、気づかずにそして狡猾に私たちの生活いや、人生を奪っていく。この地上の幸も食い荒らしていくものだ。まったく、自分達がこの世の支配者であると。
あれは司祭様が言ったものだ……。
『彼らは、神様の祝福を受けられないのにもかかわらず名前を堂々と名乗り……そう、そして我々の名前を奪うもの』もいる。
そう、僕のように。司祭様は名前を奪われた僕のことを見て大層、同情して一緒に涙を流してくれた。
空っぽだった僕に、涙がしみてその時心が初めて満たされた気がした。司祭様が僕にこの白い仮面を手渡してくれた。
『これを手にして、魔物と戦ってくれますか?』と
その仮面は僕の顔を覆って、張り付いた、誰にもこの顔をそう憎悪に燃えた醜い顔を見せないように。
司祭様は、神様にも掛け合ってくれたそうだ。そこで僕は、もう一度神様に会うことができた。神様は僕を笑って赦してくれた……そうこんな間抜けな僕のことを。そんな醜い顔の僕に神様は"特別に"新しい名前をくれた。「ラディス」という素晴らしい名前を。
そして、前の名前の呪いを取ってくれた。神様は、魔物のことを恨みすぎてはいけないよっとあとね、人のために戦いなさい。もしかしたら、戦っているうちにあなたの前の名前、そうあなた自身と会えるかもしれないと。
それから、僕は一心不乱に剣を振り続けていた。剣だけをずっと、僕に優しく語りかけてくれていると思う。魔物の中にも良いやつもいる……。そんな事も言うことも町中で叫んでいる奴もいる。僕もそう思いたい…そう僕の名前を奪った魔物も。そんなことできたら、こんなことしなくても……いやいや、いけない、そうこれは僕に課された試練なのだ。
目の前にいる魔物……が構え始める。構えは独特のまさに魔物らしい構えだ。摂理なんてあったもんじゃない。目の前のやつは、拳で魔法を吹っ飛ばした……本当に原理なんてものはない。魔法を使えない奴があんな事ができるなんて、いや、あれは魔法なのかもしれない。そうでなければ、我々の面目が立たない。
そうやって、魔物は拳を繰り出してくる。体がすくむ……。体をすくめるな、もう一度剣と呼吸を合わせろ。目の前に見える化け物……いや魔物を振り払う。今度は、思ったとおり剣が指し示したように出来た。それでも、目の前にいる魔物には剣は届いていなかった。もう一度その目の前の魔物に向かって剣を放つ。
あの拳を今度は完全に打ち砕けれるように……。剣が届いたのだ……初めて……、そうすると闇がグニャグニャと姿を変えていく。闇から一筋の闇がこぼれ、それが視界を歪める。この魔物が連れていった魔物……そいつは確か……。
目の前がなぜか明るくなって来た。いや、これは目の前が真っ白になっているんだ。胸の鼓動が次第に速くなってくる。呼吸を整える。目の前にはまた、……
キーンっと頭が痛く、何かに締め付けられたみたいにうめきを上げる。何かが取り戻せそうな気がしている。そう、なにか僕が失った大切な”なにか"を。
目がふっと目の前の魔物に焦点があった。そう、そいつはアノンとか言っていた……そうあろうことかこの国の姫様を呪った魔物。そいつは何の術を使うのか分からない。だから、駆除することだってできやしなかった。そいつを連れていた奴が目の前にいる、そうなぜか僕の人生をめちゃくちゃにした魔物なぜか聞ける気がした。
そうすると、なぜか、アノンとか言う奴の姿が見えてきた。僕は正面からは見たことはないはずだ。
結局、あの時もミラとかいうやつしか顔を僕は見ていない。顔は真っ黒だ、それでもわかってしまう。
ジリジリと後ろに下がっていく……自然と剣を強く握ってしまう。ギリギリと剣が悲鳴を上げているのがわかる。何をしてくるか全くわからない
剣をもう一度構える。目の前の奴は構えてこない。そいつはどうしてか泣いている。涙を流して立っている。そして、こちらに向けてを手を出しているように見える。目はなぜか光っていない、そう光を失っている。なにかをこちらに言いたいみたいに。胸の奥からふつふつとどす黒い気持ちが覆っていく。
