第7話:梅に鶯
街外れの喫茶店に、日に焼けた青年と、全身黒ずくめで、髪の乱れた娘、憔悴した様子の中年の男が入ってきた。
3人は4人掛けの席に通された。
「俺は1人で良いので。……アリスさんとお父さんが、隣で」
青年がそう告げると、同じ黒色の瞳を持った2人は、顔を見合わせた。親子の様だ。
「いや。……君がアリスの隣に座りなさい。2人の話を聞きたいんだ」
男がそう言うと、青年と娘が、彼に向き合う形で、隣同士座った。アリスと呼ばれた娘は、男と同様に、顔に疲労困憊の面持ちを見せていたが、青年の横に腰を下ろすと、どことなくその硬い表情を緩ませた。
「お水です」
ウェイターが3人にミネラルウォーターのグラスを差し出した。
何となく目つきが悪い彼を、中年は怪訝に思いつつ、そのコップに手を伸ばした。青年もそれに続くが、娘は手に取ろうとはしなかった。
しばらく、沈黙が続いた後に、男が口を開く。
「ロータスくん、どうやら人違いだったようだな。……失礼した」
「あ、いえ、俺の方こそ、突然すみません。……アリス、体調の方は本当に良いのか?」
娘は何も言わなかったが、ゆっくりと頷いた。
「色々と整理をさせてほしい。……君とアリスは、どういう経緯で出会ったんだ?」
「共通の仲人の紹介で。……アイビーっていう人からです」
「……ああ、あの昔からいる女性か。私は世話になったことはないけれど、隣の家のご夫婦が、確か彼女の世話になったことがあると言っていたな」
「結構、ベテランですよね。言葉がちょっと違うから、よそから来たのかなって思ってましたけど」
「どうやらそのようだ。嫁いでここに来たとも聞いたことがある。……で、アコウのことは?」
「その男のことは、知らないです。……アリス、説明できるか?」
俯いていた娘は、青年の顔を見る。
「あ……」
何か口を開きかけたが、その眼が潤み、体がわなわなと震え出した。
「アリス……。ロータスくんに失礼だろう。きちんと話しなさい。泣いたところで……」
中年がそう声を掛けると、青年は視線を娘から彼に移す。あたかも、男を制するかのようだ。
青年は彼女へ囁くように言った。
「……言えない理由が、あるのか?」
「怖いの……」
「怖い?」
「……ずっと見張られてる気がするの。……何も言うなって」
「……わかった。話せる時教えてほしい」
しばらく、沈黙が続いた。中年の男はそれを破るように言い始めた。
「ロータスくん。私の方から補足しておくと……奴は『パーティ』でアリスと知り合ったんだ。何ヶ月か付き合っているようで、そこからこの子は様子がおかしくなって……」
「まともな付き合いじゃないでしょう」
青年は男の話を遮るように言った。
「その男と知り合ってから、アリスはここまでやつれ、服や髪型の好みまで変わっている。……相当な無理をしているんじゃないですか。そんなものは正しい付き合いだとは思わない」
その声は荒立ってはいなかったが、怒りにも、悲しみにも似た感情が滲み、店の端々まで届くものだった。客たちは一斉に声の主を見つめた。
中年は言った。
「……君の言うとおりだ。妻とこの子の弟は、この付き合いにずっと反対していた。私も心配だったが、娘の初恋ということで、応援したい気持ちもあった。そろそろ大人なのだから、見守ることも一つだと思っていたのだが……甘すぎた」
「……このままだと、彼女は殺されますよ」
青年ははっきりとそう言った。中年は驚きの表情で彼を見つめ、他の客たちも眉を顰めていた。縁起でもないことを、と言わんばかりだったが、青年は続けた。
「……アリス。その男とどんな感じで接しているのかはわからないけれど、悪いことは言わない。……絶対に、そいつからは離れた方が良い。自分の思う道を進むんだ」
「……ない」
娘は俯いたまま、そう言った。彼女の言葉をはっきり聞こうと、男たちは向き合い直す。
「……わからない。……思う道っていうのが。……私は何を信じたら良いの」
中年は言った。
「家族がいるじゃないか。もっと私たちを頼ってくれれば……」
「隠し事ばかりじゃない。学校に居たなんて、嘘なんでしょ」
「う、嘘なんかじゃ……」
「もういい。……」
中年は眉根を抑えた。
「その学校というのは、お父さんが望んでいたところなのですか」
青年が問いかけると、娘は、ふと彼を見つめた。中年は俯きつつ言った。
「……そんな馬鹿な。あんな環境で過ごさせようとする親などいるはずもない。私たちは、娘を守り切れなかったんだ。……可能であれば、私が身代わりになってでも、お前を救いたかったと何度思ったことか。……アリス、許してくれ……」
娘はぽつりと言った。
