第21話 友達
「クニーガは、さ」
「あん?」
「奴隷になる前の事、覚えてる?」
叩かれて痛む頭をさする。
長机に上半身ごと倒れこんで脱力しているクニーガの獣耳がピクリと動いた。
「……どーいう意味だ?」
「僕、物心ついた時から奴隷だったから」
うつ伏せながら顔だけを僕に向けるクニーガ。
「普通の生活って、わからないんだ……」
「はーん。じゃ、そーだな。ふっつーに暮らしてたわ」
答えになっていない、答えが返ってきた
「ふつーに朝起きて、ふつーに飯食って、ふつーに暮らして、ふつーに生きてたよ」
「その普通が知りたいんだけど」
「んで、ふつーに知らねー奴に捕まって、ふつーに売られて、ふつーに従って、ふつーに逆らって、ふつーに売られて、ふつーにここに来た。これで満足か?」
「普通なの、それ……」
「あ? オレのふつーなんてこれしかねーよ。ばーか」
長机で上半身だけ寝返りをうち、仰向けに反転したクニーガと視線が交差する。
「つーかオマエ、自分の事は喋りたがらねーくせに人の事はズカズカ聞いてくんのな」
「あ……ご、ごめん」
「なんで謝んだ? オスならどんどん縄張り広げろよ。嫌いじゃねーぜ、そういうの」
僕を見上げながら大きく笑った。
曇りの無い言葉と笑顔、何故だか顔が熱くなる。
「ま、オレの番いになるにゃ、まだまだ頼りねーけどな」
「え?」
「あん?」
「つ、つがい!? 僕が、クニーガの!?」
何を言い出すんだこの子は!
僕の顔がより熱を帯びる。
「メスがオスを、オスがメスを、どっちも見るときなんざ、番いになるかどーかだろうが」
「ち、違うと思うよ!?」
「んじゃ、オマエはオレの事どー見てんだ?」
当たり前のようにとんでもない事を言って、とんでもない事を聞いてくるクニーガ。
僕がクニーガの事をどう見てるか? なんだそれは。
出会ったのも話したのも今日が初めてだしどう見てるかなんて。
彼女は、ムート家に買われた奴隷の子で、お世話になってるピーネさんたちの家族で、ファンリネーラに来て初めての奴隷の、仲間で……。
それは、なんか、いやだな。
「えっと……友達。じゃ、駄目?」
「あぁん?」
「ご、ごめん!」
ギョロリと血の色をした瞳が僕を睨みつける。
あまりの剣幕に僕はすぐに謝った。
「……いいんじゃねーの」
「え?」
その視線はすぐに外され、ゴロンと横に寝返りを打った。
今、良いって言ってくれたよね?
「……ダチ、いいんじゃね?」
「本当!?」
「だーっ!? うっせー! 近寄んな! アホ!」
「ご、ごめん……」
嬉しさのあまりついクニーガに詰め寄るとゴロゴロゴロと長机を上半身が転がり、落ちた。
伏せられた耳で睨まれ、姿勢を低くするクニーガ。
下手に動けば、今にも飛びかかられそうだった。
「あとオマエ! オレのダチになりてーんならそのすぐに謝んの止めろ! もっと強くなれ!」
「え、ごめ……けど、いいってクニーガ今言ったよね!?」
「うっせ! ダチが弱かったらオレまで舐められんだろーが!」
「誰にさ!」
「あぁ!? そりゃ、アレだ……ネーチャンとかだよ! わかれ!!」
「わかんないよ!」
僕たちの話は平行線を続けていく。
「オスならこまけー事、気にしてんじゃねーよ! もっと、こう、ドーンと構えてろ!!」
「ドーンって何!? さっきからクニーガの言う事全部、抽象的すぎてわからないんだけど!」
「むずかしー事言ってんじゃねーよ! つえーってのは、こういう事だ!!」
「え、ちょぉっ!?」
本当に飛びかかってくるとは思わなかった。
前から迫るクニーガによってバランスを崩し、床に倒れた僕の背中に衝撃が走る。
突然の痛みに顔を顰めていると、意識の外からふわりと、甘い匂いがした。
「どーだ? オレ、つえーだろ?」
「……あ」
眼に映る全てがクニーガに飲み込まれていた。
覆いかぶさるクニーガの白くて長い髪が、まるでカーテンのように僕とクニーガの顔を包み込む。
髪に負けないぐらいの白い肌、それを引き立たせる血の色をした左の瞳。
目から口まで伸びる古傷によって、右目は常に閉じられているけれど、それがまた、神秘的にさえ思ってしまう。
そう、それはまるで。
「オレがオスなら、もうオマエを食っちまってるかもな」
「いぃっ!?」
獲物を前にした獣のように舌なめずり。
その野生的な姿は、僕が思い浮かんだ方とは似ても似つかず、すぐに思考から消えた。
