美術館と清掃員-8-
夜の時間。
病院の中は、やけにひんやりしている。
平賀 アンリは、美術館の館長から、かなり伏せられた形で、娘、歌の死を、報された。
敵の策略、謀略で、他者に入れ替えられた、本物の『歌』を殺した、橘 直は、蓮の良く知る、『彼』の能力で、記憶を一部、消去された。
直にとって、歌は、大切な友人だ。
知らなかったとは言え、命を奪ってしまった、事実は変えられない。
……直に、罪は無いにしても。
その事実は、直には、耐えきれない。
記憶を無くした直は、歌の死について、敵の手に掛かったのだと、認知して、相当、悲しんでいる。
果たして安置所で、娘と対面した、アンリは、酷く、慟哭したと言う。
けれど、アンリは、軍人。
決して、直を責めたりはしなかった。
その代わりに、娘の死に関与した、菊矢 かんぱち達を、憎んだ。改めて、天敵だと、認識を深めている。
車椅子で憔悴したアンリに、どう声を掛けて良いか、蓮は、数日間、悩み続けた。
蓮の中には、少なからず、歌の『記憶』がある。戦う為の力を、継承した所為だ。
悩んで悩み続けた後、蓮は、呼吸を整えて、アンリの病室を訪れた。
烏茶色の短い髪に、山葵色の目に、ビスケット色の肌。
やつれてはいるが、精悍な面持ちは健全の、アンリが、柔らかく笑った。
「聞いているよ。あんたは、春日 蓮だね。歌とは直ぐに、打ち解けたんだろ? 館長が言ってた」
乾いた声だ。
娘の歌を埋葬しても、哀しみは、拭いきれていない。
不思議な感覚だった。
まるで蓮は、目の前に居る人を、身内の様に、感じている。
たぶん、歌と、柔らかな雰囲気や、人懐っこい感じが、一緒だからだ。
慰めの言葉は、必要無いだろう。
蓮は、ベッドのアンリの近くまで、ズカズカ近付いて行くと、大きく一礼した。
思っても見ない、蓮の行動に、アンリが、面を食らっている。
「お、おう? ……どうした?」
訝しがるアンリ。
「いえ、あの、生前、歌……さんとは、成り行きで、師匠と弟子、みたいな関係になりまして。現在も、継続してると、言いますか、その……」
説明が、大変、難しい。
上手く、言葉が、出て来ない。
何か言わないといけない。
何か、何か。
あ、これだ!
と、蓮が、口走っていた。
「師匠の父親は、師範代ですよね!」
ぶはっと、アンリが堪えきれず、ふいている。
「そ、そうだね。確かに、師範代か。あはは。蓮は、短い間でも、よっぽど歌を、慕っていたんだね。うん。何だか、オレまで、嬉しくなるよ。蓮は良い子だ!」
ぽんっと頭部を撫でられて、蓮が、ふと、育て親の院長を、思い出した。
「あ、っと、違うんです。実は……その、私、えっとですね。頭の中に、歌の『記憶』がありまして、棒の術、つまり、棒の体術を、『継承』した……んです。だから、つまり、アンリさんは、私にとって、父にも等しいと言いますか。敬うべき御方なんです」
蓮がもう一度、深呼吸した後で、アンリに、最敬礼した。
蓮がそっと頭を上げた時、アンリは、泣いていた。
「アンリさん!」
何か、失礼な真似をしただろうか。
蓮が、慌てふためいている。
こんな形で、遺してくれるなんて。
継承の儀は、本来、自分の子供に、受け継がせるものだが、歌は、最期に、蓮を、選んだ。
かなり形を変えて、娘の、歌が生きた『証』が、蓮に、受け継がれている。
喪失ばかりでは無かった。
アンリの心が、温かいもので、包まれて、壊れずに済んだ。
春日 蓮。
彼女に出会えた事は、平賀親子にとって、『幸い』だ。
歌の死と言う、衝撃は、計り知れないが、アンリは、歌から、人を、弟子を、託された。
喜んで受け止めるとしよう、歌。
大切な、大切な、オレの『娘』よ。
また涙が出てくるのを、腕で拭き去ると、アンリが、蓮を、手招きした。
「蓮。それに、片割れに等しい、華もか。オレの大怪我は、ひと月もすれば、完治する。華も、かな。折り入ってお話があるのだが、蓮と華は、オレの養女や養子に、ならないかい? あ、戸籍に入れるかは、後回しで、『一旦』。そしたら、遠慮無く、あんた達を、守れる!」
突然のアンリの申し出に、蓮が、耳を疑った。
しかし、利点はある。
蓮と華の身元保証人が、増える分には、損は無いのだ。
現状、目に見えない敵や明らかな反乱分子が、うようよしている以上、蓮には、断る理由は無かった。
それに……。
家族を亡くした、アンリを、独りには、したくない。
大事な師範代だ。
朝の時間。
窓から差し込める光を、全身に受け止めて、蓮が、了承の意味を込めて、アンリに、深々と頭を下げた。
尚、現在、昏睡していれ華には、事後報告だ。
つまり、華に、断る『隙間』も無かった。
し、与えられてさえ、いなかった。
アンリの政敵の目論見は見事に外れ、むしろ、逆効果。
アンリの戦意や反骨精神を、大いに、倍増させた。
そして改めてアンリは、娘の歌を、死に追いやった『連中』への、報復を、決意した。




