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第8話:花に嵐

ヘレーネが去ってしばらくした後、パステルカラーの服を身に纏い、茶色の長い髪を波打たせた娘がやってきた。

大工の青年、ロータスによって目覚めた娘、アリスだった。アイビーの2件目の面談は、まさに彼女の縁談の進捗についてだった。

アイビーは念のため、ロータスのことをどう思っているかを、アリス本人に直接確認した。ヘレーネの言葉の裏取りである。

アリスはヘレーネが語ったように、ロータスに集中してお付き合いを進めたい、と語り、アイビーは再び安堵した。

「彼なら安心やで。結婚相手は、誠実さが一番大事やし、彼もあんたをええと思ってる。このまま続けて、間違いはあらへん」

アイビーがそう言うと、アリスもまた、ホッとしたような表情を浮かべるのだった。

アリスの影から、アコウの姿が消えているのを感じ取ったアイビーは、笑顔で彼女を見送った。

帰路につくアリス。その背後に何者かが後を付けていたが、誰も気づくことはなかった。そして、人気のない通りに彼女が足を踏み入れた、その時だった。

尾行していた連中が、彼女を取り押さえ、銃を撃ち込んだ。……それは、即効性の睡眠薬が仕込まれた弾丸だった。傷も残らず、ケガも一切しないが、被害者は昏倒する。倒れこんだアリスを、男たちは抱えて馬車に放り込んだ。野菜を積んだ荷物の下、丁度人一人が入れるスペースがあったので、そこに彼女を押し込む。一種の偽装工作だ。

馬車はしばらく走ると、とある屋敷に到着した。

「ご苦労だった」

出迎えたのは、大きな体格をし、白い歯を見せたスーツ姿の男だった。屋敷の主のようだ。

「僕の系列の店で飲食していたのが命取りだったね、アリス。……君と似たような娘がいたら付け回し、確証が得られたらこうして誘拐……いや、君たちの言葉なら『調達』かな?ここに連れてくるよう、部下に指示を出していた。……僕流の『調律』を味あわせてやるよ。僕はマザーみたいに、暴力で記憶や思い出を消すんじゃなくて、上手く活かそうと思っている。……期待しておいてくれ」

主の男は、高笑いしながら、彼女を屋敷の奥の部屋に連れ込んでいった。


アリスは、暗い奥の部屋のベッドで目が覚めた。

ベッドと机が置いてあるだけの、寒々しく狭い部屋だった。

(ここは……どこなの?)

部屋には窓がなく、明かりは辛うじて蝋燭によって確保されている状態だった。

出入り口と思われるドアに手を掛けると、外から鍵がかけられているのに気が付いた。アリスの体に、汗が 噴き出し始める。

「開けて!」

ドンドン、とドアを叩き、叫ぶアリス。音はそこまで反響しなかったので、決して広い環境に居る訳ではないのが分かった。

しばらくドアを叩き、叫んでいると、足音が聞こえだした。そしてドアの鍵が開き、人が入ってきた。

「アコウ……!」

それは屋敷の主だった。大柄で白い歯を見せる、あのスーツの青年。

「おや、呼び捨てかね?随分と距離が縮まったのかな」

「……そ、そんなはずが……!」

アリスの息が、急に乱れ始める。そんな彼女を、彼は笑みで応えた。

「乱暴して、すまなかったね。……今日はとことんまで、お互いを知ろうと思ってさ。痛い思いをさせる気など、毛頭ないから安心してくれよ」

「う……うるさい……」

「ずいぶん、攻撃的な態度だね。……まあ、淑女レディには快活さも必要だからな。お転婆なくらいがちょうど、『調律』のし甲斐がある」

「調律……?」

「説明は後からする。……さてアリス。どうして君がここにいるのか、理由を話そう」

アコウは、自分の店で食事をとってから、尾行が始まったとアリスに経緯を話した。

「実は、もう君の家族の動きも抑えている。あまりに反抗するようなら……どうなるか、分かるだろうね」

「ふ、ふざけないで……!」

「おっと、暴言はここまでだよ。これ以上逆らうようなら、ただじゃ済まさない」

アリスは唇を噛み締め、涙を流しながら口を閉ざした。

「……少し大人しくなったね。今日来てくれたお礼に、興味深いものを見せてあげよう」

アコウは、水晶玉を取り出した。アリスが怪訝な顔をしてそれを見る。

「これはね、人の無意識下の記憶を取り出し、映像化するという面白い道具なんだ。結構値が張るものだから、今日はレンタルしてみた。……さあアリス。この玉を持ってみるんだ。君の家族やロータスとか言う男が隠しているすべてが、明らかになるだろう」

アリスは言われるがまま、それを震える両手で受け取る。すると、目の前にある映像が浮かび上がった。

(……ああっ!!)

