第3話 エルフの耳
ジャラッ。
不意に聞こえた金属が擦れる音によって、僕は強制的に意識を現実に戻された。
ゲルジッドさんの言っていた事が見事に的中してしまう。
読書に夢中になってお客様の存在に気づかなかったのだ。
すぐに謝罪しようと僕は立ち上がり。
「す、すいませ……」
瞬間、全ての時間が止まった。
おそらくこれは錯覚、実際には時は動いている。
だけど息が詰まる、胸が苦しい。
視線は店の入り口にいる一人のお客様に釘付けになってしまった。
美しい。
美的知識なんて欠片も無い僕でもそう思えてしまう。
恵まれた外見というのは、彼女の事を言うのだろう。
薄緑が混じった黄金色の艶のある髪、汚れを知らない透き通った黄緑色の瞳、スッとした鼻、小ぶりな唇、それらを際立たせる絹のような白い肌、そして彼女がエルフだと決定付ける特徴的な長い耳。
左側だけ無造作に伸ばされた前髪は片目を覆い隠すけど、それが一層彼女の美しさ、神秘さを際立たせる。
いや、彼女は全てが左右非対称だった。
衣服は鎧の下に着る黒に金の刺繍が入った布製の衣服ギャンベゾン。
そして身を守る為の鋼のプレートアーマーは全て身体の左側。
左肩、左胸、左腕、左手、左腰、左足。
それも急所を守る為だけの軽装の鎧。
それに比較して右半身を守る物は衣服のみ。
強いて言うなら先ほどの金属音の正体。
右腰から伸びている鎖ぐらいだろうか。
お昼過ぎの城下町、そのメインストリートの一角にあるどうぐ屋、入り口に静かに佇む容姿端麗のエルフ、鬱陶しいと思わせる午後の西日でさえも彼女を神秘的に見せる要因の一つ。
その姿はまるで本から出てきたようで、ここだけ本の中の、物語の世界のようだ。
城下町の喧騒だけが絶えず僕の耳に入り込み、それが唯一僕を現実へと引き止めてくれている。
それほどまでに彼女は美しく、それこそまるで本の中の騎士様のように凛々しい。
「……ん?」
「……あっ」
時は一瞬、彼女と視線が交差する。
透き通る黄緑色の瞳は片方だけでも僕が堪らず吐息を漏らすには充分だ。
彼女は僕に気づくと、少しだけ口元を笑みで緩め、僕はまたそれに見惚れる。
そして鎧で覆われていない右腕を軽く上げて。
「ヤッホー!!」
「…………はい?」
満面の笑みで、元気良く、彼女は僕に挨拶する。
その破壊力は違う意味でまた僕の時間を止めるには充分だった。
「あれ?元気無いぞー?どしたの?風邪?」
「え?い、いえ……」
「そう?じゃあ元気?」
「はい、おかげさまで……」
「なら良かった!」
花が咲いたように彼女は笑う。
エルフの、いや彼女の恵まれた容姿から繰り出される笑顔は、人を魅了する力でも持っているのだろうか。
ただ僕はそれどころじゃなかった。
「あ、あの! 失礼ですが……エルフ、ですよね?」
何故だか震える腕を必死に持ち上げて彼女を指差す。
僕の指はエルフの特長とも言える長い耳へ。
「いかにもエルフです! え? 何、気になるの? 触ってみる?」
「えぇっ!?」
二カッと綺麗な歯を出して笑う彼女はカウンターに身を乗り出して上半身を捻った。
一気に近づく僕と彼女の距離。
目の前には彼女の整いすぎている綺麗な横顔、それとエルフの右耳。
ていうか触ってみるって何?
触って良いの? エルフってそういう生き物なの?
「あり? 触らないの?」
「あ、いえ! 触ります!!」
「うん、優しくね」
「…………はい」
条件反射で自分から触るなんて言ってしまった事に自己嫌悪をする暇も与えられるに彼女はズイッと更に僕に近づいた。
ただ耳を触るだけの行為なのに、何故だかとてもやましい気持ちになるのは何故だろうか。
あれ、耳を触るってそもそも……え?
昼過ぎの閑散とした店の中で初対面の女の子の耳を触る僕。
駄目だ、これは何だかとても駄目な気がする。
ただ触らないのはもっと駄目な気がする。
だから僕は触る、彼女の耳を。
優しく、そっと、親指と人差し指でつまむように。
「ぉぉお……! 君の手、暖かいね!」
「……どうも」
「で、私の耳はどう?」
「…………」
「おーい?」
「……耳は、耳でした」
感動とかそういうものが一切無かった。
だって本当に耳は耳だし。
ただ長く尖っているだけのエルフの耳だし。
そもそも初対面の女の子の耳を触って興奮するほど、僕は変な趣味は持ち合わせていない。
「あはは! 君って変わってるね!」
前髪で隠れていない方の右目に涙を浮かべて彼女は笑う。
この人、このエルフだけには言われたくないと心の底から思う。
本の中に出てくるような凛々しくて高貴なエルフの騎士。
確かに現実と本の世界は別だ。
だけど一般的な認識として、エルフはそういうものだって思っても良いんじゃないか。
これが僕のワガママだとしても少しぐらい憧れたって罪じゃないだろう。
それにしたってとても失礼な事を言うようだけど見た目に反して性格のギャップが激しすぎじゃないだろうかこの子は。
エルフじゃなくたって驚くよこれは。
凄く大人しそうで物静かな雰囲気だと思っていた子が凄い上機嫌に話して来るんだもの。
いやいや、世の中には色々な人がいるんだ。
この一月、どうぐ屋ライオックで接客をしてきたんだ少しぐらい分かるだろ僕。
「ところで君、見ない顔だね。新入り?」
「えっ、あっ、はい! 一月前からこの店に住み込みでお世話になっています!」
「そうなんだ。これからよろしくー」
「はい、よろしくお願いします!」
差し出された右手に僕も右手を伸ばして握手を交わす。
うん、手の感触も普通だ。
「で、名前は?」
「あ、えっと……ライラ、って皆さんからは呼ばれています…」
名前を名乗るのだけは未だに慣れない。
むず痒いというか、どう言っていいか分からない。
だからこうして、あだ名の方を誤魔化すように使うんだけど。
「ふーん。女の子みたいで可愛い名前だね!」
「……よく言われます」
大体皆似たような反応を返すんだ。
流石にもう一月、慣れたものだ。
それにちゃんと答えて微妙な雰囲気になるのも嫌だし。
「あの」
「んー?どうしたのライラ?」
いきなり呼び捨てで呼ばれた。
別に構わないんだけど、僕も会ってすぐに耳を触った身だし。
「貴女の名前は」
「あ、そう言えばゲルの奴いないけどどうしたの?」
聞いてよ僕の話。
「あの、だから君の名前」
「ひょっとして……死んだ!?」
あ、駄目だ人の話聞かないタイプの人間もといエルフだこの子。
オーバーリアクションでとんでもない事言わないでよ。
「ゲルジッドさんなら今仕入れに出てますけど、何か伝えます?」
「ううん、いないならライラでも可」
「でもって何ですか、でもって」
「まーまー、君と私の仲じゃないの」
初対面なんですけど。
耳は触らせてもらったけども。




