第44話:船坂峠の猛追
【一】時差発走と、姫路での居残り
姫路宿での悔しい逆転劇から明けた、勝負の二日目。
前夜の計測結果により、八坂屋は黒羽屋に僅分遅れての「時差発走」となった。一番走者を務める第九区の飛脚・辰吉は、前方を行く黒羽屋の背中を睨みつけながら出立の刻を待っていた。
「いけッ、辰吉! 船坂峠の手前で必ず捉えるんだ!」
一方、宿場の一角では、千鶴が前日に足を痛めた作蔵の傷口へ丁寧に薬膏を塗り込んでいた。足首の腫れを引かせるための手当てには、まだ半刻ほど時間がかかる。
宗吉は馬と早駕籠の手配を終え、千鶴の元へ駆け寄せた。
「千鶴、俺と勝様、お初さんは先に早駕籠で出発して、船坂峠の中継所で辰吉たちを待ち構える。お前は作蔵の手当てが終わったら、後から手配した早駕籠で追いかけてきてくれ」
「ええ、分かったわ宗吉。作蔵さんの手当てを完璧に終えたら、すぐに追いかけるわね。気をつけて!」
「ああ、先に行ってるぞ!」
宗吉、勝小吉、お初の三人は一足先に早駕籠へと乗り込み、疾風のごとく備前街道へと向けて出発していった。
【二】船坂峠の猛追
姫路城下を飛び出した辰吉は、宗吉の教え通りに無理な加速を避け、一定の呼吸を保って街道を駆け抜けていた。
播磨と備前の国境に立ち塞がる難所——『船坂峠』。
息が切れ、脚が鉛のように重くなる激坂に差し掛かった時、辰吉の足を支えたのは源造親方が打った新型の厚底草鞋だった。底面の特殊な縄目が濡れた山肌をガッチリと噛み締め、後方へ滑る力を推進力へと変えていく。
さらに、出立前に千鶴から渡された特製の「滋養練り飴」を一口含んだ。
「効いてきた……! 糖分と塩分が体に染み渡る! 宗吉と千鶴ちゃんの科学の力だ!」
辰吉は体の軸を低く前傾させ、頂手前で先回りしていた宗吉たちの熱い声援を受けながら、前方の黒羽屋の走者を猛烈な勢いで追い詰めた。
見事に首位を奪還した八坂屋の朱色のタスキは、第十三区の三石宿へと力強く繋がれたのだった。
【三】行き倒れの旅人と、最悪の罠
その頃、作蔵の手当てを終えた千鶴は、遅れて手配した早駕籠に乗り込み、宗吉たちを追って山間の備前街道を急いでいた。
うっそうと木々の茂る寂しい山道に差し掛かった時、早駕籠の担ぎ手が急ブレーキをかけた。
「うわっと……! おいお前さん、大丈夫か!?」
「どうしたのですか?」
千鶴が早駕籠の小窓から顔を覗かせると、街道の脇に一人の身なりの貧しい旅人が倒れ込み、苦しそうに呻き声を上げていた。
「助けて……くれ……。水……水を……」
「大変……! 急病だわ!」
蘭学医としての使命感から、千鶴は迷わず早駕籠を飛び降りた。薬箱を抱えて倒れている旅人の元へ駆け寄り、その肩に手を触れた、その時だった。
「大丈夫ですか!? 今、水を……」
突如、苦しんでいたはずの旅人が不気味な笑みを浮かべ、千鶴の手首を万力のような力で固く掴み上げた。
「くくく……引っかかりやがったな、八坂屋の小娘が」
「なっ……!? あなた、病人じゃ……!」
驚愕する千鶴の背後の木立から、どす黒い装束を纏った男たち——「黒疾風」の刺客たちが一斉に躍り出てきた。
「宗吉ぃーッ!!」
千鶴の切叫ぶ悲鳴が、誰もいない深山の中に空しくこだました。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
船坂峠で首位を奪還した八坂屋!
しかし、作蔵の手当てのために一人遅れて追走していた千鶴が、黒疾風の卑劣な偽りの行き倒れに引っかかり、掠われてしまいました!
次回第45話、アジトに囚われた千鶴に迫る危機と、異変に気づいた宗吉・勝・お初の猛追戦!
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