映像を見たアリスは思わず、それを落としかけるが、アコウがその手を取り、それを防いだ。

アリスが見たもの、それは自身の忌まわしい記憶だった。

家族から引き離され、「人形ドール」として奴隷となり、紫色の装束で身を包まれ、自身の色と声を奪われ、心を惨殺された彼女は、誘拐と暴力に手を染めていく。

「そ……そんな……私は……」

「ふふっ。……まだまだこれは、序章さ」

映像は続く。

場面は、療養所と思われるある施設だった。そこに収容された、自身の姿を見た。昼も夜も、ピクリとも動かず、かといって一睡もせずに、寝台で宙を仰ぎ続ける。文字通り人形になってしまったかのようだった。

その傍ら、アリスが見慣れていた、妹と呼んでいる少女と、眼鏡をかけた中年の男が何かを話している。

「このまま治療を続ければ、あの恐ろしい体験が妨げになってしまう。……心が正常に動き出せば、きっと、『静寂の紫』のことを思いだす。それを防ぐアイデアとして、君の提案は、前代未聞だ。……でも、やってみる価値はあると思う」

「はい。……私が読んだ物語にあったんです。私たちよりもはるかに穏やかだけれど、同じように抑圧され、自立を目指そうとする女性の話が。お姉ちゃんには、この記憶を届けることにします。それで前を向けるようにしてほしい。……嘘をつくようで心が痛むけれど」

「いや、真実や正論が、常に人を救うとは限らないからね。記憶を閉じ込めるのではなく、受け入れられる内容で形式化する。良い考えだと思う。……私が懸念しているのは、記憶のフラッシュバックだ。何かをきっかけとして、全てを思い出してしまう可能性がある。……何より、元々の彼女の人格に影響を及ぼしてしまうかもしれない。その点は、専門家である私が観察を続けよう」

「……ありがとうございます。どうか、お姉ちゃんを助けて」

「ああ。……私の方からも、ぜひ協力をお願いしたい。親御さんへの許可や、万が一の備えなど、大人が出てくるべきところは全て私の責任だから。存分に力を発揮してほしい」


青ざめた顔で、冷や汗を流す彼女へ、アコウは淡々と告げた。


「あいつらの甘い言葉に騙されてはいけないよ、アリス。この世はね、殺すか殺されるかなんだ。生き物は皆、体に感じられるものだけを信じて生き延びてきた。心だの思い出だの……そんなものは、肉体が生み出す幻影にすぎない」

「そ……そんなことは、ないわ。家族も、ロータスさんも、あの子も、アイビーさんも……皆、私を応援してくれている。愛してくれているもの」

「反論になっていないよ。君が感じていると思っているものの正体は、生存のための単なる反応ツールだ。……君、僕の香りを嗅いだ時、胸が高鳴っただろう?僕が手を取った時、拒めなかっただろう?あれはね、君の体が“強者に従うのが正しい”と判断した証拠なんだ」

「違う。あれは、吊橋の上だったから。乗り物酔いで弱っていたから。……あなたに、すがったわけじゃない!」

「また、訳の分からないことを。そろそろ、目を覚ましなよ。妄言ばかりで、何も分かっていない家族や、汚らしい手でわずかな稼ぎしか得られない雑魚どもと関わるのはやめるんだ。本能を超える信愛なんて、存在しない。君が感じている“優しさ”だの“救い”だの、全部まやかしなんだ。君の心は、君のものじゃない。僕が与えたものだけが、本物なんだよ」

