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飛脚転生 〜箱根駅伝の5区(山登り)の神、江戸の街道を現代走法で無双する〜  作者: 霧島 陣九郎
第三章 西国動乱『大坂〜萩 三十区間天下最速勝負』編

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32/50

第32話:ふたつの足跡、夜の河原で

【一】走り手探しの合間、二人の夜

なにわの雑草たちを集める走り手探しが折り返しを迎えた頃。

日中の激しい稽古と過所町での騒ぎが嘘のように、夜の堂島川沿いは静まり返っていた。

宗吉は河原の草地に座り込み、月明かりの下で自分の足首と土踏まずを丁寧にほぐしていた。

「……こんな夜遅くに、何をしているのですか、宗吉さん」

暗がりから声をかけてきたのは、お初だった。

どこか警戒するような、だが少しだけ柔らかい眼差しで宗吉の隣に腰を下ろす。

「ああ、お初か。明日の走り手探しに備えて体の手入れをしてたんだよ。筋の張りや疲れを明日に残さないためにな」

「……あなたは本当におかしな方ですね。そこまでして、どうしてそんなに走ることに命をかけているのですか?」

お初の問いに、宗吉は遠い目をして、かつて走っていた現代の景色――早朝の冷え切った空気や、胸を突く箱根の山風を思い出していた。

【二】宗吉の告白と、隠された動揺

「お初……笑わずに聞いてくれ。俺はな、実はこの江戸の人間じゃないんだ」

「……はい? なにを言っているのですか?」

宗吉は静かに、だが真剣な目で夜空を見上げた。

「俺は、今から二百年以上先の『未来』から来たんだ。そこには『駅伝』っていう、一本のタスキをみんなで繋いで長距離を走る勝負があってな。俺はそこで箱根を目指して走る走り手だった。一人じゃなく、仲間の想いを繋ぐために走る……その温もりに魅せられてきたんだ」

「未来……? 二百年先……?」

お初は呆れたように肩をすくめ、くすりと苦笑してみせた。

「ふふっ、宗吉さん、お疲れで頭がおかしくなってしまったのではありませんか?」

だが、お初が必死に貼り付けた軽薄な笑みの奥で、その瞳が一瞬だけ細かく揺れたのを、宗吉は見逃さなかった。

(……笑ってはいるが、どこか息を詰めているような顔だ。お初はいつだって、自分の本当の感情を押し殺している……)

宗吉はお初の横顔をじっと見つめ、静かに問いかけた。

「……お初。お前はさ、どうしてそんなに速く走るんだ? お前が走る理由は、なんなんだ?」

【三】冷徹な答えと、呑み込んだ生い立ち

唐突な問いに、お初は動揺を悟られまいと瞬時に表情を削ぎ落とし、いつもの冷ややかな目元に戻ってみせた。

(……言えるわけないじゃない)

お初は膝を抱え込み、視線を堂島川の暗い川面へ落とした。

――自分の一族は、かつて真田に仕えた「忍び」の末裔。

歴史の闇に追いやられた自分たちを庇護してくれた豊臣の血を引く家柄の娘、紫乃様。真の名前は豊臣紫子(とよとみのさいし)――お初が幼い頃から命を捧げると誓った紫姫(さいひめ)様を守るための「足」として自分は育てられた。その紫姫様を黒羽屋から奪還するため、自分は今、二重の影となって走っているのだと――。

重い生い立ちと悲願を心の底に固く封印し、お初は淡々と、極めて冷静な声で言い放った。

「決まっています。生きるためですよ。腕一本、足一本で喰っていくしかないから走るのです。それ以上の理由なんて、私にはありません」

感情を完璧に抑え込んだ答え。

だが、その言葉の短さと、あまりに無機質な響きこそが、彼女が心に強固な壁を築いている証拠だった。

【四】閉ざされた心と、忍び寄る影

お初は素早く立ち上がり、宗吉に背を向けた。

「未来だかなんだか知りませんが、寝ぼけていないで早く寝てください。明日も仲間集めなのですから」

立ち去ろうとするお初の背中に向かって、宗吉は優しく、だがしっかりと届く声で言葉を紡いだ。

「生きるため、か。……だったら、なおさら俺たちのタスキを使ってくれ」

お初の足が、ピタリと止まる。

「一人で抱えて走る生き方は、いつか心が折れる。だけどな、お初。俺たちが繋ごうとしてるタスキは、誰かの重荷を半分背負うためのものなんだ。……お前が一人で抱えてるものが何なのか、俺は聞かない。だけど、一人で走り続けるのが辛くなった時は、いつだって俺たちにその重さを預けてくれ」

「……っ」

お初は振り返らなかった。

暗闇の中でぎゅっと唇を噛みしめ、深く息を呑み込む。

(なによ……何も知らないくせに、格好いいこと言っちゃってバカ……)

「……おやすみなさい、宗吉さん」

ぽつりと呟き、闇の中へ歩き出すお初の足取りは、どこか強張っていた。

八坂屋の温かさと宗吉の言葉がお初の心の隙間に滑り込み、胸を刺す毒針を溶かしていく。だが、懐にある密書と「補給水飴」の小瓶、そして守るべき紫姫様の面影が、彼女を容赦なく現実へと引き戻すのだった。

――そして、川沿いの大木の陰。

「……フッ、牙を抜かれたか、お初」

闇に溶けていた霧生(きりゅう)が、指先で小刀をくるりと回しながら、不気味に目を細める。

「紫姫の命を握られていることを、忘れたわけではあるまいな……」

くすりと冷たく嗤うと、その影は夜風の中にすっと消えていった。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!


宗吉の言葉に揺れるお初……そして闇から覗く霧生の影!

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