不快だ。消えてしまえ……。そう僕の前から、コイツをかき消すのだ。一歩、そう足がそいつに吸い込まれていく。剣がここに入っていく、すっと。剣は、その像を捉えた。そいつは、倒れたりしなかった。
それは、爆発した。光がどんどん僕の視界を呑み込んでくる。まるで、実際に僕の体がなくなったように。腕を触っていく、僕の体がそこにちゃんとあるのを確認するために。
ミラとそう、目の前にいたやつをどこかしらに攫って行った。そのまま、居なくなってくれればよかった。その魔物は何故か王や、教会から監視されていた、そうあの魔物が出ていった。
あの日は、確か笛の音がして、出ていったのを覚えている。ミラとか言うやつが、部下をなぎ倒していたのを覚えている。本来、魔物なんてあそこまで力のあるものなんかいなかった……。そして、僕は魔が差したのか、この闘いが続けばいいと思ってしまった。
何より、この胸の高鳴りをまだ覚えている。そうやって、二回も逃してしまった……。そうして、部下達に任せてしまった、いや僕が逃げてしまったのかもしれない。僕は気づくともうここにいた。部下がどこに行ったのかも分からない。仮面はそのままで、そうこの光も何もない部屋に……、剣だけがそこに遺されていた。剣はずっと僕に妖しく光り続けた。残した意図は分からない……でも僕は剣を振り続けるしかない。
僕は、剣の使い方はそのやり方しか知らない……魔物を斬り伏せるしか使ったことはないのだから。
何のためのものなのかは、僕は自然と遠ざけていてた。剣は語りかけてくる……あの日のことを。
何度も、頭の中の魔物を斬り続けた……それでも目の前に立ち続けている、 冷たい、石畳に水が滴る……こんなことをしてなんになるのか……。それでも、剣を振り続けるしかない……
剣に祈りながら。この魔物が切れることを。魔物は、静かに消えていく……まだ僕は斬っていないのに。手を伸ばしても、消えていく……こちらからは手出しができない。闇はこちらに手を振っているみたいに。気がつくと、膝が地面についた……そうすると、自然と壁にもたれかかる。体温が静かに落ちてきた。
ようやく、気持ちが落ち着いて来た……落ち着いて寝れる。
冷たい湿った空気が鼻をくすぐる。日は沈むことが分かっても昇ることは分からない。光は入ってこない……それでも、引き戸からは入る影が増えたり、減ったりするのが日が昇った時と沈むときにはわかる。
ピチャ……。この音が僕を惑わせる。石伝いに、雫が落ちる。その雫を飲み干したくなる。剣を振り続けた……それでも僕の頭から離れない……誰かの囁きが、それとも僕の叫びだろうか。
僕は、まだ剣とも一緒になれない、それでも一緒に居ていいのかそれだけが分からない。よくわからない、それでも乾いた心、唇は潤すものを求めて、彷徨う。
腹が減った、そんなこと感じることはなかった……いつもは無理矢理食べていた、食べたくない肉や色々。油でずっと唇は光ったまま、乾いていた。ぱさついて、ずっと湿ったことはない。
それでも、今は果物が食べたい……食べたことなんてないはずなのに……そうあの瑞々しく光り輝く果物、そうこれだけは覚えている。昔……弟と食べた……そう僕が前の名前だった……うっ頭が痛む、痛い、腹が痛むのかなぁ、何も不思議なことではない。
たぶん、ずっと食べてないからだ、そうこれは試練なのだ、僕はあの時、恐ろしいことを許してしまった。魔物に国の母でもある森に足を踏み入れさせてしまった、そんなこといけないことなんて分かってるのに。心を整える、腹は満たされないがそれでも足を整え、呼吸に集中する。呼吸が静まっているのがわかる、そうこの場と一体となっている。丹田に力が集まっているのが分かる、そうすると剣がもう一度振れるようになっていく。神様は僕を生かしてくれたのだから……この先も生かしてくれる……そう僕もこの試練に耐えられると信じているはずだ。目を瞑ってもう一度腹に息を溜めていく。耐えられない試練など、神様はお与えにならないのだから




