第44話 感情のない庭園
ヴェール伯爵家の別邸は、王都から半日ほど北にある静かな丘の上にあった。
白い外壁に蔦が絡まり、周囲を薔薇園が囲んでいる。——だが、その薔薇は全て白だった。赤も黄色もピンクもない。白一色。
「……全部、白い薔薇」
「母上がお好きだったそうです。セラフィーナの母上が」
リゼットが小声で教えてくれた。
セラフィーナが庭園の中央で待っていた。白いドレスに銀の髪。白い薔薇の中に佇む彼女は、まるで庭の一部のように溶け込んでいた。
「いらっしゃいませ、レン様。リゼット様」
微笑み。いつもの仮面の微笑み。
好感度——【???】。変わらない。
「リゼット様。お久しぶりです」
「……ええ。久しぶりね、セラフィーナ」
リゼットの声が——柔らかかった。公爵としてではなく、旧友としての声。
「中にどうぞ。お茶を用意しています」
別邸の応接間に通された。セラフィーナが自ら茶を淹れてくれた。所作は完璧だが——温かみがない。人形が動いているような正確さ。
「聖典の内容を話してくれたそうですね、レン様」
「はい。セラフィーナ様の呪いの解呪条件について」
「ええ。『自らの意志で涙を流すこと』——でしたね」
セラフィーナは穏やかに言った。まるで他人事のように。
「私も知っています。母が契約を結んだ時、その条件を聞きました。母が——最後に言いました。『泣ける日が来たら、お母さんのことは忘れてもいいのよ』と」
「…………」
「でも——泣けません。泣きたいとも思えません。泣くべき時に泣けないのではなく——泣くという感情そのものが、存在しないのです」
好感度は【???】のまま。
だが——セラフィーナの声には、感情はないのに「伝えたい」という意思がある。感情と意思は別のもの。彼女が手紙に書いた通りだ。
「セラフィーナ」
リゼットが口を開いた。
「一つ聞いてもいいですか」
「何でも」
「私たちが子供だった頃——あなたは、よく泣く子でした。転んでは泣き、迷子になっては泣き、夕焼けが綺麗でも泣いていた。覚えていますか」
「完全に覚えています。記憶は全て残っています」
「あの頃のあなたに戻りたいとは——思わない?」
セラフィーナが微笑んだ。
「思いません。戻りたいという感情がないので」
「でも——意思としては?」
沈黙。
セラフィーナの微笑みが——ほんの一瞬、揺れた。
「……意思としては。戻りたい——と、思います。たぶん」
「たぶん」
「確信が持てないのです。感情がないから。これが本当に『戻りたい』なのか、それとも論理的に妥当だと判断しているだけなのか——区別がつかない」
リゼットが立ち上がった。セラフィーナの前に歩み寄り——手を取った。
「セラフィーナ。私、やっと来られた。ずっと——来なくてごめんなさい」
「謝る必要は——」
「ある。友達なのに。あなたが苦しんでいるのに——私は自分の殻に閉じこもって、あなたのところに来なかった」
セラフィーナの手は、温かくなかった。冷たくもなかった。ただ——そこにある、という感じ。体温はあるが、感情の温度がない。
「リゼット様。私は——苦しんではいません」
「苦しみを感じられないだけでしょう」
「……ええ。それは——正しいかもしれません」
好感度【???】。まだ変わらない。
だが——セラフィーナの瞳に、何かが揺れた気がした。感情ではなく——記憶の波紋。
かつて泣いていた自分の記憶が、凍った湖の底で、微かに光った。




