第26話 好感度の本当の意味
あの日——リゼットに激しく突き放された翌日から、俺は執務室に通い続けた。
リゼットは何も言わなかった。「離れろ」とも「いてもいい」とも。ただ俺が席に着くと、いつも通り書類を示し、いつも通り淡々と仕事をした。
好感度は【-40】から、少しずつ回復していた。
一日目:【-40】→【-38】
三日目:【-38】→【-33】
一週間後:【-33】→【-25】
地道だ。だが——前より回復が速い。
最初の-50から0に戻るまで一ヶ月以上かかったのに、今回は一週間で15ポイント回復した。
理由はわかる。最初の-50は「無関心からの拒絶」だった。今の-25は「大切だから突き放す拒絶」だ。根っこが違う。表面は冷たくても、底にある感情が違えば、回復の速度も変わる。
——その仮説を思いついた時、俺は《心鏡の瞳》について、もう一段深く考え始めた。
きっかけはセラフィーナだった。
彼女の好感度【???】。あれが頭から離れない。
なぜセラフィーナだけ数値が表示されないのか。他の全員——リゼットもフィーネもヴィクトールも使用人たちも——は数値で表示されるのに。
自室で天井を見つめながら、《心鏡の瞳》のルールを整理した。
ルール1:表示されるのは「相手が俺に対して抱いている感情」。
ルール2:他人同士の感情は見えない。
ルール3:常時発動。ON/OFFはできない。
ルール4:数値は-100〜+100の範囲——のはず。
ここで引っかかる。
ルール4は本当に正しいのか?
リゼットの好感度は-50から+15まで動いた。フィーネは+55から+67。ヴィクトールは+85。すべて-100〜+100の範囲内だ。
だが——あのリゼットの「忘れなさい」の時、好感度が+15から-20に一気に飛んだ。35ポイントの急落。
あの時、数値が「態度」を反映しているのであって「感情」を反映していないことに気づいた。
態度と感情は同じではない。
リゼットは照れて壁を立て直した(態度=冷たい)が、実際には嬉しかった(感情=温かい)。表示されたのは態度の方だ。
つまり——好感度の数字は「態度の方向×意識の強さ」を示している。
ヴィクトールの+85も同じだ。彼の態度は極めて好意的。だが感情は打算的。数字は態度の好意を反映して高い値を示したが、感情の中身は好意ではなかった。
では——セラフィーナの【???】は?
彼女は常に微笑んでいた。態度は一貫して好意的だった。つまり、態度だけなら+の数値が出るはず。
なのに出ない。
……ということは。
「態度すらも……本物じゃない、のか」
セラフィーナの微笑みは「態度」ですらない。彼女の中で感情が完全に凍結されているなら——態度を生み出す「意識」そのものが存在しない。
意識がゼロなら、掛け算の結果もゼロ——いや、ゼロではなく「計算不能」。
0×0=0ではなく、「存在しない×存在しない=表示不能」。
だから【???】。
「……マジかよ」
セラフィーナは——感情が凍結しているだけじゃなく、「意識する」という機能そのものが停止している。
誰のことも意識していない。誰に対しても、何も感じていない。あの微笑みは反射だ。感情ではなく、学習された行動パターン。
——それは、生きているのか?
胸が痛くなった。
セラフィーナは、リゼットの幼馴染だ。かつては泣いたり怒ったりする感情豊かな少女だった。それが母の死後——
「泣くことを忘れた人間の顔です」とリゼットは言った。
忘れたのではなく——壊れたのだ。
好感度システムの限界が、ここにある。
好感度は「感情を持っている人間」にしか機能しない。感情そのものが壊れた人間には——数字を出せない。
——この発見は、重要だ。
好感度は万能ではない。数字で見えるものには限界がある。
それを理解した上で——俺はこの能力を、どう使うべきなのか。




