第34話:からくりお蘭と、走りの新装革新
【一】雑草たちの悲鳴と、新たな課題
二十六人の八坂屋雑草軍団が結成され、本格的な長距離稽古が始まって数日。
淀川沿いを走る男たちに、早くも新たな壁が立ちはだかっていた。
「くそっ、汗で着物が身体に張り付いて重え……!」
「竹筒の水じゃ、走りながら飲むと口からこぼれてむせるぞ!」
長距離を長時間走り続ける中で、従来の和服の袂や股の突っ張り、そして重い竹筒による給水の手間が、走り手たちの体力を著しく奪っていたのだ。
「走り方や身体の使い方を教えても、身につける道具が足を引っ張っちゃ意味がないな……」
一人腕を組んで悩む宗吉の前に、待ってましたとばかりに袖をまくったお蘭が姿を現した。
「ふふん! 宗吉さん、いよいよ私の出番じゃないの!」
「お蘭さん!」
「適塾で約束したでしょ? 食べ物の次は、着るものと履き物の革新だってね!」
からくりの天才らしい爛々と輝く瞳に、宗吉は頼もしさを感じてニヤリと笑い返した。
【二】からくりお蘭の「走りの着物」試作
八坂屋の作業場には、各種の反物や裁縫道具、竹細工や皮素材がずらりと並べられた。
宗吉は紙に下書きを描きながら、現代の走るための服の概念をお蘭に説明する。
「目指すのは、風の抵抗を減らし、脚と腕の動きを絶対に邪魔しない服だ。生地は汗を吸っても重くならず、すぐに乾く風通しのいいものがいい」
お蘭は宗吉の描いた粗い絵を一目見るや、すぐさま手持ちの反物を引っ張り出した。
「なるほどね! 袖の袂は風を孕んで邪魔だから、思い切って腕に密着する筒袖にするわ。裾も股を大きく開けるように、股引を改良して伸縮性のある織り込みを入れましょう!」
「さらに、麻と綿を交ぜ織りにして汗の乾きを早くする……どうかしら!?」
「完璧だ、お蘭さん! まさに走りの着物だ!」
お蘭の飲み込みの早さと仕立ての技術に、宗吉は思わず唸った。
【三】背中に担ぐ「背負い給水筒」の開発
続いて着手したのは、走破中の給水道具の開発だ。
「腰に竹筒をぶら下げると、走るたびに跳ねて腰を痛める。水は背中の中心に密着させて背負うんだ」
宗吉が提案したのは、背中に固定する小さな皮袋と、そこから口元まで伸びるしなやかな管だった。
「背中に背負う……? でも、走りながらどうやって飲むのさ? 竹じゃ硬くて曲がらないわよ」
首をかしげるお蘭に、宗吉はニタリと笑った。
「厚底草履の衝撃吸収で使った、あのゴムの技術だよ。細い筒状に加工したゴム管を作れないか?」
「……! なるほど、あのしなやかなゴムの管なら、走りながらでも自由に曲がって口元まで届くわね!」
お蘭の目が輝く。
皮袋から伸ばした柔軟なゴム管の先端に、お蘭特製の「木の逆止弁(吸った時だけ水が出る仕掛け)」を取り付けることで、走りながら首を少し傾けるだけで給水できる完璧なからくりが完成した。
作業の合間、お蘭は汗を拭いながら楽しそうに笑った。
「私ね、からくりや道具ってのは、人を楽にしたり驚かせたりするためにあると思ってたの。だけど、誰かが自分の足で遠くへ行くのを助けるための道具づくり……こんなにワクワクするのは初めてよ!」
【四】「八坂屋新装」のお披露目と、動き出す陰謀
翌朝、試作完成した「走りの着物」と「背負い給水筒」を身につけた宗吉が、淀川河川敷の稽古場に姿を現した。
風抵抗を極限まで減らした漆黒の筒袖着物と股引。背中にはピッタリと吸い付く軽量な給水具。
「うおっ!? 宗吉さん、なんだその格好! 格好良すぎるだろ!」
「走りながら背中から水吸ってるぞ!? なんだありゃあ!」
熊五郎や銀次たちが目を丸くして群がってくる。
実際に試着して走った勘太と鉄も、その圧倒的な動きやすさと給水の楽さに大興奮だ。
「軽い! 腕も脚も、まるで何も着てないみたいにグルグル回るぞ!」
大成功に歓声をあげる宗吉とお蘭。お蘭は「やったわね、宗吉さん!」と宗吉の背中をポンポンと叩いて抱きつかんばかりにはしゃいでいる。
その様子を、物陰からじーっと見つめる人物が一人。
「……なーにが『走りの着物』よ。お蘭ったら、宗吉にベタベタくっつきすぎじゃないの……?」
腕を組み、頬を膨らませて嫉妬の炎を燃やす千鶴。
その横で、新しく仕上がった機能的な着物と給水具に感嘆しつつも、お初は丁寧な口調で呟いた。
「……また一つ、八坂屋の強さが増していくのですね」
八坂屋の進歩に対する焦りと、自分を待つ紫姫様への宿命。その葛藤に胸を痛め、懐の中に伸ばしかけた手を止めるお初だったが、そこへ八坂屋の走童が青ざめた顔で駆け込んできた。
「宗吉さん、大変です! 西国街道の締め出しに対抗して野宿の準備を進めていたら……黒羽屋の手回しで、街道筋の宿や茶店に対して、八坂屋への水の提供禁止の触れが出回り始めました!」
「なに……!? 水まで封じにきたってのか!?」
歓喜に沸いていた淀川河川敷が一瞬で凍りつく。
黒羽屋のなりふり構わぬ卑劣な手に対し、宗吉は漆黒の走りの着物を握りしめ、瞳に激しい怒りと不敵な闘志を宿した。
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