第41話 恋人たちの距離感
リゼットと両想いになってから、一週間。
何が変わったかと言えば——驚くほど、何も変わっていなかった。
朝の執務室。リゼットはいつもと同じ席で書類をめくり、俺はその隣で報告書を整理している。ブレンナーが書類を運び、フィーネが廊下を巡回している。
好感度は相変わらず見えない。リゼットの頭上は空白のままだ。
だが——微細な変化はある。
例えば、お茶の時間。
「レン。レイクミントティーが入りました」
以前なら「お茶です」で終わりだった。今は——名前を呼んでくれる。
例えば、席の距離。
副官席の椅子との距離は、今ではわずか5センチにまで縮まっている。5センチ。定規一つ分にも満たない、けれどリゼットにとっては簡単には越えられない、慎重でいじらしい距離だ。
例えば、目が合った時。
以前は目が合うとすぐにそらされた。今は——1秒だけ長い。1秒。だがその1秒の中に、紫の瞳がわずかに柔らかくなる瞬間がある。
5センチと1秒。
それがリゼット・フォン・シルヴァーノの精一杯の「恋人としての歩み寄り」だった。
「……レン」
「はい?」
「この報告書の数値ですが——」
「はい」
「……いえ。何でもありません」
言いかけてやめる。これは以前からあった。だが以前は「公務の確認」で留まっていた。今の「何でもありません」は——たぶん、仕事とは関係ないことを言おうとした。
何を言おうとしたのか。
好感度が見えれば、数字の動きでヒントがつかめたかもしれない。だが今は見えない。
だから——聞くしかない。
「リゼット様。何でもなくない顔してますよ」
「……そんなことはありません」
「耳、赤いですよ」
「っ——!」
リゼットが反射的に耳を手で覆った。その仕草が——可愛い。
「見ないでください」
「見ちゃいます」
「……馬鹿」
周囲の使用人たちが、目を合わせてにやりとしている。ブレンナーでさえ、眼鏡の奥で小さく微笑んだ。ブレンナーの好感度、【+28】。また上がっている。俺たちの関係を好ましく思っているらしい。
この日常が——たまらなく、幸せだ。
だが——幸せだけでは終わらない。
午後。ブレンナーが深刻な顔で報告を持ってきた。
「リゼット様。王都から公文書が届きました」
「内容は?」
「ヴィクトール殿下が——王位継承を正式に辞退されました」
場が凍った。
「辞退——?」
「はい。次の国王は、殿下の弟君であるアレクシス殿下が継がれるとのことです」
ヴィクトールが、王位を捨てた。
なぜだ。リゼットにフラれたからか? いや——ヴィクトールはそんな感情的な男ではない。政治的な判断だ。
「加えて——ヴィクトール殿下が民間に下り、独自の商会を設立されるとの噂があります。名称は『グランツ商会』」
「商会……?」
「王太子の肩書を失う代わりに、経済的な自由を得る——ということでしょうか」
リゼットが考え込んだ。
「……殿下は、王太子としての制約を捨てて、別の形で権力を手に入れようとしているのかもしれません」
政治的権力ではなく——経済的権力。
婚姻によるシルヴァーノ領の支配が失敗したなら、次は経済で支配する。交易路、物流、金融——国の血管を握れば、王位なしでも国を動かせる。
「……より厄介になった、ということですか」
「かもしれません。あるいは——本当に政治から身を引いたのかもしれません。今の段階ではわかりません」
ヴィクトールの好感度は——前回の会談で【-25】だった。あれ以降は会っていない。
王位継承を辞退した今のヴィクトールの好感度は、何を示すのか。
いずれ——確かめに行く必要がある。




