美術館と清掃員-7-
夕暮れの赤がとても眩しい。
足の折れた渡柳華が、重たい瞼を少し開いた。
ほっぺたも片方、腫れている。
窓辺に、今は居ない、宮須アンナの気配を感じて、華が、ドキリとした。
薄い桃色のふわふわの長髪。
無邪気な金の瞳に、白い肌。
アンナははびっくりするぐらいに、華奢で、笑顔の愛らしい、少女だった。
アンナに名前を呼ばれただけで、華の心臓は、いちいち、跳ね上がった程だ。
好きだ。
……好きだった。
首筋に当てられた、刃物に、華は顔色一つ変えず、視線だけ、彼と合わせた。
「お前は、誰だ? ……ですか? と、言うべきかな」
病室の中には、看護師も医師もいない。
突如、現れた彼が、気絶でも、させたのか。
……血の匂いはしないから、手荒な事は、起こしていない様だ。
「渡柳 華。君はそもそも、かの者の『奴隷』として、出荷される、筈だった。だが、それを邪魔した人間がいる。……宮須 アンナだよ」
ベッドの端に座った彼が、クスリと嘲た。
「もっとも、死んだら、意味は無いけどね」
アンナを侮辱する彼を、打ちのめしてやりたい!
だが、今の華には、無理だった。
唇や指先を動かすのが、せいぜい、だ。
「よって、君は、『在るべき』場所へ、行くべきだ。喜んで良いよ? 無力な君を、連れてってあげる」
赤ピンクの眼をした、彼は、いとも容易く、残酷な言葉を、言い切った。
「はっ、絶対、嫌だね! オレにも尊厳がある。見ず知らずの赤の他人に、身を委ねてなるものか!!」
硬いベッドを激しく、軋ませると、華が、猛々しく、怒号した。
強がりは止せとばかりに、彼が、刃を、華に振り落とした。
ドンッと、猛烈な勢いで、彼に、突進したのは、虚空から出現した、白い狼だった。
「……院長の獣が、守ってくれたの、か?」
どうにか、腰を上げた華が、彼に飛び掛かる、白い狼を、じっと見た。
墨色の短い髪を、左右に揺らすと、彼が、真っ黒い刀を取り出した。
まがまがしい気配を感じる。
灰色の煙が、彼から立ち上がり、病室に一気に、立ち籠めた。
げぼっと、華が、大量の血を吐いた。
毒。
毒だ。……これ。
微笑みをたたえる彼は、地に落ちた、白い狼の頭を、容赦無く、踏み付けた。
刀に毒を仕込んでいたのか。
ヤバイ。
本格的に、……意識が。
こんなところで、人生が、終わるのか。
強者に好きな様に、扱われて。
眼を閉じたら、アンナに会える?
……そんなの、情けないにも、程がある。
華が、アンナから託された、幾つかの薬の内、一つを、口にした。
アンナは、きっと、死ぬまで案じていたよな。
『仲間』を。
ほんのいっとき、解毒剤と痛み止めの効果で、華が、ベッドから落ちると、這いつくばって必死に、白い狼を庇った。
何度も彼から蹴られても、華は、怯まない。
白い狼が、息も絶え絶えに、華と、眼を合わせた。
「……契約? お前と、か?」
頭に浮かぶ、いや、聞こえて来る『声』に、華は、なし崩し的に、応じた。
瞬間。否。刹那。
目まぐるしい風が、彼を包み込み、壁に、激しく、打ち付けさせた。
壁は幾つも砕け、彼が、口から血を流し、肩を押さえている。
白い狼は、銀に変化し、銀狼になった。進化した事で、毒を、打ち消している。
「はぁ、銀狼だと! 何で二体目の『聖獣』が、成したんだよ!!」
態勢を立て直し、襲い掛かってきた、彼を、銀狼が、鋭い大きな爪で、返り討ちにした。
突風が、巻き起こると、彼を渦に巻き込み、窓の外へ、放出した。
木っ端微塵の窓ガラス。破片が、内に、外に、散乱している。
「……あはは。凄いね、君。ん? 名を付けて欲しいって? ……そうだね。君は、『奏』だ。渡柳 奏。どうかな?」
床に尻もちを付けたまま、満身創痍の華に、銀狼が、近寄ると、小さく、ひと鳴きした。
何時の間にか、白い狼の姿に、戻っている。
病室の空気が、澄み渡ると同時に、病室に、蓮が、入ってきた。
白い狼を目にした蓮は、
『もう一度、会える』の、彼女の言葉を、
ふと、思い返した。
気絶した華に、寄り添うと、蓮が、眠りから覚めた看護師達を、何度か、呼んだ。
深い眠りの中、華は、白い狼、銀狼の中に、以前、助けた『少女』の姿を、重ね合わせた。
少女は確か、平賀歌と、名乗ってくれた。
何故だか、少女の面影が、チラついて、華は、物悲しくなり、涙した。
華の知らないところで、もう一人。
罪無き少女は、命を、落としていた。
宮須 アンナに、続いて。
悪意の『毒』に、飲み込まれたのだ。
為す術も無く。
だけど、二人目の少女は、ある『目的』を果たした。
恩人の側に、ずっと居る。
歌は、『奏』として、願いを叶えた。




