第2回 月見草
【原文】
『月見草』
彼岸の彼方に咲きしもの。
灯、ゆふぐれほとほとと。庵訪ふかげ久し。
此岸に咲かぬ月の香に。
光宿せる花の有り。
渡す限りの風の辺に。
吹き散らしてぞ咲き居たり。
【現代語訳】
はるか彼方の、「あの世(死後の世界)」の世界に咲いている花がある。
あの世の世界にぽつんとある、灯りがともる夕暮れの庵。この扉を「ほとほと」と叩いて訪ねてくる人影は、もう長いあいだ居ないままだ。
ここには月の香りがする、光を宿した「この世(現実世界)」には咲かない花が咲いている。
風が吹く野辺(荒涼とした野原)に、その月見草の花が風に吹かれてばらばらに揺れながら、見渡す限りいっぱいに咲き乱れている。
【解説】
まず、ほぼ7・5、7・5のリズムになっているところが、口ずさんでいて心地良い。
「。」はそのリズムを区切るものであって、意味の区切りではないようだ。
タイトルで『月見草』をイメージさせ、
本文中にある「咲く」「香り」「花」はすべて月見草についての描写であることを示している。
「ほとほと」は扉を叩く音などをあらわす古語。
「渡す限り」は「見渡す」からあえて「見」を省くことにより、語感の向上と視覚という制限の解除を狙っているのか。
また、係り結びの法則は時代が下ると乱れ始める。「ぞ…たる」の係り結びが「たり」と破られていることにより、時代を平安時代ではなく中世あたりであると設定しているようだ。
これらのことから読み取れるのは、『浅茅が宿』や『花伝ツァ』などを思わせる世界観だ。
夕暮れに尋ねてくる男を庵で待っていた恋人は、男が数年来られないうちに死んでしまい、魂のままずっと待ち続けていたのであろう。
この詩の中では、庵ごとあの世にいってしまって今も恋人を待っているかのような景色が描かれている。
情景が主で、「ひと」の軌跡はほとんど描かれていない。それゆえに、おそらくは読む人によって想起する物語は違うだろう。
しかし、むしろこの空気感をこそ伝えられればよいと思い切ったかのような言葉の少なさである。
この一編をひと言で表すならば「寂寥感」。




