美しきもののために
『組織に対する反逆行為が確認されたため、アルバート・レイノルズを除隊処分とする』
突如としてアーシェラ構成員全員に通知されたこの事項は、組織内で多くの憶測を呼んだ。というのも、レイノルズは組織における両派閥ーーノール派とエルシア派ーーに縛られない遊撃手として、一定の評価を得ていたからだ。尤も、特段事情を知らない者たちの考えは必然浅いものにしかならず、確信には程遠い。
そんな中エリアルド・ハートレイは、海沿いのカフェテリアでコーヒーを嗜んでいた。
「そろそろかな」
ユーラシア大陸中央に位置する国家、ベルフェリカ。かつては『青の国』と呼ばれ、セレブには休日のバカンスに、庶民には生涯一度の夢として憧れの的となった、一大観光地だった国だ。しかしそれも今は昔、目の前に広がる海は青とは程遠い濁った緑色をしている。
エリアルドは冷めた目で故郷の海を眺めつつ、温いブラックコーヒーを流し込んだ。
これでもまだ、三十年前に比べれば改善している。無能な独裁者という最悪の政治体制の手によって資産を自ら手放したベルフェリカは、これから再起の道を歩むのだ。
そう自分に言い聞かせつつ、カップを空にした。それと同時に、右脚から軽快なメロディーと共にバイブレーションが発せられる。
三回目のコールと共にスマートフォンを取り出し、『応答』をタップした。
「やあ、レイノルズが迷惑を掛けたようだね」
『ええ。幾ら何でもやり過ぎです。一人は立ち上がれない程のダメージを負わされているんですよ』
電話の向こうから聞こえるのは、上品な印象を与える女性の声。今はアーシェラを離れたものの、大事な同志の女だ。
「それは申し訳ない。と言いたいが……こちらも当人がやられてしまっているから、おあいこという事にしないか?」
『何ですって? 彼は撤退した筈では?』
「何だって? 君たちじゃない? ならレイノルズは……」
数秒の逡巡の末、エリアルドはすれ違いの原因を理解した。
レイノルズは帰還できず、しかし協会に討ち取られた訳ではない。そんな中で、レイノルズ『除名』の通知。
つまりエルシア側に、レイノルズの行動が察知されていた。彼らの手は、エリアルドの思うよりも届いている。つまり、こちらの手の内が読まれている可能性が高い。
ならば今出来る事は、レイノルズが与えた傷が残った状態で襲撃を受けるのを阻止する事。最低でも、東京支部の主戦力が全員揃うのは必須だ。
「確認したい。君たちの中で、アーシェラ側の術師に単独で対応出来る者は何人いる? そしてその中で最も復帰が遅い者が戻るまでどれぐらい必要だ?」
『前者の答えは三人、但し戦場や相性次第でもう一人追加。後者の方は、十日といった具合ですわ』
「少し遅いね。……分かった。こちらでどうにかするよ」
そうは言いつつも、エリアルドは頭を悩ませていた。
レイノルズを無断で動かしたエリアルドが何の咎も受けていないのは、エルシアに確たる証拠が無いからだ。エルシア派が動くまでには間に合う程度の損傷を与えさせたのも、効いているだろう。これならレイノルズが先走っただけだと言い張れる。
しかし、向こうに此方の動きがバレているなら、エリアルド自身が動いては確信を与えかねない。
どうにかして自分の存在を匂わせる事なく、作戦を一日でも遅らせる必要がある。もしそれが敵わなかった場合は、自分たちで『深化の花』を確保する。だがこれは、あくまで次善の策。協会が頑張って退けてくれるなら、それが一番良い。
「しかし、そちらでも打てる手は打って欲しい。せめて単独で戦える戦力を一人用立てられるなら、こちらも助かる」
『相変わらず、涼しい顔で無茶を言いますわね』
「心当たりならあるんじゃないか? 以前話していたじゃないか。教導隊に、元東京支部の人材がいると」
『五分五分ですわよ。それについては、支部長の腕次第というところですわね』
電話の向こうで、女性の嘆息が聞こえる。無茶を言っているのは承知の上。しかしお互いの存亡が懸かっている。頭の一つぐらいは抱えなければ。
『やってはみますわ。また何かあれば、こちらから連絡します』
「ああ、頼りにしている」
そうして通話は切れた。エリアルドは再び目の前の海を眺める。
