第17話 わかりやすい人のわかりにくい涙
リゼットの好感度暴落から数日が経った。
好感度は【-17】→【-10】まで回復した。地道に執務を手伝い、猫の散歩を続けて、少しずつ戻している。
だが——あの茶会の前のピーク【+15】には、遠い。
もしかしたら、同じ場所に戻ることは二度とないかもしれない。あの一瞬の微笑みは、再現できない儚さを持っていた。
——でも、それでいい。
今の俺は、好感度の数字を追いかけるだけの男じゃない。
もうちょっと、ましなことを考えていたい。
そんなことを思いながら歩いていたら——フィーネにぶつかった。
「うわっ」
「ごめん! ぼーっとしてた——って、フィーネ?」
フィーネが廊下に座り込んでいた。訓練用の木剣を膝に乗せて、壁にもたれかかっている。
「あれ、どうしたの? 訓練中?」
「んー……サボり」
「サボり? フィーネが?」
フィーネは騎士見習いの中で最も真面目な一人だ。訓練をサボるなんて聞いたことがない。
彼女の頭上を見た。
好感度、【+65】。いつも通り——いや。
【+65】→【+63】。
微かに下がった。俺が来たことで、下がった?
……おかしい。フィーネの好感度は、俺が来ると上がるか安定するかのどちらかだった。初めて「俺が来て下がる」パターンだ。
「フィーネ、何かあった?」
「別にー。……ねえ、レン」
「うん」
「リゼット様とさ、お茶したんでしょ。先週」
――知ってたのか。
「うん。まあ」
「どうだった?」
「どう——って」
「楽しかった?」
フィーネの琥珀色の目が、いつもと少し違う光を帯びている。笑っているのに——奥が笑っていない。
「うん……楽しかったよ。途中で猫がカップ引っ掛けてパニックになったけど」
「あはは。ショコラでしょ、あの子ドジだもんね」
笑い声は明るい。だが——
好感度、【+63】→【+60】。
また下がった。笑っているのに。
フィーネの好感度は「態度と数字が一致する」はずだった。彼女は裏表のない人間だ。笑っている時は好感度が上がり、怒っている時は下がる。
だが今——笑いながら下がっている。
それは——
「ねえ、レン」
「うん?」
「あたしさ——」
フィーネが一瞬、言葉に詰まった。彼女が言い淀むのは珍しい。
「あたしも、リゼット様のこと大好きなんだよ。護衛騎士見習いとしてじゃなくて、一人の人としてね。あの人はすっごく頑張ってて、すっごく孤独で、だからあたしは——あの人のために、何でもしたいって思ってた」
「うん」
「でもさ。あたしが何年もかけて越えられなかった壁を、レンは二ヶ月で……」
言葉が途切れた。
フィーネの目に、光が揺れた。泣いて——いや、泣いていない。泣きそうな顔を、笑顔で塗り潰している。
好感度、【+60】→【+58】。
——ああ。
わかった。
フィーネは——気づいている。
俺がリゼットに対して特別な感情を持ち始めていること。リゼットが俺に対してだけ見せる反応があること。自分には見せてくれないものを、俺には見せていること。
そして——その事実が、彼女を傷つけている。
「フィーネ——」
「あ、ごめんごめん! 変な空気にしちゃった! あたしほんとダメだね、こういう——」
「フィーネ」
名前を呼んだ。しっかりと。
フィーネが口を閉じた。
「……俺は、フィーネに助けられてばかりだよ。この城に来た時、誰にも相手にされない俺に最初に声をかけてくれたのはフィーネだった。剣も教えてくれたし、リゼット様のことも教えてくれた。フィーネがいなかったら——俺、とっくにダメになってた」
本心だ。好感度とか関係ない。
「だから——ありがとう」
フィーネの目が、わずかに潤んだ。
だが——すぐに、いつもの三日月の笑顔に戻った。
「……ありがとね、レン。うん。あたしは大丈夫」
好感度、【+58】→【+65】。
一気に戻った。いや——感情の動き方としては不自然なほどの回復だ。
フィーネは——自分の感情を「大丈夫」で蓋をする子なんだ。
わかりやすいと思っていた。態度と数字が一致する、裏表のない子だと。
でも——違った。
フィーネにも「隠している感情」がある。ただ、リゼットとは隠し方が違う。リゼットは氷の仮面で。フィーネは笑顔の仮面で。
「じゃあ訓練行こっか! 今日はいっぱい投げ飛ばすからね!」
「え、ちょ、手加減——」
「手加減なしー!」
フィーネに引きずられるようにして訓練場に向かう。
その背中を見ながら——俺は思った。
この子の笑顔は、嘘じゃない。
嘘じゃないけど——全部でもない。
好感度の数字だけじゃ、わからないことがある。
リゼットも。フィーネも。
……人の心って——こんなに複雑だったんだ。前世でも、そのことに気づけていたら、もう少し違う人生を歩めたのかもしれない。