「お父……さん……」
青年は中年の様子を黙って見つめていた。そして、娘に言った。
「アリス。……君は確かに、家族や周囲の奴らから、事実を少し歪めて伝えられている。……でもそれは、君に少しでも前を向くための試みだったんだと俺は考えている」
「えっ……」
「君が妹と呼んでいる、あの女の子に教えてもらった。……君の経験は、とても恐ろしいものだった。だから記憶の一部がぼやけてしまっているんだ。……差し詰め、人の防衛本能ってやつだろう。……君が人生を進めるうえで、そんな記憶は、果たして必要なのか」
「あ……」
中年はその時、何かを言いかけていた。だが、青年は気が付かず、次の言葉を続けた。
「俺は必要ないんじゃないかと思っている。それに囚われて、沼に沈んでしまうのであれば。……俺もここ最近、分かったんだ。過去に縛られて、同じ失敗を繰り返すんじゃないかってくよくよしたとしても、動けば、ちゃんと前に進めるんだって。……気持ちを切り替えて、毎日を歩んでいくことが再生への道なんだ。だから、アリス。周囲の人間を恨むのはやめるんだ。……そして、君の思うままに生きろ。それは明るい色の服を着るとか、好きなものを食べるとか、まずはそこからで構わない。一緒に歩いていく手助けを、俺はやっていきたい」
娘は呆然としていたが、わなわなと震え出し、目を潤ませ、一瞬にして青年の胸に飛び込み、慟哭に至った。
そんな彼女の頭を、青年は日に焼けた腕で包み、優しく抱擁した。
その後、3人は食事をした後に店を出て、ある家までやってきた。親子の自宅のようである。
娘は疲れ切ったのか、1人で部屋に戻ったが、男たち2人は、玄関前で話し込んでいた。
「……ロータスくん、今日はありがとう。君ならば、娘も安心してお付き合いできると思う。……か弱い娘だが、どうぞよろしくお願いする」
「ええ。……俺も、娘さんと接していく中で、色々悟ったこともあるので。……稼ぎも少ないし、大した事の出来ない俺ですが、よろしくお願いします」
「あ、そうだ。娘の、その、記憶のことだけれど。……」
中年はまたしても何かを言おうとした。
「……いや、何でもない」
「お父さん。彼女が大変な経験をしているのは、何となく知っています。お話するのも、厳しいような。そうなってくると、記憶があやふやになることがあるって、聞いたこともあるので。……あんな場でズケズケ言って良いものかと思いましたけど、彼女には必要だと思って」
「あ、まあ……そうだろうね」
中年はどうも歯切れが悪かった。
「お父さん?……すみません。言い方が悪かったでしょうか。俺、丁寧な言い方って苦手で……」
「い、いや、そういうことじゃないんだ。……とにかく、娘を頼むよ」
男2人は握手を交わした。
そんな2人を、レストランから付けている男がいた。先ほどまでウェイターとして働きつつ3人を見据え、彼らが店を出てから、ずっと尾行していたのである。
男は手元のメモにペンを走らせた。その内容は、『ボス』に届けるレポートの材料となっていた。
そのようなことは、3人はもちろん知る由もなかった。
「ホンマに、おめでとう!」
この地ではあまり聞かない方言を口にする、虎柄の服を着た中年の女性が、ある男女を自宅に招いて、祝福していた。
男は20歳くらいの若者で、裕福そうな見た目をしている。娘も同い年位で、寂れたカフェでウェートレスをしているのだという。
「結婚っちゅうのは、もちろんお金だけやないんやけど……やっぱり現実的なものやからな。でも、パンジーちゃんはその点だけでなく、人柄も見て彼を選んでいる訳やから、賢い子やと思うで。……大事にしいや」
虎柄の女性は、男にそう告げる。
「はい、もちろん大切にします。……彼女とは趣味がすごくあって、苦手なものも一致しているから合うだろうなって初対面からずっと思っていました。……今でも大好きです」
パンジーと呼ばれた娘は、嬉しそうに彼に微笑んだ。
「ありがとう。……私に、お家は任せて。あなたが困ったときは、私、頑張るから。……安心して背中を預けて働けるよう、尽くしていくわ」
「いやあ、ええ2人やな。ここ数年で一番のラブラブカップルかもわからへん。……良かったら、お友だちや家族にも紹介したって。その子たちは、仲介料は割り引いたるから」
2人を見送った後、虎柄の女性は、助手アシスタントの女性にこの後の予定を確認した。面会が2件入っていた。1件目は知人との応対、その後で相談者クライアントとの予定だった。
1件目でやってきたのは、16,7歳くらいの少女とも言ってよい娘だった。少女は花柄のスカーフを頭に巻き、青色のレンズの眼鏡をかけてやってきた。
