第6話 生存戦略:嫌われている相手にどう近づくか
父エドムントへの手紙は、翌日には出した。
『社交の作法を学ぶため、シルヴァーノ公爵家に短期滞在の許可を願い出たい』
返事は早かった。
『好きにしろ。ただし恥をかくな』
……親子の情ってやつを感じないが、まあ、許可は出た。
シルヴァーノ公爵家への滞在願いも、意外にもすんなり通った。リゼットの側近である文官ブレンナー氏が「遠縁の子弟の教育に協力するのは本家の務めですので」と事務的に返答してくれた。おそらくリゼット本人はこの件に興味すらないのだろう。
かくして俺は、シルヴァーノ城の一角に客室をあてがわれ、「社交の作法を学ぶ遠縁の次男」として滞在を始めた。
初日。
リゼットの姿を見かけたのは、城の廊下ですれ違った一瞬だけだった。
彼女は書類を抱えた文官二人を従えて早足で歩いており、俺の方にちらりとも視線を向けなかった。
頭上の数字——【-50】。変わっていない。
まあ、会ったばかりでいきなり好感度が上がるとは思っていない。問題はここからだ。
俺はまず、情報収集に全力を注いだ。
ターゲットの好感度を上げるには、相手のことを知らなければならない。使用人たちから学んだ教訓だ。マルタさんには「料理」、ルドルフ爺さんには「庭の花の知識」——相手が大切にしているものに寄り添うことで、初めて心が動く。
リゼットは何を大切にしている? 何が好きで、何が嫌いか?
手始めに、城の使用人たちに聞き込みを始めた。ありがたいことに、アシュフォード家での「使用人好感度改善計画」のおかげで、俺は使用人と会話するコツを心得ている。
厨房のコック長に、午後のお茶の差し入れを持っていく。
「あの、リゼット様はどんなお菓子がお好きなんですか?」
「はぁ? ——ああ、レン様ですか。リゼット様は……甘いものはお嫌いではないようですが、人前では一切お召し上がりになりませんな。ただ、厨房に残ったタルトが翌朝にはなくなっていることが時々……」
甘いもの好き。だが人前では食べない。メモ。
庭園を手入れしている庭師に。
「リゼット様は庭園をよく歩かれますか?」
「ええ、早朝にお一人で散歩されることがあります。特に東の庭園を歩かれることが多いですな。あそこは——猫が集まるんですわ。野良猫が何匹か住み着いておりまして」
猫。東の庭園。早朝。メモメモ。
侍女の一人に。
「リゼット様のお好きなお茶の種類とかって——」
「シルヴァーノ湖畔で採れるレイクミントのお茶を好まれます。ただ、ご自分からは絶対にお淹れにならず……私たちが出したものだけを召し上がります」
レイクミントティー。自分からは求めない。メモメモメモ。
城の書庫の司書に。
「リゼット様が最近読まれている本は?」
「領地経営の実務書や法律書がほとんどです。ただ、書庫の奥——小説の棚の前で足を止めていらっしゃるのを見たことが……手に取りはされませんでしたが」
小説に興味がある——かもしれない。メモ五つ目。
一日かけて集めた情報を、客室のデスクで整理した。
「まとめると——」
リゼット・フォン・シルヴァーノの「好き」リスト(推定):
① 甘いもの(特にタルト。ただし人前では食べない)
② 猫(東の庭園に早朝に行く。猫が住み着いている場所)
③ レイクミントティー
④ 小説(?)(確証なし。興味はありそう)
そして「嫌い」リスト(推定):
① 自分の弱みを見せること
② 馴れ馴れしい態度
③ 無能な人間(挨拶を噛んだ俺への-50はこれか?)
④ 信用できない相手に心を許すこと
なるほど。
問題が見えてきた。
リゼットは「好き」なことのほぼすべてを、人前では隠している。甘いものを食べない。猫を触らない。小説を読まない。公爵としての仮面の下に、「好き」を全部しまい込んでいる。
つまり、正面から「お菓子を持っていく」「猫の話をする」ではダメだ。それは彼女の仮面を直接剥がそうとする行為であり、警戒されてさらに好感度が下がる可能性がある。
じゃあ、どうする?
「……自然に、偶然を装って」
嫌らしい言い方をすれば、「作為を感じさせない形で、彼女の好きなものを共有する」こと。
具体的には——
猫作戦。
東の庭園に野良猫がいる。リゼットは早朝に散歩する。
俺も早朝に散歩する。猫がいる。猫を可愛がる。
リゼットが偶然通りかかる。猫と俺がいる。
——自然な接点の構築。
計算高いと言われればそうかもしれない。だが、命がかかっているのだ。好感度【-50】は俺のHPを常に削り続けている。城に滞在している間は、リゼットとの物理的距離が近い分、好感度の影響が大きい。
放置すれば、じわじわと死に近づく。
やるしかない。
だが、焦ってはいけない。
前世の経験が教えてくれる——人は、「自分のペースを乱されること」を最も嫌う。
リゼットは特にそうだ。彼女は自分の時間と空間を厳しくコントロールしている。「一人の時間」を侵食されることほど、好感度を下げる行為はない。
だから——
「明日の朝、まず俺は東の庭園に行く。猫に餌をやる。それだけ。リゼットには一切話しかけない」
信頼とは、時間をかけて積み上げるもの。
一日で解決しようとすれば、確実に失敗する。
マルタさんの時だって、二週間かかった。リゼットはそれ以上かかるだろう。
だが——方針は見えた。
好感度【-50】。
ここから【0】に持っていくだけでも、HP上限は50ポイント回復する。それだけで、かなり楽になる。
ベッドに横になる。見知らぬ天井——シルヴァーノ城の客室の天井を見つめながら、明日の「猫作戦」のシミュレーションを繰り返す。
前世の俺は、会社の忘年会の余興すらまともにこなせない男だった。
そんな俺が今、氷の公爵令嬢の好感度を攻略しようとしている。
人生、何が起こるかわからない。
——……いや。
何が起こるかわからないのは、「転生」した時点で思い知ったか。
「よし。明日は猫の日だ」
そうつぶやいて、目を閉じた。
夢の中で、プラチナブロンドの髪をした少女が猫を抱いていた。
——その夢はたぶん、正夢だ。




