第39話 ヴィクトールの好感度0
ガルシア伯爵との取引が成立してから一週間。
経済的圧力は目に見えて緩和された。関税所は撤去され、交易路は自由通行に戻り、加工魚の王都輸出が再開された。
だが——ヴィクトールの動きは止まっていない。
ガルシアが手を引いても、王太子は別のルートで動く。今度は——もっと直接的に。
ヴィクトールからの書簡が届いた。リゼット宛。
先日の件については遺憾に思います。
改めて、二者間での直接会談を希望します。
場所、日時につきましては、そちらのご都合に合わせます。
——ヴィクトール・フォン・グランツ
「直接会談——来ますか」
「来ます。シルヴァーノ城に」
リゼットの声は冷静だった。
「もはやガルシアや他の家臣を介した間接策は使えない。殿下自身が動く——ということは、最終通告に近いでしょう」
「断れないんですか」
「断れば——次は軍事的な圧力です。シルヴァーノ領に対して王家が『保護軍』を派遣するという名目で——実質的に占領できます」
重い。
「だからこそ、完璧な形で対応しなければなりません」
ヴィクトール来訪当日。
シルヴァーノ城の大会議室に、王太子が入ってきた。
前回と同じ白金の軍服。金髪碧眼。完璧な笑顔。
好感度——
【+15】
+85から+15に。70ポイントの暴落。
もはや計算された好意は剥がれ落ち、残っているのは「まだ利用価値がある」程度の薄い評価だけだ。
「リゼット殿。お会いできて嬉しいです」
「殿下。ようこそシルヴァーノ城へ」
二人の会話は氷のように冷たい社交辞令だった。
俺はリゼットの隣に座っている。ヴィクトールの視線が俺に向いた。
好感度が——
【+15】→【0】
ゼロ。
初めてのゼロ。+85だった男が——0になった。
好意的態度の仮面が、完全に剥がれた。俺はもう「利用できる駒」ではなく——「排除すべき障害」ですらなく——「どうでもいい存在」になった。
いや——違う。
0は「無関心」ではない。
0は——「感情を隠した状態」だ。
ヴィクトールは今、俺に対して何を感じているかを完全に遮断している。計算も好意も敵意も全て消して——素の状態で臨んでいる。
それは——本気だということだ。
「率直に申し上げます」
ヴィクトールが切り出した。笑顔は消えていた。初めて——仮面のない素顔。
「シルヴァーノ公爵家と王家の婚姻は、双方にとって最善の選択です。先日の暗殺未遂事件については——深くお詫びいたします。あれは私の意図ではありません」
「承知しています」
「しかし——あのような事件が再び起きないという保証は、私にもできません。王家の内部には様々な思惑を持つ人間がいます。リゼット殿を守るためにも——婚姻同盟は最良の選択肢です」
——巧い。
暗殺未遂を「自分の責任ではない」としつつ、「再発防止には婚姻が必要」と結論づけている。脅迫ではなく——保護の提案として。
「殿下に一つ伺います」
リゼットの声が、静かに響いた。
「殿下は——私を愛していらっしゃいますか」
場が凍った。
ブレンナーが目を丸くした。フィーネも。俺も。
リゼットが——そんな直球を投げるとは。
ヴィクトールの好感度を見る。
【0】→【-3】→【+2】→【0】
揺れたが——すぐに0に戻った。完璧な制御。
「……愛は、結婚生活の中で育むものだと考えています」
「つまり——今は、愛していないのですね」
「…………」
「正直にお答えください。殿下」
ヴィクトールが——初めて、言葉に詰まった。
「……私は、あなたを尊敬しています。優れた政治家だと認めています。しかし——個人的な感情として愛しているかと問われれば」
「ないのですね」
「——ありません」
好感度、【0】→【-5】。
マイナスに転じた。初めて。本音を言わされた不快感が数字に出た。
リゼットが立ち上がった。
「殿下。私も正直に申し上げます」
「…………」
「婚姻は——お断りいたします」
静寂。
「理由は三つです。一つ——愛のない婚姻では、私もシルヴァーノ領民も幸せにはなれない。二つ——シルヴァーノ領は経済的に自立しており、保護を必要としません」
ヴィクトールの好感度、【-5】→【-15】。さらに下がった。
「そして——三つ目」
リゼットの紫の瞳が、まっすぐにヴィクトールを見据えた。
「私には——大切な人がいます」
心臓が止まった。
リゼットは俺のことを見なかった。ヴィクトールだけを見ていた。
だが——「大切な人」が誰であるかは、この場の全員がわかっていた。
ヴィクトールの好感度、【-15】→【-25】。
「……そうですか」
ヴィクトールは立ち上がった。笑顔はなかった。
「残念です。しかし——あなたの決断は尊重します」
お辞儀をして、大会議室を出ていった。
その背中を見送りながら——好感度を確認した。
【-25】
完全にマイナス。もう好意の仮面はない。
だが——殺意(-80以上)でもない。ヴィクトールは政治家だ。感情で動く男ではない。
今後も政治的な対立は続くだろう。だが——婚姻の強要は、これで終わった。
リゼットが席に座ったまま、深い溜め息をついた。
「……終わりました」
「はい」
「レン」
「はい?」
「……後で、お茶を入れてもらえますか。レイクミントの——濃いめで」
「はい。喜んで」
好感度は見えない。
でも——リゼットの声が、少しだけ震えていた。
緊張が解けた震え。怖かった。でも、やり遂げた。
その声の震えだけで——俺には、十分だった。




