第33話:浪華を揺るがす瓦版と、選ばれし雑草たち
【一】大坂中を駆け巡る「号外」
翌朝、大坂の街は一枚の瓦版の話題で持ちきりだった。
『求む、浪華一の俊足を誇る男たち! 八坂屋・長州走破の走り手選別! 採用者には破格の報酬!』
「おい、見たかよ! 八坂屋がまたでっかい奇行を始めたぞ!」
「長州まで走る走り手を集めるんだと! 合格すれば金五両だとよ!」
過所町から難波、道頓堀に至るまで、瓦版配りの「号外ー! 号外ー!」という威勢の良い声が響き渡る。
宗吉の発案により、大坂中の瓦版屋に頼み込んで刷り上げた大募集の触れ書きだ。
「宗吉、本当にこんなに集まるのかい……?」
千鶴が不安そうに書類を抱える横で、宗吉はニヤリと口角を上げた。
「集まるさ。大坂には芽が出ないまま燻ってる『雑草』がごまんといる。足一本で人生を変えたい奴らがな!」
【二】淀川河川敷と、宗吉の「科学走法」指南
選抜試験の舞台は、淀川の河川敷。
集まったのは、飛脚くずれ、かご描き、辻駕籠乗り、街の韋駄天と噂される無頼漢まで、総勢百人を超える男たちだった。
「へっ、八坂屋のひょろっとした坊主が仕切るのか?」
「金五両、しっかり払ってもらうぜ!」
ヤジと殺気が飛び交う中、宗吉は八坂屋の看板を背に立ち上がり、一歩前へ出た。
「みんな、今までの『ただガムシャラに走る』考え方は一旦捨ててくれ。今日は俺が身体の仕組み(しくみ)を使った科学的な走り方を伝授する!」
騒ぐ男たちを前に、宗吉は自らの身体を使って実演してみせた。
「踵からドスンと着地すると、前に進む勢いを殺して膝や腰を痛める。目指すべきは足の裏全体、あるいは親指の付け根あたりで衝撃を受け止める走りだ! 重心の真下に足を落とし、地面を叩いた跳ね返りの力を、そのまま前への推進力に変えるんだ!」
さらに、肩甲骨と腰を連動させる体幹走法、呼吸法(二回吸って二回吐く調息)、骨格の反動を使う腕振りまで、宗吉は論理立ててわかりやすく解説していく。
「腕を力任せに振るんじゃない、背中の肩甲骨を後ろに引くことで、腰を前に押し出すんだ! 筋肉の力に頼るな、骨組みと重力を味方に使え!」
目からウロコが落ちるような最新理論に、半信半疑だった男たちの目の色がガラリと変わった。
【三】痛みを越えて覚醒する「なにわの雑草」たち
「よし、今教えた走り方を意識して、淀川沿いの往復三里を走ってもらう! 見極めるのは足の速さだけじゃない、この走り方を素直に吸収できるかどうかだ……始め!」
勘太の合図とともに、百人の男たちが一斉に飛び出した。
ただ体力を削るだけの従来の走りから、宗吉の教えた「衝撃を殺さない足裏着地と腰の連動」へ切り替えた途端、男たちの走りに劇的な変化が現れる。
「が、はっ……腰の痛みが、ねえ……!?」
元・堂島米市場の米俵担ぎ熊五郎は、走る最中に目を見開いた。重い米俵の担ぎすぎで腰を痛め、飛脚の夢を諦めかけていた男だ。腕力や腰の反りに頼らず、腰の水平な回転で推進力を生むコツを掴んだ瞬間、腰を刺すような激痛が消え去っていた。
「走れる……! 俺は、まだ足一本で喰っていけるんだ……っ!」
涙を拭い、地鳴りのような圧倒的な加速で集団を引っ張る熊五郎。
それに続くのは、元・黒羽屋に使い潰されて捨てられた疾風の銀次だ。着地衝撃を殺す足裏の使い方を掴み、擦り切れていた膝の負担を劇的に減らしながら、無駄のない鋭い足さばきで先頭を追う。
さらに、賭け走りで食いつないでいた軽業の辰も、体幹の前傾を利用して「倒れ込む力」を進む力に変え、弾むような軽快さで抜け出してきた。
「すごい……! 宗吉の言う通りに走るだけで、みんな自分の走りに自信を取り戻していくわ!」
千鶴が胸を熱くして声をあげる。単なる走法の体得ではない。どん底にいた雑草ランナーたちが、走る喜びを取り戻し、覚醒していく瞬間だった。
【四】二十六人の結成と、叩きつけられた試練
日が傾く頃、厳しい選抜を突破した二十四名の精鋭(勘太・鉄と合わせて計二十六名)が、息を整えながら宗吉の前に並んだ。
「合格だ! 今日からお前たちは、長州まで八坂屋のタスキを繋ぐ仲間だ!」
「おっしゃあああーっ!!」
河川敷に爆発する歓声。
長州走破に必要な全三十区間の走り手が、大坂の地で完璧に出揃った。
大成功の熱気に包まれ、誰もが拳を突き上げていたその時――。
「宗吉さんっ! 大変だぁぁーっ!!」
息をあははと切らした八坂屋の走童(使い走り)が、土手を転がり落ちるように駆け込んできた。その悲壮な叫び声に、歓声が一瞬で静まり返る。
「どうした、落ち着け!」
「黒羽屋だ……! 黒羽屋の手回しで、明日からの試走で通る『西国街道』の宿場町全部に触れが出回ってる! 『八坂屋の者に宿や食料を貸した者は、大坂中の問屋組合から締め出す』って……!」
「なっ……!? 宿場町全体で兵糧攻めだってのか!?」
鉄が叫び、勘太が拳を握りしめる。二十六人のランナーたちに戦慄が走った。
試走すら許さないという黒羽屋の冷酷な一手。
土手の影でその様子を窺っていたお初は、あまりに卑劣で完璧な黒羽屋の罠に息を呑み、懐の中に差し入れていた手を思わず止めた。
だが、当の宗吉は動じるどころか、ギラリと不敵な光を瞳に宿してニヤリと笑ってみせた。
「宿も飯も貸さない……へっ、上等じゃねえか。野宿して干し肉食いながら走る覚覚悟なら、ここに二十六人分揃ってんだよ!」
「おうよ!!」と応じる雑草たちの咆哮が、大坂の夕空を揺らした。
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