スカーフからはみ出ている髪は青みがかっていた。彼女がそれを外すと、髪は水色一色の波を打った。眼鏡を外すと、人を畏怖させる金色の光が宿っていたのである。
「私は、ヘレーネちゃんの見た目は好きなんやけどな。そないに、身を固めんでも……」
「……姉がくれたので、大事にしようと思って。……それに、アイビーさんのように分かってくださる人なら良いのですけど、やっぱり怖がったり、忌避する人もいるので……自衛も大事だなって思うようになったんです」
「……さよか。大変やな。おばちゃんも、白髪染めを水色に変えて、眼鏡ももっと派手にしたろかなあ。結構、似合におうんちゃうか。こういう仕事って、印象残る見た目の方が有利やし……」
ヘレーネはくすりと笑った。
「姉っちゅうのは、アリスちゃんのことやな。ホンマに仲良しやねんなあ」
「で、アイビーさん。今日お呼びした理由というのは……お手紙で、姉のことだと仰ってましたけれど」
「せやねん。この後、アリスちゃんと話すんやけどな、その前にあんたがどう思っとるかを確認したいんや。まあ、いつもの頼まれごとや」
「やはり、そうでしたか。私が姉の心を読めるから……」
「聞いてまうけど、最近のあの子はどうやねん?」
「……少し前まで、『声』が濁っていたのですが……最近、澄んできてはきはき聞こえるようになっています」
「前向きに思ってええっちゅう話やな?」
「はい、そうです。ロータスさんと上手くやれているようなので」
アイビーは安堵の表情を浮かべ、座っていた椅子の背もたれに体を預けた。
「ああ、ホンマに良かった!……危ない男に捕まってもうてたようやから、真面目な子と付き合おうてるなら、問題ないわ。……何が、『友達の話』やねん。おばちゃんをなめとったらあかんで」
「……何のことですか?」
「ああ、ごめん。独り言や。……あんた、仲がええようやし、特別な力を持っとるみたいやから、様子見をお願いしといて安心したわ。……恋愛経験のない子は、これがあるから怖いねん。ヘレーネちゃんも気いつけや」
「はい。私の彼は、とても優しくて強い人なので……」
「まあ、ディビーくんなら安心やな。彼はええ男やで。絶対逃したらあかん」
アイビーがヘレーネを指さすと、ヘレーネはわざとらしく胸を押さえてのけぞった。その様子を見て、アイビーは一瞬絶句していた。
「……あんた、やるようになってきたやん」
ふふん、とヘレーネは自慢そうに笑った。
「はい、アイビーさんのご出身のお作法を、本で勉強して……」
「物知りやなあ。うちのアホ息子も、あんたくらいの時、それくらい勉強しとったら、もっとハイレベルの学校行ってたんちゃうかなあ。……学校、か」
ヘレーネの背筋に、冷たいものが一瞬だけ走り抜けた。
「……あんたらが通ってたんは、学校やのうて『静寂の紫』やったんやな。……あの、女の子を囲い込んで、軍隊にするっちゅう……」
「はい。……どこかで、アイビーさんには説明しないととは思っていましたが。すでにお察しだったようで……」
「アリスちゃんと初めて会おうた時、ん?って思うたんや。会話も何だか、年の割に、幼い感じがして。その後調べてみたら、その組織のことを知ったんや。……で、全身紫って、『影』まんまやんか。若い女の子の間では有名なんやろ?それを平気で身に着けられるって、ただ者やないなとは思ってた。……そこへ色々話してくれたんは、ヘレーネちゃんやった。あの子がどういう背景を持っとるか、教えてくれはって」
「……もし誤解されているようなら、それを解きたかったんです。皆は兵器なんかじゃない、人間なんだって」
「あんたがおらんかったら、私は、助け出された子は一律で相談をお断りするところやった。相手の男の子を傷つけるんちゃうか、って。……レッテル貼ったらあかんっていう、人付き合いの基本を思い出させてくれて、ホンマにありがとう」
「……いえ、アイビーさんが聡明でいらっしゃるからですよ」
「ふふ……子供らしくないことを。あんた、色々頑張っとるようやけど、ただ生きとるだけで誰かのためになるってことがあるからな。組織におった子や、今声を出されへん人には、あんたがおるだけで救いになるかもわからへん。ディビーくんも、あんたのことは生き甲斐になっとるで」
その瞬間、ヘレーネの目に光が差した。
「覚えとき。『生きていてこそ』や。……生きとったら辛いこともあるけれど、ええこともあるっちゅうことやな。追い込みすぎて、倒れたらあかんで。おばちゃんと約束や」
アイビーは小指を差し出した。ヘレーネは目を潤ませながら、包帯だらけの手を差し出し、「指きりげんまん」をしたのだった。




