第50話 セラフィーナの涙
セラフィーナから手紙が届いた。
レン様。
赤い薔薇の苗を植えました。
昨日——苗に水をやっている時、体が震えました。
寒さではありません。
何かが——中から来ました。名前がわかりません。
——S.V.
「何かが中から来た」——第二の兆候。身体反応の増幅。
すぐにリゼットに見せた。
「行きましょう」
翌日、二人でヴェール邸を訪ねた。フィーネも同行。
庭園に——赤い薔薇の苗が一株、植えられていた。白い薔薇の中に、ぽつんと。まだ蕾だが、確かに赤い。
セラフィーナは庭のベンチに座っていた。いつもの微笑み——だが、今日はどこか違う。
「いらっしゃいませ」
「セラフィーナ。手紙読んだわ」
リゼットが隣に座った。
「体が震えたって——今は大丈夫?」
「はい。震えは止まりました。でも……昨夜、また夢を見ました」
「お母さんの夢?」
「いいえ。今度は——」
セラフィーナが俺とリゼットを見た。
「二人がいる夢でした。三人で、この庭園にいる夢」
「……それは、今の記憶が夢になったということかな」
「たぶん。でも——夢の中で、私は笑っていました。今の私は笑みを浮かべることはできますが、笑うことはできません。でも夢の中では——笑っていた」
好感度チェック——
【???】
まだ???。だが——文字がわずかにちらついている。安定していた???が、不安定になっている。
「聖典によると、次は第三の兆候——感情の断片的な回復です」
「断片的——全部じゃなく?」
「全部一度には戻りません。小さな感情の欠片が、少しずつ」
セラフィーナが蕾の赤い薔薇を見つめた。
「この薔薇が咲く頃には——何か、変わっているでしょうか」
「変わっていると信じてる」
「信じる——」
セラフィーナが呟いた。
「信じることは——感情ですか? それとも意思ですか?」
「どっちでもいいよ。信じたいと思うなら、それで十分だ」
「…………」
午後。
リゼットがセラフィーナと二人きりで話す時間を作った。俺はフィーネと庭を散歩していた。
「セラフィーナさん、変わってきてるね」
「うん。少しずつだけど」
「レンが——セラフィーナさんの好感度が見えなくても信じるって言った時からだよね。あの言葉、あたし隣で聞いてて——泣きそうだった」
「フィーネ——」
「いいの。あたしは泣けるから。泣けるって——すごいことなんだね」
フィーネの好感度、「見ない」を選んだ。数字を見なくても、彼女の優しさはわかる。
夕方。帰る直前。
セラフィーナが見送りに庭に出た。赤い薔薇の前で立ち止まった。
「リゼット様」
「ん?」
「昔——あなたが私の髪に赤い薔薇を飾ってくれたことがありました」
「……覚えてるの? あれはお母さんが——」
「母が摘んで、あなたが飾ってくれました。母が——『リゼットちゃんは優しいね』と言いました」
「…………」
「その記憶を——忘れたくありません。感情が戻っても、戻らなくても」
セラフィーナの蒼い瞳から——涙がこぼれた。
また体の反応かと思った。
だが——セラフィーナの表情が、今までと違った。
微笑みが崩れていた。仮面が——壊れていた。
目が潤み、唇が震え、頬を涙が伝う。その顔は——悲しみでも喜びでもなく、ただ——「何か」を感じている顔。
「……あ」
セラフィーナが自分の頬に触れた。涙を指で掬い、驚いたように見つめた。
「泣いて——います。私……泣いて——」
「セラフィーナ……」
「わかりません。何の感情かわかりません。でも——何かが、あります。ここに」
胸に手を当てた。
「何かが——溶けていきます」
好感度が——
【???】→【+1】
出た。
数字が。初めての数字。
プラス1。ゼロでもマイナスでもなく——プラス。
たった1。だが——存在0から1への変化は、1から100への変化より遥かに大きい。
セラフィーナは泣いていた。静かに。声もなく。
だが——それは体の反応ではなかった。
感情だ。名前のない、生まれたばかりの、壊れやすい——感情。
リゼットがセラフィーナを抱きしめた。
「おかえり」
一言。
セラフィーナの涙が——止まらなくなった。
好感度は——
【+1】→【+3】→【+5】→——
ゆっくりと、確実に、上がっていった。
0から始まる感情が、一歩ずつ数字を刻んでいく。
凍った湖の底から——水が、溶け始めていた。




