第22話 家族
グラスの中に満たされた水に浮く氷が溶けて、カランと音を鳴らす。
飲食店ムートの一階、お客さまがいなくなった昼下がり。
気まずい沈黙の中、机の対面に座る立派な白ヒゲを生やした男性、店主のヴァルコ・ムートさんが口を開いた。
「ライラ君だったね。向かいのゲルジッドさんには公私共にお世話になっているよ」
「あ、ありがとうございます……」
「そして……うちのクニーガも、お世話になったみたいだね」
「…………」
立派なヒゲをいじりながら、ハハハと大きく笑うヴァルコさん。
笑えないよ!?
場を和ませる冗談なのかもしれないけど、その話題で集まっているのにどう笑えば良いのさ!
「んー? オッチャンさっきから何言ってんだ?」
そんな重圧に押しつぶされている僕の横で、背もたれに腕をかけて椅子を逆向きに座っているクニーガが首を傾げた。
ギィ、ギィ、ギィ。
ゆらゆら前後に揺れる椅子によって床が軋む音がする。
何してるの? ねえ、君は何をしているの?
「クニーガ……式では何を食べたい?」
「あん? 何か食わせてくれんの? オレはオッチャンが作ってくれるものなら何でも好きだぜ?」
「…………ありがとう」
何? ねぇ、この……何?
どうしてヴァルコさんは目頭押さえて震えてるの?
誰か説明してよ、ピーネさんとかケルネさんとかスィーネさんとか。
ヴァルコさんの後ろで、口を閉じたまま僕たちのやり取りを見てわちゃわちゃしてないでさ。
「さて、ライラ君」
「は、はい!」
慌てて視線を後ろの三姉妹からヴァルコさんに戻した。
真剣なその眼差し、少し涙目なのがとても気になる。
「クニーガは……奴隷だ。その覚悟が、君にはあるんだね?」
「っ!?」
奴隷と言う単語に僕の身体が硬直する。
自然と体が震え、ヴァルコさんと目を合わせられない。
「我々もまだ日が浅いが、奴隷と家族になるというのはそう容易い事ではない。クニーガもこんな性格だがその胸の内をどれだけ理解できているか、恥ずかしながらまだ手探りの途中だ。それに君もクニーガも成人とはいえまだ若い。が、君達が真剣に考えているのなら」
「なー、オッチャン。あんま奴隷の話をするの止めてくれねーか? コイツこの話題嫌いみたいだからよ」
震える僕を見かねたのか机の下で手を握ってくれた。
小さいけど暖かい、ザラザラしているけど優しい手だ。
「……クニーガ、すまないがこれは仕方がないんだ。世間は、優しい人だけではないんだよ」
「ふーん。だってよ? よくわかんねーけど、オレ等に厳しいみたいだぜ?」
「ちょっ!?」
クニーガに握られていた手がそのまま持ち上げられ、僕の右手首が晒される。
キィンと手首に巻かれた奴隷の証が甲高い音を立てた。
「それは……!? ライラ君! 君は!?」
「オレの奴隷仲間で、ダチ。オッチャンよろしくな!」
「…………」
顔が、上げられない。
他の人にこれを見せるのは、初めてだ。
ちゃんとこの事を知っているのは、ここにいない人でゲルジッドさん、トリイトさん、ネメシーさん。
息って、どうすればいいんだっけ。
「すまないライラ君!!」
「…………え?」
その大きな声が気になって、チラリと視線を前に向ける。
驚いた様子でヴァルコさんが、僕たちに身を乗り出していた。
「君が奴隷だったなんて知らず私は……すまなかった!!」
「かっ、顔を上げてください! 僕は……奴隷、なんですから!」
「そんな覚悟で私はクニーガを引き取っていない!!」
頭を下げるヴァルコさん。
その言葉に、ただ圧倒されている。
「偽善と言ってくれて構わないが、私は奴隷も同じ、人であると思っている。クニーガは我々の大事な家族だ。世間はそう見ない者が多数だが、私の信念は変わらない。だから、すまなかった」
「……ヴァルコさん」
「オレのオッチャン、かっけーだろ?」
真剣な眼差しで、他人に言われた事のない暖かい言葉に胸が熱くなる。
僕の横で誇らしげに、クニーガが笑う。
「だが現実は辛く、君たちには厳しい。だからこそ、我々は家族総出で君たちを応援しよう」
「あ、ありがとうございま……え?」
僕の胸の熱が、急激に冷めた。
そう言えば、何も誤解を解いていなかった。
「君には辛い話かもしれないが、奴隷同士の結婚か。言い方が悪く申し訳ない。所有者、いや、家族であるゲルジッド君はご在宅かな?」
「ゲルジッドさんは仕入れに出ていて……って! そうじゃなくてですね!!」
「結婚って、番いになるって事だろ? 何でオレがコイツの番いになんだ?」
とんとん拍子で話を進めようとするヴァルコさんを止めに入る。
未だに何もわかっていないクニーガが、ようやく本題を聞いてくれた。
けど、このタイミングは、なんか駄目だ。
ヴァルコさん固まっちゃってるもの。
「……クニーガ、君は、ライラ君と、そういう関係なんだろう?」
「あん? そういうってどういうこった?」
「…………」
とても気まずそうなヴァルコさんの顔からも冷や汗が滴り落ちた。
大事な家族の、親としてこういう事は聞き辛いのだろう。
事実無根だけど、ちょっと同情する。
「に、肉体関係が……あるのだろう?」
「ライラと? ねーよ、んなもん」
非常に言いにくそうに、言葉を振り絞る。
その努力を、クニーガはスパッと一蹴した。
「……ピーネ、これは、どういう、ことだい?」
「うぇ!? いや私は見たよ! クーちゃんがライラ君を押し倒してぐんずほぐれつしてる所!」
「あー。ナヨナヨしてるくせに腕の肉だけはあったから、触ろうとしたのにコイツ抵抗すんのよ」
「……そ、そうなの? ライラ、君?」
「は、はい」
「……ピーネ、後で、話がある」
「はいぃ!」
「……それからクニーガ。女の子なのだから、自分の行動には気をつけなさい」
頭を抱えてしまったヴァルコさん。
その後ろで背筋をピンと伸ばすピーネさんを気まずそうに見つめるケルネさんとスィーネさん。
「ライラ君、その……すまなかったね、色々と」
「い、いえ……」
ヴァルコさんが凄くいたたまれない。
元は僕たちの小さな争いが原因で、ピーネさんが勘違い、それからヴァルコさんとの一連の流れ。
掘り返してもお互いに傷口を広げるだけなので、色々と言葉を濁すのが正しいのだろう。
「改めて、ライラ君。君が奴隷でも私たちが今後君に対する態度を変える事はない。なにより、この数年君が頑張っている事は君たちの店を見れば明らかだ。いつでも、美味しい料理を作って待っているよ」
「あ、ありがとうございます!」
「私を筆頭に未熟な家族であるが、これからも仲良くしてくれると嬉しい」
「こ、こちらこそ! そ、その……よろしくお願いします」
二人して大きく頭を下げる。
胸の中が、凄く、温かい。
今朝のトリイトさんとネメシーさん、ゲルジッドさんの件もあって、今日は凄く良い日だ。
「んじゃ! なんかよくわかんねーけど一件落着ってこったな!」
「……クニーガ、お前にも後で話があるからピーネと一緒に待ってなさい」
結局何もわかっていなかったクニーガ。
ヴァルコさんの冷めた声に、僕はしばらく顔を上げる事ができなかった。




