第5回 徒花とサネカズラ
【原文】
徒花の 光は増せど
繁き葉の さねのかづらの 実こそ欲しけれ
【現代語訳】
わたしはこうして美しさにどんどん磨きを掛けているというのに、あなたはたくさんの言葉をかけて私と逢瀬をしても、夫婦にはなってくださらない。わたしはまるで実のならない徒花のようであることよ。
華やかな花がなくても鮮やかな実がなるさねかづらのように、私がほしいのはあなたの真実であるのに。
【解説】
「徒花」は実がならない花のこと。
たくさん繁った「葉」は、たくさん交わした「言葉」の隠喩。
サネカズラは「さ寝」に通じることから、共に寝ること、つまり関係を持つことの隠喩として良く使われる。
また、「さね」は本質や真実という意味の「実」をも思わせ、二重に意味が掛かってくる。
実が欲しい、というのは、真実や、夫婦になるという事実を望んでいるということ。さらに深読みをするなら、子供を授かりたいという意味にも取れるかもしれない。
表面的に見れば、
「この花はどんどん美しさを増して光り輝くばかりに育ってゆくけれども、実がなることはない。葉っぱばかりがたくさん繁るサネカズラのように、実がなって欲しいのだ、私は。」
と、植物のことだけを言っているようである。
しかし、和歌はこのように「例え話」で本来言いたかった意味を隠すことがお洒落だと思われる文化でもある。掛詞、隠喩…あらゆる高度な修辞法を縦横に楽しめるところが和歌の魅力のひとつだ。
つまり詠み手が隠した、本当に言いたかったことを想像してみると、
「私は貴方のためにこんなにも美しくなりました。しかし、あなたは甘い言葉をたくさんくれて、そして抱いてくれるけれども、そこに真実はありません。私は貴方と公に夫婦として結ばれ、まことに幸せな家庭を築きたいのです」
のようなところが浮かび出ては来ないだろうか。
もちろん、陰の意味は読む人によって多様に解釈することができるのが、こういった和歌のおもしろいところである。
読む人が、自分の境遇にかさねて読むことができる、和歌ならではの一首。