エリアルド・ハートレイの想いは一つ。あの美しき青の国を取り戻す。
*
レイノルズの襲撃から一夜明けた魔導協会東京支部。霧嶋アキラの病室は、病室とは思えぬ騒がしさに包まれていた。
主な原因は、愛花の泣き声だった。
「山﨑さ〜〜ん、そろそろ泣き止まね?」
「ぞう言われでも止まらなぐでぇ……ゔゔぅ……良がっだねぇ霧嶋ぐんも維月ざんもぉ……」
「喋る台詞全部濁点ついてんじゃん……ウソだろ……。こんな泣き方する娘だったか……?」
「昔から知ってる仲だからまぁ……しかし、こうも感涙されると流石に恥ずかしいな……」
「あぁ愛花……ほらティッシュ。鼻かめ」
「純ありがど〜〜」
大きな音を立てて鼻をかむ愛花に、純は動揺する様子もなくティッシュを渡していく。流石に彼女の事は良く分かっているのか、アキラと維月が困惑するボロ泣きにも表情一つ変えない。
長年憧れ続けた末の成就というアキラの姿は、愛花からしても他人事ではない。まして長年見てきたからこそ、感情移入が止まらないのだろう。
「さて、そろそろ出ようか。診察の邪魔になる」
「せめて維月姉だけでもいてくれ〜〜」
「退院したらな」
維月は悪戯っ子じみた笑顔でアキラの頭を撫でーー頬に口づけした。
「なっ……!?」
「えっ……!?」
「っ……!?!?」
流れるような所作にアキラは、何も言えず地蔵のように固まるしかなかった。
間近で見ていた純と愛花も、目を丸くして絶句した。ただ一人維月だけが、微笑みと共に軽い足取りで病室を後にしていた。
「維月さん、本当に経験無いんだよね……?」
「その筈だけどな……」
*
「あら、愛花さん」
「瀬良さん! お疲れ様です!」
昼休み前、並んで歩いていた愛花と純は、廊下で瀬良と会った。瀬良は愛花の顔を少し観察すると、純を横目で睨んだ。
「いや、俺が泣かせた訳じゃないですから」
目を赤く腫れさせ、鼻を真っ赤にした愛花が純と並んでいれば、誰でもそっちを疑うだろう。
大人な瀬良はそんな本音を飲み込み、先程まで自分がしていた事を伝える。
「滝本さん、『猟犬の首輪|( ハウンド・リード)』はご存知でしょうか?」
「ハウンド……何ですかそれ?」
「『猟犬の首輪(ハウンド・リード)』。魔導協会本部直属の教導隊です。世界中の支部を回って、現地の魔術師に訓練を行う部隊です。実力は勿論、不測の事態に対処する判断力や頭脳など、様々な能力を備えた精鋭部隊でもあります」
「つまり、ホンファが前にやってた事をメインにやってるって事ですか?」
「ええ、そういう事です」
ホンファが長期に渡り、新設された上海支部に派遣されていたのは、本来彼らの任務だったものを彼女に委任された、という経緯があった。未熟な支部に派遣された場合、戦闘になれば頼れるのは教官一人という事態になり得る。このようなリスクもあり、『猟犬の首輪(ハウンド・リード)』のメンバーは常に不足気味である。
「先程支部長に『猟犬の首輪(ハウンド・リード)』を東京支部に派遣出来るか確認してきました。結論から言えば、一人なら可能との事です」
「つまり戦力が一人分増える、という事ですか」
「あまり大きな戦力を動かしては、『ここに何かあります』と喧伝するようなものですから、一人でも充分でしょう」
「それで、この話って他には知ってる人は?」
「勿論後で通告されますわ。けど、滝本さんには予め言っておきたくて。それに愛花さんにも
「どうしてです?」
瀬良は派遣される猟犬の首輪(ハウンド・リード)のメンバーの名前を告げた。それを聞いた目の前の二人は、はっきりと驚愕を表情に映した。彼らにとって、よく知った名前だったからだ。
「そういう訳ですので、喧嘩しないでくださいね」
瀬良はクスクスと笑いながら、手を振って去っていった。
「愛花……知ってたか?」
「いや全然……知ってるなら私より純じゃない?」
困惑する二人の声を背中で聞きながら、瀬良は今後の事に思考を巡らせる。
今自分に出来る事はやった。後は『向こう』次第だ。
柏木瀬良の想いは一つ。
エルシア・ハイルーフの思い通りにはさせない。そして出来るなら、美しい心を持つあの少女に幸運を。
MUD_BRAVER 5章
『鏡と硝子』 終




