第29話 千の仮面、一つの本心
王都グランハルト。
グランツ王国の首都は、シルヴァーノ領の静謐さとは対照的に、喧騒と華やかさに満ちていた。石畳の大通りに馬車が行き交い、街の至る所に舞踏会を告げる旗が翻っている。
シルヴァーノ一行は前日入りし、王都の宿館に滞在していた。リゼット、ブレンナー、フィーネ、護衛兵六名、そして俺。
舞踏会当日の午後。
俺は自室で正装に着替えていた。黒を基調とした燕尾服。子爵家の次男にしては分不相応だが、ブレンナーが「公爵家の顧問として恥ずかしくないものを」と手配してくれた。
仮面も用意されていた。銀の地に黒の装飾が施された半面の仮面。右目の周囲だけを覆うデザインだ。
——仮面舞踏会。全員が仮面をつける。
つまり——好感度の数字が、見えにくくなる。
仮面が目の周囲を覆うと、頭上に浮かぶ数字が隠れてしまう場合がある。完全に見えなくなるわけではないが、距離が離れると判読が困難になる。
今夜は——好感度に頼れない場面が増える。
自分の目と、自分の判断で戦わなければならない。
皮肉だ。「数字が見える能力」に頼ってきた俺が、数字が見えない状況に放り込まれる。
宿の廊下で、フィーネと合流した。
「おっ? レン、その格好——似合ってるじゃん!」
「ありがと。フィーネも——」
言葉が止まった。
フィーネは護衛任務のため軽鎧を着ていると思っていたが——ドレスだった。深紅のドレスに、金の仮面。
「護衛は表向きは目立たない方がいいからね。ドレスの下に軽装甲を仕込んでるよ」
フィーネがウインクした。好感度、【+67】→【+68】。
「似合ってる。すごく」
「えへへ。ありがと」
フィーネの耳がわずかに赤くなった。好感度は動かない。だが——以前気づいた「笑顔の仮面」を思い出す。彼女もまた、見えない場所で何かを隠しているのだ。
そして——リゼットが宿の階段を降りてきた。
息が止まった。
月光色のドレス。プラチナブロンドの髪を高く結い上げ、紫水晶のティアラが輝いている。銀と白の仮面が目元を覆い——そこから覗く紫の瞳が、氷の結晶のように鋭い。
美しい。心臓が痛いほどに。
「……何ですか」
「い、いえ。なんでもないです」
好感度チェック——仮面のせいで一瞬読みにくかったが、見えた。
【-10】→【-8】
微増。俺の反応が——嬉しかったのか?
リゼットは無言で馬車に向かった。その背中を追いながら、今夜の戦場へ向かう。
王城グランハルト宮殿。
巨大な大広間に、数百人の貴族が集まっていた。全員が仮面をつけ、華麗な衣装に身を包んでいる。
好感度の数字が、あちこちに見える——が、やはり仮面と距離のせいで判読困難なものが多い。近くに来た人物しかはっきり読めない。
リゼットの隣を歩く。彼女は完璧な氷の仮面(物理的にも精神的にも)を被って、淡々と貴族たちの挨拶を受けていた。
フィーネはリゼットの背後に控え、周囲を鋭く警戒している。
そして——
「リゼット殿。ようこそお越しくださいました」
ヴィクトールが現れた。
白金の軍服に金の仮面。仮面舞踏会にもかかわらず、その存在感と風格で瞬時に王太子だと判別できる。異常な華やかさだ。
好感度——仮面の上からでも読める距離まで近づいてきた。
【+78】
前回の+80から2下がったが、依然として高い。計算された好意。
「殿下。お招きいただきありがとうございます」
「この場にあなたがいらっしゃるだけで、舞踏会の格が上がります」
完璧な社交辞令。笑顔の裏で何を考えているのか——好感度の数字だけでは読み切れない。
「今夜、一曲お願いしたいのですが——よろしいでしょうか」
ダンスの誘い。リゼットが断る理由はない。王太子のダンスの誘いを公の場で断れば、侮辱になる。
「……光栄です」
リゼットがヴィクトールの手を取った。
俺の目の前で——二人がダンスフロアに消えていく。
好感度が——見えない。距離が離れすぎた。
残されたのは、好感度の数字ではなく——胸の奥の、鈍い痛みだけだった。




