第48話:欽明路の刃と、繋がれし血のタスキ
【一】孤立無援の峠道と、黒羽屋の無道
最終五日目の朝。周防国・岩国から長州へ抜ける最大の難所——第二十八区『欽明路峠』。
鬱蒼と茂る竹林と急峻な岩肌が続く山道を、お初が荒い息を吐きながら駆け上がっていた。
(この峠にいる八坂屋の人間は、私一人……!)
宗吉と千鶴は勝の護衛を受けて、先に早駕籠で出発している。お初が自力で突破するしかない極限の状況の中、黒羽屋の卑劣な罠が襲いかかった。
谷あいに差し掛かった瞬間、樹上から数条の鉄鎖が音もなく降り注ぎ、鋭い分銅がお初の右足首を深く切り裂いた。
「くっ……! 刺客か……!」
樹上から躍り出た黒疾風の刺客たち。さらに、物陰から現れた黒羽屋の第二十八区走者が、嘲笑を浮かべながらお初へ近づいてきた。
「ハハハ! 間抜けめ! 助けのねえ山の中で果てな!」
黒羽屋の走者は、足首を鎖で縛られて倒れ込むお初の傷口を、草鞋の底で力任せに踏みにじった。
「ぐっ……あっ……!」
激痛に顔を歪めるお初を笑い飛ばし、黒羽屋の走者は一気に坂を駆け上がり、首位を奪い去っていった。
【二】ボロボロの脱出
「八坂屋を……真田の忍びを見くびるなッ!」
お初は鮮血を撒き散らしながらも、胸元から抜いた塗りの短刀で右足首の鎖を切り払った。肉を削ぐ激痛を無視して岩壁を蹴り、襲いかかる刺客たちの首筋へ鉄扇の骨を叩き込んで打ち伏せる。
(この走りでタスキを繋ぎ、萩の地で成三の悪事を暴き……紫乃様を救い出すんだ!)
身も心もボロボロになりながらも、お初は流血に染まった朱色のタスキを握りしめ、第二十九区の中継所へ向けて坂を駆け下りていった。
【三】解き放たれた鉄脚と、猛烈な追撃
第二十九区・小郡宿の手前。
首を長くして待っていたのは、大坂・堂島川でスカウトされた元・駕籠描き、八坂屋随一の爆発的脚力を誇る巨漢の飛脚——鉄だった。
「お初さん……ッ!? なんだその血はッ!?」
倒れ込むように飛び込んできたお初から血染めのタスキを受け取った鉄は、怒りに目を真っ赤に染めた。
「黒羽屋に……先を越され申し訳ありませぬ……ッ! 頼みます……!」
「謝るなッ! お初さん! 命がけのタスキ、わてが命にかえても取り戻すッ!」
タスキを斜めに結び直すと、鉄は大坂で宗吉から叩き込まれた呼吸法——『トン・トン・トン・トン』の拍子を心の中で激しく刻みつけた。
「うおぉぉぉああっ! 宗吉さんの教えと八坂屋の意地、見せてやるだす!!」
かつての鉄なら前半で暴走して力尽きていた。だが今の鉄は、吐血しそうな呼吸の苦しさと太ももの激痛に耐え、正確な拍子で爆発的な筋力を維持し続けた。
「見えた……ッ! 黒羽屋の背中だすッ!」
萩城下へと続く山間街道の登り坂。鉄は地響きのような怒濤の足音とともに、先を行く黒羽屋の走者を猛烈な勢いで追い詰めていった。
【四】血染めのタスキと、迫る暗雲
「宗吉さぁぁぁんッ!! タスキだすッ!!」
第二十九区の終点・明木宿。
鉄は土煙を巻き上げ、先行する黒羽屋の走者を追い上げるも、数分遅れて中継所へ飛び込んだ。
「よくやった、鉄ッ!!」
宗吉は差し出されたタスキを力強く受け取った。だがその瞬間、手のひらに生温かい感触が伝わった。朱色のタスキには、乾ききっていない鮮血が染み込んでいた。
「なっ……この血は……ッ!?」
「お初さんだす……ッ! 欽明路峠で黒羽屋の野郎どもに襲われ、ボロボロになりながらタスキを繋いでくれたんだすッ!」
鉄の言葉に、宗吉の息が止まった。お初の痛々しい姿が浮かび上がり、身を裂かれるような不安と安否への激しい懸念が胸を押し潰す。
(お初……無事でいてくれ……!)
だが次の瞬間、宗吉の手の中で朱色のタスキが燃え上がるような熱を放った。お初が自らの身を削り、流血に染まりながらも八坂屋のために護り抜いた命の証。
宗吉の胸の奥から、黒羽屋に対する激しい憎悪が湧き上がった。
(黒羽屋……絶対に許さねえ……! お初が血を流して繋いでくれたこのタスキ……俺の命にかえても萩へ届けてやるッ!)
お蘭が宗吉専用に開発した秘密兵器『超高反発特製草鞋』を履いた宗吉は、溢れ出る怒りと覚悟を脚力へ変え、先行する黒羽屋のエース・霧生を追って山道を爆走し始めた。
だが、萩城下の手前、怒濤の濁流が渦巻く阿武川にかかる『明木橋』に差し掛かった瞬間、対岸の茂みから乾いた銃砲音が轟いた。
バンッ!!
黒羽屋の手先が構えた鉄砲から放たれた火花が、橋桁にあらかじめ仕込まれていた爆薬へ着弾。次の瞬間、腹に響く凄まじい爆発音が山あいにこだました。
ドッカァァァンッ!!
炎と黒煙が吹き荒れ、頑丈な木造の明木橋は中央から崩れ落ち、激しい濁流とともに橋桁が次々と流されていった。
「なにぃッ!?」
目の前で渡河ルートを完全に断たれ、宗吉は愕然として足を止めた。
黒煙の向こう、対岸に立つ黒羽屋のエース・霧生が冷酷な高笑いを響かせる。
「ハハハハハッ! 宗吉、悪く思うな! この勝負、負けるわけにはいかないのだ! どのような手を使っても勝たせてもらう!」
高笑いを残し、霧生は萩城下に向けて迷いなく走り去っていく。
仲間たちの血と汗、そしてお初の流した血が染み込んだタスキを、このような卑劣な手で踏みにじられた宗吉の怒りは、ついに頂点へ達した。
「許さねえ……! お初の流した血も、鉄の覚悟も、みんなの想いを……こんな汚ねえ真似で踏みにじられてたまるかぁぁぁッ!!」
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
孤立無援の欽明路峠でお初がボロボロになりながら繋いだタスキ!
血染めのタスキを受け取った宗吉は、お初の身を案じつつも、黒羽屋への激しい憎悪と勝利への覚悟を固めます!
しかし最終区の目前、鉄砲と爆薬によって明木橋が濁流へ流され、黒羽屋エース・霧生の高笑いに宗吉の怒りは頂点へ!
応援していただける方は【評価】や【ブックマーク登録】をぜひお願いいたします!




