第3話 まずは使用人のおばちゃんから好かれよう
使用人好感度改善計画、初日。
まずはルドルフ爺さんからいこう。好感度【-5】。ほぼ無関心のラインだ。少しのきっかけでプラスに転じるはず。
朝食を終えた俺は、庭に出た。
ルドルフ爺さんは花壇の前にしゃがんで、黙々と雑草を抜いていた。七十は超えているだろう白髪の老人で、日に焼けた顔に深い皺が刻まれている。この体の記憶では、何年も前からこの屋敷で庭の手入れをしている人だ。
よし、ここだ。
「ルドルフさん、おはようございます」
「……おや。レン様。珍しいですな、こんな朝早くに庭におみえとは」
爺さんの頭上、【-5】。変わらず。まあ挨拶一発で劇的に変わるとは思っていない。
「少し、手伝ってもいいですか?」
「はあ?」
ルドルフ爺さんの目が丸くなった。当然だ。この体の前の持ち主は、庭仕事を手伝うどころか庭に出ることすら稀だったのだから。
「体を動かしたくて。草むしりくらいなら俺にもできるかなと」
「はぁ……まあ、よろしいですが。そちらの花壇を頼めますかの」
爺さんの好感度に変化はない。まだ様子見というところか。
俺はしゃがんで草をむしり始めた。前世ではやったことのない作業だが、難しいことはない。雑草と花の区別さえつけばいい——つくよな?
「あ、あの、ルドルフさん。これは雑草ですか?」
「それはラベンダーですじゃ」
「す、すみません!」
危ない。危うく花壇を壊滅させるところだった。
爺さんが溜息交じりに「こちらの茶色い葉のものが雑草ですわ」と教えてくれる。その瞬間、頭上の数字がわずかに動いた。
【-5】→ 【-3】。
上がった。2ポイント。たった2だが——上がった。
「教える」という行為が、僅かにポジティブな感情を生んだのか。人は質問されると悪い気はしない、とはまさにこのことだ。
「ルドルフさん、こっちの背の高いのは?」
「それはローズマリー。料理にも使えますでな」
【-3】→【-1】。
——いける。
俺は質問攻めにした。花の名前、育て方、水やりの頻度。ルドルフ爺さんは最初こそ困惑していたが、次第に嬉しそうに語り始めた。
「このシルヴァーベルは、先代の奥様——レン様のお祖母様がお好きでしてな。わしが若い頃に奥様と一緒に植えたものですじゃ」
「へえ……ずっと大事にしてくれてたんですね」
ルドルフ爺さんの表情が、ふっと柔らかくなった。
【-1】→ 【+5】。
——プラス! プラスだ!
ようやく、ようやくプラスの数字を見た。たった+5だが、俺にとっては砂漠で見つけたオアシスのような数字だ。
体が——ほんの少し、軽くなった気がした。
HPが微増したのだろう。好感度合計が-90から-80くらいに改善した程度だが、それでもHP上限が10から20になった。生命の綱が、わずかに太くなった。
だが、油断はできない。
午後。本丸に挑む。
マルタさんだ。
好感度【-28】(昨日から微改善)。使用人の中で最もマイナスが大きく、かつ最も影響力の大きい存在。彼女は屋敷の家事全般を取り仕切っており、他の使用人たちのリーダー的存在でもある。
マルタさんの好感度が上がれば、他の使用人たちへの波及効果も期待できる。
問題は、マルタさんが「一番手ごわい」ということだ。
この体の記憶から推測するに、マルタさんは長年この家に仕えてきた忠義者だ。先代——父エドムントへの忠誠心は厚い。だが、怠惰な次男坊たるレンには失望している。しかも前のレンは、マルタさんの作った料理に文句を言ったことがあるらしい。
……お前マジか。飯作ってくれる人に文句言うとか、前世の俺なら張り倒してるぞ。
とにかく。
台所の扉を叩く。
「あの、マルタさん」
「はい、レン様。何か御用でしょうか」
マルタさんは大きな鍋をかき混ぜながら、こちらを振り返った。効率的な動きに一切の無駄がない。表情は丁寧だが、目が笑っていない。
頭上の数字、【-28】。
「えっと……夕食の、お手伝いをしたいんですが」
沈黙。
マルタさんの手が止まった。
「……レン様が、台所に?」
「はい。迷惑じゃなければ——」
「迷惑ですわ」
ばっさり。
【-28】→【-30】。
下がった! 2下がった! さっきのルドルフ爺さんとは逆の展開!
「あ、その、別に邪魔するつもりは——」
「レン様。失礼を承知で申し上げますが」
マルタさんの目が、まっすぐ俺を射抜いた。
「突然お庭のお手入れをなさったり、台所に立つとおっしゃったり。なにか企んでおいでですか」
——鋭い。
この人は、ぬるい好意にはなびかないタイプだ。前のレンの怠惰さを長年見てきたからこそ、急な変化に警戒する。
「企みっていうか……いえ、正直に言います」
俺は深呼吸した。
「今まで、自分がどれだけ周りの人に失礼なことをしてきたか、やっと気づいたんです。遅すぎるのはわかってます。でも、変わりたいと思ってる。だから——最初の一歩として、マルタさんの仕事を手伝わせてください」
……恥ずかしい。
前世ならこんな真っ直ぐな台詞、逆立ちしても吐けなかっただろう。だが命がかかっている。恥は後で感じろ。
マルタさんは、しばらく俺の目を見つめていた。
その間、好感度の数字が微かに揺れる。
【-30】→【-29】→【-28】→【-29】→【-27】。
行ったり来たりしている。迷っているのだ。
やがて、マルタさんは小さく息を吐いた。
「……では、ジャガイモの皮むきからお願いします。包丁はこちら」
「は、はい!」
そこから一時間。俺は必死でジャガイモの皮をむいた。
不格好な出来栄えに、マルタさんは何度も苦笑していたが——それは嘲りではなく、どこか呆れ交じりの温かさを含んでいるように見えた。
夕食が出来上がった頃、マルタさんの数字を確認する。
【-20】。
……8も上がった。一日の中では最大の上昇幅だ。
「マルタさん。今日のシチュー、すごく美味しいです」
「レン様がむいたジャガイモは、半分ほど使い物になりませんでしたけれどね」
そう言いながらも、マルタさんの口元がかすかに緩んでいるのを、俺は見逃さなかった。
好感度はまだマイナスだ。だが、方向は正しい。
この夜、ベッドに横になりながら、今日一日の「好感度帳簿」を頭の中で整理した。
ルドルフ:-5 → +5(プラス転換!)
マルタ:-28 → -20(大幅改善!)
トーマス:-15(変動なし。明日なんとかしよう)
洗濯係の女性:-10(変動なし。まず名前を覚えよう)
HP上限は、体感で少しだけ改善している。呼吸が楽になった気がする。膝の傷も、うっすらとかさぶたが形成され始めた。
遠い道のりだが——ゼロから始めるよりはマシだ。マイナスから始めてるけど。
目を閉じる。
「……明日は、トーマスを攻略するか」
攻略。我ながらゲーム脳な発想だが、好感度が数値で見える以上、もうゲーム感覚でいくしかない。
ゲームと違うのは、失敗したら死ぬということ。
それだけだ。




