第56話 陰謀のあとの朝
あの嵐のような数ヶ月が嘘のように——シルヴァーノ領は平穏だった。
朝。窓を開けると、湖から涼しい風が吹き込む。秋の風だ。夏の銀水祭からもう季節が一つ巡った。
いつの間にか、この城が「帰る場所」になっていた。
子爵家の次男として送られてきた時は、ここは「配属先」だった。好感度を稼ぐための「戦場」だった。
今は——家だ。
城の給仕たち。中堅のメイドが俺を見て笑った。
「おはようございます、レン様。今朝のスープは、昨日レン様が持ってきてくださった野草を使いましたよ」
「俺の料理の腕前はまだダメかな」
「相変わらずジャガイモの皮むきは下手ですけどね。でも——味付けのセンスは悪くないと、認めてあげてもいいかもしれません」
好感度は——見ない。見なくても、彼女の小さな意地悪が親愛の情だとわかる。
食堂にリゼットが現れた。
プラチナブロンドの髪を緩く編み、シンプルな白のブラウスに紫のリボン。執務前の、くつろいだ姿。
「おはよう」
「おはよう、リゼット」
名前呼び。もう自然だ。
リゼットが俺の隣に座った。迷わず。距離ゼロ。
「今日の予定は?」
「午前中は領務会議。午後はグランツ商会との定例連絡。それと——」
「それと?」
「……セラフィーナからの手紙が来ています。読みますか?」
「後で一緒に読もう」
「ええ」
ブレンナーが会議資料を持ってきた。若い給仕が窓を拭いている。庭師の老人が庭の花に水をやっている。
全員の好感度を——見ない。
第四段階になってから、日常ではほとんど好感度を見なくなった。必要な場面——外交交渉や初対面の人物との会話——では使うが、この城の中では使わない。
見なくても、ここにいる全員が味方だとわかる。
ヴィクトールとの政治的緊張は解消された。暗殺の危険もない。セラフィーナの呪いも解けた。
残っているのは——日常。平和で、穏やかで、少しだけ退屈な日常。
退屈。
前世の自分が聞いたら笑うだろう。毎日残業して休日出勤して、退屈の正反対の生活を送っていたのに——今は退屈を嬉しく思っている。
「レン。何を考えていますか」
「退屈だなあ、って」
「……退屈ですか」
「うん。平和で退屈。最高だ」
リゼットの唇が——わずかに上がった。
「では——退屈ついでに、一つ提案があります」
「何?」
「湖を見に行きませんか。午後——二人で」
リゼットが誘ってくれた。以前なら考えられないことだ。
「喜んで」
退屈な朝が——少しだけ、輝いた。




