第25話:大津宿の惨劇、繋がれる浅葱の絆(タスキ)
「あのバカ……碓氷峠の手当てで、回復していればいいけれど……」
京へと急ぐ早駕籠の中。千鶴は窓の外を流れる夜の景色を眺めながら、胸元でぎゅっと手を握りしめていた。
自分がレース前に碓氷峠の宿へ仕込んでおいた手当てや補給食で、宗吉の身体が少しでも回復していることを祈るばかりだ。
(私は私で、専属医としての役目を果たさなきゃ……! 京で緒方洪庵先生と合流して、命を削って走ってくるみんなを救うための救護所を作るの!)
千鶴は不安を振り払うように深く息を吐くと、駕籠舁きに「急いで頂戴!」と声を張り上げた。
――同じ頃。
京の手前、最終中継所である「大津宿」。
八坂屋の殿を務める辰吉は、中継所の裏手で出走に向けた準備運動を行っていた。
「よし……宗吉に教わった通り、関節を大きく動かして身体を温めておくんだ。急に走ると怪我をするからな……!」
辰吉は股関節を柔らかく回し、脚を前後左右に振って筋肉の緊張を解いていた。前走者がいつ飛び込んできても、最高速で都へ跳び出せるよう、静かに心脈を高めていたのだ。
だが――意識を集中させ、背後を見せたその一瞬の隙を、暗闇の悪意が逃さなかった。
「てめえが八坂屋の最後の走者だな……消えなッ!」
「なっ――!?」
物陰から躍り出た榊の手下が、無防備な辰吉の右脚に向けて刀を振り下ろした!
スパァンッ!
「ぐあぁぁぁッ!?」
凄絶な切創音と共に、辰吉の右太ももから鮮血が吹き出す。
辰吉は顔を歪め、血の海の中にへたり込んだ。
「へへへ……準備運動に夢中で隙だらけだったな! これで八坂屋は終わりだ!」
そこへ、前走の八坂屋の飛脚が浅葱色のたすきを携えて飛び込んできた! 千鶴特製の補給食で体力を維持し、圧倒的な首位独走で戻ってきた走者だったが、倒れている辰吉を見て絶望に目を見開いた。
「た、辰吉さん!? なんだその傷はッ!?」
「くそっ……すまねえ……! 脚が……動かねえ……ッ!」
血を流して泣き叫ぶ辰吉。そこへ、遅れていた嶋屋の走者が中継所へ滑り込んできた。血を流す辰吉と動揺する八坂屋の姿を見た嶋屋の飛脚は、下品な下衆笑いを浮かべた。
「ハハハッ! なんだありゃあ! 走者が怪我で走れねえじゃねえか!」
「おいおい八坂屋! たすきを受け取る奴がいなけりゃ、取り決め通り『棄権』で失格だな! ありがたく首位は横取りさせてもらうぜ!」
「待てッ……! 卑劣な真似をしやがって……!」
と叫ぶも、嶋屋の走者は嘲笑いながらたすきを受け取り、そのまま京へ向かって爆走していった。
ついに許してしまった逆転。八坂屋の快進撃は、ここで無残にも潰えてしまうのか――。
「――おい。誰が棄権だって……?」
地獄の底から響くような冷徹な声が、夜の中継所に突き刺さった。
息を荒らげて馬から飛び降りてきたのは、宗吉だった。
血の海に倒れる辰吉の痛々しい傷口と、勝ち誇る嶋屋の連中の姿を目にした瞬間――宗吉の瞳から感情が消え、胸の奥でドス黒い怒りの炎が爆発した。
「そ、宗吉……!? なんでお前がここに……」
「……辰吉さん、動くな。手当てをする」
宗吉は辰吉の傷口をかばうように寄り添うと、冷ややかな眼光で嶋屋の残党と物陰の気配を射抜いた。
「おい嶋屋。八坂屋は棄権も失格もしねえよ。起請文の取り決めを忘れたとは言わせねえぞ」
宗吉は懐から両者の公印が押された文書を掲げた。
「今回の勝負における規定・第十条――『負傷、急病、不慮の事故等により走者が走行不能となった場合、あらかじめ届け出た代走者の出走を認める』! 辰吉が倒れた以上、控え登録してある俺が代走で走る!!」
「な、なんだと……!? だが、お前は碓氷峠を走ったばかりの身だろうが!」
「うるせえッ!! 飛脚仲間の脚を痛めつけておいて勝ち誇るような卑怯者どもに、八坂屋のたすきは絶対に渡さねえッ!!」
宗吉の腹の底からの咆哮が、大津宿の夜空を揺らした。嶋屋の連中がその圧倒的な気迫に気圧され、一歩後ずさる。
宗吉は膝をつき、血を流して震える辰吉の肩を強く抱きしめた。
「宗吉……ごめん……俺のせいで首位を奪われた……」
「謝らないでくれ辰吉さん! 命がけで繋ごうとしたこの浅葱のたすき……俺が意地でも奪い返して、京へ届ける!」
「……頼んだぞ……八坂屋の一番……! 京へ……京へ行ってくれぇぇッ!」
辰吉の涙と血が染み込んだ浅葱色のたすきが、宗吉の胸に力強く結び直された。
仲間の悔しさと絆を背負い、覚醒した現代走法の真髄を宿した走者・宗吉。
「行くぞ……最後の箱根(京)へッ!!」
宗吉が爆発的な踏み込みで嶋屋を追いかけるべく飛び出した、まさにその時――!
京へ続く暗い山道の前に、黒い装束を纏った男がぬっと姿を現した。幕府隠密の頭領・榊自らが、冷ややかな抜き身の刀を構えて立ちはだかる。
「ここから先は一歩も通さん。死ね、八坂屋……!」
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
ラスト、ついに刺客のトップ・榊が刀を抜いて宗吉の前に立ちはだかり――!?
「千鶴ちゃん、京で待ってて!」「卑劣な嶋屋に絶対に負けるな!」「宗吉のブチギレ代走登板アツすぎる!」と思ってくださった方は、ぜひ作品ページ下の【ブックマーク登録】や【★★★★★評価】で応援していただくと大変励みになります!
次回、第26話(最終決戦! 刀を破る現代走法&京・三条大橋への栄光のゴールイン!)もどうぞお楽しみに!