「ち……違う、違う!!理屈なんかいらない!とにかく、あなたは、間違っているんだっ!!」

「……まだ理解できないのかい。はっきり、言ってやる。君が感じていた愛情とか信頼とか、そんなものは、あの訳の分からない女のガキが植え付けた「設定」だったんだ。マザーの手足に過ぎなかった君に、心なんてものはありはしないのさ。いい加減、人を騙るのは止めろよ。『人形』風情が」

「あ……」


アリスの心から、一切の色がなくなった。

あは……あはは……。

アリスの瞬きをしない目から、涙が溢れ出てくる。その表情はまさしく仮面のようだった。

「……心の、搾りかすってところか。せいぜい、泣けるうちに泣いておくんだ。今日は許してやるが、明日からは僕のために尽くすんだな。淑女レディに、泣く暇などない。覚えておけ」

アリスを部屋から追い出し、アコウは右腕の部下を呼びつけた。それは、ウェイターとしてあの3人を付け回していた、目つきの悪い男だった。

「食事を用意してくれ。いい仕事をしてくれた。今日はお前もお相伴させてやろう」

アコウの机に豪華な料理が並べられ、部下の男にも同じように供された。

「ここまで上手く行くとは、思いませんでしたぜ」

「僕の見立て通りだろう?やはりあの施設の卒業生はみな『良い子』だな。ちょっと揺さぶっただけですぐに大人しくなるんだから」

「この屋敷にいる女中メイドは、同じような人物と聞きましたが……」

「まあね。連中、奴隷根性が性根まで染みついていて、少し飴と鞭を与えるだけであっさり落とせるから楽なものさ。……給料も払わなくて良いから、屋敷の維持費もかなり節約できる」

「どうやって、その……『卒業生』のリストを?」

「僕の人脈を舐めてもらっちゃ困るね。お前にも言えないが、ちょっとした裏ルートから仕入れている。……今回の水晶玉の方法は最近思いついて、何度か試しているが覿面てきめんだな。もっとシステム化の仕組みを考えて、効率よくやらないと……」

アコウは赤ワインを啜った。

「しかし、マザーって奴は良い仕事をしてくれた。あいつも馬鹿だが、こうやって僕の役に立ってくれているんだから」

「……どういう所が馬鹿なのでしょう?」

「あいつはね、戦えない人形を虐殺していたらしいんだ。……それって疲れるし、一つの基準に拘るなど、美しくないだろう?適材適所って言葉がある。今後の話だが、僕は彼女たち一人一人に、違った仕事を与えていこうと思っている。……数字に強い奴は秘書に、体が強い奴は家事や炊事、将来出来た時の僕の子の子守だろ。そんな感じで、個性は潰すんじゃなくて活かさないとね。アリスはどうするかな……見た目が良いから、それこそ僕の正妻にしたり、事業の看板役をやらせても良いかもしれない。もう、あいつの心はへし折ってあるから、何でも言うことを聞くさ」

部下の男は何か難しい顔をしていた。

「……なんだ?僕の言うことに間違いでもあるのか」

「い、いえいえ!アコウさまの仰ることに間違いなどある筈がありませんよ」

「ふうん。まあ、検討し始めたばかりの計画だから、色々抜け目もあるかもしれないが……。立場を弁えろよ、とだけ言っておく」

アコウはスペアリブを骨ごと頬張り、バキボキとそれをかみ砕いた。部下の男が、慄きつつも尋ねる。

「あ、あの、一つ質問なのですが……」

「なんだ?」

「アリスとよく一緒にいた、あのガキはどうしますか?どうやら、不思議な力を持っているようですが……」

「ああ、ヘレーネっていう小癪なガキだな。……あいつはダメだ」

「なぜでしょう……?」

「妙に勘が鋭くてね。付け回しても絶対に気付くという。その時点で面倒だから関わりたくない。……あと、ディビーっていう元戦士の男が彼氏らしいから、そいつに睨まれると厄介だと思う」

「それって、あの『影』を倒したとか言う、伝説の……」

「ああ、お前はもともと兵士だったから、知っているか。……とにかく、あのガキは色々とうざったいから無視しておくつもりだ。僕たちの計画の邪魔にならなければ良いがね」

2人はそのまま食事を続けた。

一方のアリスは、あたえられた粗末なベッドの上に伏せていた。乾ききった瞳で、ひたすら宙を見つめていた。

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