第9回 大晦日の嵐
【原文】
つごもりの むべ山風ぞ はらふらむ
かれきのやみは あすは残らじ
【現代語訳】
大晦日の夜。とても激しい嵐のような風が吹き荒れている。
この嵐はきっと、枯れ木のいらない枝を吹き飛ばしてしまうように、全ての悪いものを祓ってくれるだろう。
年が改まる明日にはもうすっかりなくなっていることだと思うよ。
【解説】
これは珍しい、おそらくは祓和歌である。
そもそも和歌は祓として使われることもある。
有名なところでは小野小町が和歌でふしぎな力を発揮したという伝説が残っているくらいだ。
さらに、この国では言霊が力を持つと言い伝えられている。力のある者が、美しい和歌を美しく詠いあげることで、神や天地は感動しそれに応えるという。
そして、祓和歌とはなにか。
そういう言葉があるわけではない。
祓いなどに使われる短い唱え言は、『祭文』と呼ばれている。
だからこれは和歌の形式をとった祭文のようなものと解釈することもできる。
それでは、一語一語を解説していく。
■つごもり
晦日、大晦日。ここでは12月31日の夜であると思われる。
大晦日には「大祓祝詞」をとなえて一年の厄を祓い、新しい年を迎えるものだという。
「はらふらむ」があることから、それを踏まえてこれは大晦日のことだろう。
■むべ山風
和歌で使われる、ひねった言い回し。「嵐」という文字を分解して「山風」と書き、嵐のことを示している。
■はらふ
嵐の暴風がものを「払う(吹き飛ばす)」という意味と「祓う(浄化する)」という意味が掛かっている。
■かれき
見た通り、「枯れ木」だ。
そしてもう一つ。「木」は「気」でもある。
やまとことばは、同じ音のものは同じ意味を含むとされ、古語は掛け言葉として扱うのが当たり前だったという説がある。つまり、意味の超高圧縮言語なのだ。
例えば紀伊国は「木の国」であり「気の国」でもある。余談だが、それを「紀伊」と書いたのは、風土記編纂の折に二文字でなければならない縛りがあったからとも言われているが、一説には関西弁では「きー」と伸ばして発音することから来ているとも言われる。
「かれ」は木と気に掛かっている。すなわち「枯れた木」と、「かれた気=気枯れ=ケガレ」である。
■やみ
闇と病みの二つの意味が見てとれる。
ここから、合計四パターンの圧縮された意味が解凍できる。
・枯れ木の闇→夜であることを示す。陰属性の何かが枯れ木の間に隠れていることも想起させる。
・枯れ木の病み→冬になってただ葉が落ちただけの枝は、そうそう折れて飛んでいくことはない。しかし「病んで」枯れてしまった枝は、強い嵐が来れば折り取られて吹き飛んでしまうだろう。
・枯れ気の闇→気が枯れた、生命力のエネルギーがなくなってしまったところにはよくないものが溜まる。闇に属する、祓われるべきものたちがそこにいるはずだ。
・枯れ気の病み→闇と同様、気が枯れたのが人体の一部分であればそこは病を得るとされていた。
これらすべてのものが一文節で表され、まとめて一気に祓われる展開となる。
古語を使うととても効率が良いことがわかる。
■あすは残らじ
これは言葉どおりの意味だ。
大晦日から見て明日、つまり新年の朝には、すべてが祓われきれいさっぱり残らず無くなっているだろう、という強いイメージを、聞いた者に与える。
よくないものがすっかりなくなっていれば、新年はとても清々しい良いものとなるだろう。
大祓祝詞も風で邪を打ち払う場面を有する。
まさにその「威」を借りてまとめた、大晦日専用の祭文様の一首。
大祓を唱えるのはなかなか難しいと思うなら、この歌を新年への願いを込めて歌ってみるのも良いかもしれない。




