第36話:刺客・霧生と、深夜の図面争奪戦
【一】夜襲——忍び寄る影と真田の足さばき
深夜。焚き火の火が小さく爆ぜる中、試走の疲れで雑草軍団の男たちは熟睡していた。
見張りを務めていた勘太が微かな眠気を感じたその瞬間——シュッと夜風を切る不穏な気配が走った。
暗闇から滑り込むように現れた霧生は、宗吉が眠る荷物置き場へと一直線に向かう。狙うは宗吉の荷物の中にある「厚底草鞋の図面」だ。
「いただいた……!」
霧生の手が宗吉の文箱に届こうとしたその時——!
キンッ……!!
暗闇の中で甲高い金属音が響き渡り、火花が飛び散った。
「……そこまでです、霧生」
宗吉の文箱の上に滑り込んだのは、お初が隠し持っていた短刀だった。
お初は俊敏な体幹と滑らかな足さばきで霧生の脇差を弾き返し、宗吉の前に立ちはだかった。
「お初……! お前、我らを裏切る気か!」
「裏切りではありません。私はただ、理不尽な不義を許さないだけです!」
騒ぎに飛び起きた宗吉の目の前で、お初は宗吉が教えた「地面の反動を使う足裏着地」と自らの忍びの体術を融合させ、目にも留まらぬ動きで霧生の攻撃をすべて叩き落としていく。
「お前たちの浅知恵など、宗吉殿の創り出した走りの理の前には届きません!」
お初の強烈な前蹴りが霧生の腕を撃ち抜き、文箱の奪取を完全に阻止した。さらに、目を覚ました熊五郎たちが「なんだあ!」「宗吉さんを守れ!」と松明を持って雪崩れ込んできた。
「くそっ、ここまでか……!」
多勢に無勢と悟った霧生は、煙幕を焚いて夜の木立へと逃走した。
【ニ】明かされる覚悟と、固まる絆
静まり返った野営地。松明の明かりの下、お初は短刀を収め、宗吉の前に静かに膝をついた。
「宗吉殿……申し訳ありませんでした。実は…私は、あなた方の技術を狙う者たちと関わりのある者です。ですが……不義に手を貸すつもりはありません」
頭を下げるお初に対し、宗吉は優しく笑ってその肩を叩いた。
「お初。助けてくれてありがとう。……お初のあの足さばき、やっぱりタダモノじゃなかったな」
「え……?」
「お初が走ることを、そして俺たちを大切に思ってくれているのは伝わってるよ。どんな過去があろうと関係ねえ。俺たちの仲間としていてくれるなら、俺は全力でお初さんを信じる」
まっすぐで温かい宗吉の言葉に、お初は目頭が熱くなるのを感じた。凛とした表情の奥で、忍びとしての冷たい心がほどけていく。
横にいた千鶴も、薬箱を抱えながらフッと柔らかく微笑んだ。
「あなたの身のこなし、ただの帳面付けじゃないと思ってたけれど……宗吉を護ってくれたことに感謝するわ。これからは仲間として、よろしく頼むわね」
「……千鶴さん。はい、身を粉にしてお仕えいたします」
お初は深く頭を下げ、三人の間には固い信頼の絆が結ばれたのだった。
【三】暗黒の密談——忍び寄る「黒疾風」の罠
街道から大きく離れた、月明かりも届かぬ黒羽屋の密会所。
着物を濡らした霧生が影から姿を現すと、上座に座る黒羽屋の当主・成三が、不機嫌そうに煙管の煙を吐き出した。
「……しくじったか、霧生。八坂屋の『走りの図面』も奪えず、あのお初まで牙を剥いたとはな」
「申し訳ございません。お初は完全に八坂屋の毒に侵されております。……ですが、あの走法の仕組みと道具の構造、この目でしかと見極めました」
霧生の声に、成三は冷ややかな笑みを浮かべた。
「ふん、まあいい。井戸の水封じを破られたのは誤算だったが、八坂屋の潰し方などいくらでもある。……例の奴らを呼べ」
成三が手を叩くと、部屋の奥からドサリと重い足音が響いた。
姿を現したのは、西国街道の山賊や破門された飛脚どもを金の力で集めた、冷酷無比な刺客集団——『黒疾風』の男たちだった。
「旦那、いつでもいけるぜ。八坂屋の奴らの足を物理的に叩き折ってやる」
凶暴な笑みを浮かべる男たちを見下ろし、成三は盃の酒を飲み干した。
「八坂屋の宗吉……お前たちがどれほど奇妙な走法と道具を編み出そうが、走る足そのものを砕いてしまえば終わりだ。西国街道を、お前たちの血で染めてやろう……」
闇の中でギラリと光るドスの刃。
八坂屋が絆を深めたその裏で、黒羽屋のさらなる凶悪な陰謀が、着々と宗吉たちへ向けて狙いを定めていた。
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