「うだうだ言ってねーで、こんぐらいしてみろってんだ」
「は、はい……」
本能が負けを認めている。
目の前の、してやったりな笑顔に僕は頷く事しかできなかった。
「けどオマエ、あんま肉ねーし美味そうには見えねーんだよなぁ」
「わひゃぁ!? ひゃ、ひゃめへ!」
僕の顔に両手を当て、好き放題弄りだすクニーガ。
女の子の小さな手、だけどとてもザラザラしたそれに頬をつねられ縦横無尽に遊ばれている。
「んー?」
「な、なに……をぉっ!?」
僕の顔で遊ぶのを飽きたクニーガは、吟味するように視線を僕の顔から下へ動かしていく。
次の瞬間、手を、握られた。
「おー! 手の肉は中々だな! やるじゃん!」
「あ、ありがとう……じゃ、なくて! 何してんの!?」
手で手の感触を確かめるように、絡まる僕とクニーガの指。
左手だけだったそれは自然と右手にまで伸びてきて、両手の自由が奪われてしまった。
「なぁ、腕の肉も見させてくれよ」
「み、見るだけじゃないよね……?」
「気になってんだから仕方ねーだろ?」
「だ、駄目だってぇ!!」
僕の腕に向かおうとするクニーガの手を握り締め、それを阻止する。
多分好奇心だけでやってるだけだろうけど、初対面で、友達で、こういうの、駄目だと思う!!
「なんだ、つえーじゃん。力!」
「え? ありが」
「だがオレの方がつえー!」
「駄目だってば!?」
不意をついて逃げようとする手を離さない。
倒れされている身ではあるけれど、負けてはいけない気がした。
ガチャガチャガチャガチャ。
対角にあるお互いの右手から、複数ある奴隷の証の腕輪がぶつかる音がする。
「やるなライラ。ちょっとだけ、見直したぜ?」
「……どーも。僕だって、どうぐ屋ライオックで、頑張ってるからね!」
「あん? ならオレはもっと、ここで頑張ってるつーの!」
「ファンリネーラに来て一月の君に負けないよ!」
「はん! ならまずオレを倒してみろよセンパイ!」
「言われ、なくてもぉっ!!」
クニーガの手を強く握り返す。
防戦一方で逃げようとするクニーガの手の動きを、しっかりと止める事ができた。
ここまでして、ようやく拮抗状態に持ち込めただけ。
地力の違いを思い知らされる。
「やるじゃん! いーね! どんどん戦うオスの顔になってきてやがる!」
「けっこう、精一杯だよ!!」
この状態を保つ事がとてもキツい。
油断したらすぐまた僕は屈服させられる。
意地で負けない為に、気合で声を出す。
「だが! 力任せじゃなくてもっと考えな!!」
「うわぁっ!?」
両手は縺れあったまま、クニーガの顔だけが急接近してきた。
お互いの顔に相手の吐息を感じる程の距離。
血の色をした獣の瞳が、僕の瞳を射抜く。
突然のその行動に驚いてしまった僕は、拮抗していた力を弱めてしまう。
その隙を、クニーガは見逃さなかった。
「もらいっ!!」
「しまっ!?」
弾かれるクニーガの右手。
僕の左手の先は宙に投げ出され、無防備な姿を晒してしまった。
間髪いれずにクニーガの、肉食獣の手が、獲物の、僕の左腕に伸ばされる。
「ライラくーんごめーん! 食べてもらってるところ悪いんだけど、うちのクーちゃん見てな」
「あん?」
「え?」
その魔の手が迫る直前、第三者によって動きが止められる。
ムート三姉妹の長女、ピーネさんが部屋の扉を開けて立ち尽くしていた。
それに気づいた僕とクニーガは取っ組み合いを止めるけど、ピーネさんまで固まってしまっている。
「え? あ……クーちゃんと、ライラ君……そういう?」
「何言ってんだ、赤ネーチャン?」
「え、いや、あ! これは! 違いますよ!?」
特徴的な赤い髪に負けないほど、顔がどんどん赤くなっていく。
その姿を見て僕も少しだけ冷静になった。
クニーガによって組み倒され、馬乗りの状態。
片手は絡められ、超至近距離で密着までしていれば、そう思われても仕方がない。
「お、お、お……! お父さーん! ケルネー! スィーネー! クーちゃんが! あれ作ってオセキハーン! おめでたのやつー!!」
「何しに来たんだ赤ネーチャン?」
「あぁ……あぁぁぁぁ!」
勢いよく扉を閉め、飛び出していった。
部屋の中からでもわかるぐらい、ドタドタと階段を駆け下りる音がする。
多分、いや、確実に何も理解していないクニーガに跨られながら。
これから起こりうる事態を想像し、解放された左手で頭を抱えた。




