美術館と清掃員-6-
美術館の事務所。休憩室。
春日蓮は、ずっと、考えていた。目に見える物が、真実とは限らず、時に、とても『残酷』である事を。
それは少し前、橋の上で、気付いた事で、気付きたくは無かった。
蓮が背中にからっていた、リュックサックを、小さく撫でた。
ごそごそと頭を出したのは、瑠璃色の毛並みをした、猫の美鈴だ。
「……姿形は同じなのに、違うなんて、あんまりだ。それなら、あの時の『亡くなった人』は、本当は」
歌の姿をした人物が、ぶつぶつ独りごちる蓮に、頬に、手を伸ばそうとした。
「触らないで下さい!」
涙ながらに、蓮が、目の前に対峙する歌を、拒絶した。
「え……なになに、急にどうしたの? 蓮。訳が分からないわ」
歌はあきらかに、困惑して、狼狽えている。
「姿形は同じでも、歌が言いそうな言葉を『選んでも』貴方は、本物では無いわ」
ぎゅっと唇を噛み締めて、蓮が、沸き立つ悲しみから、逃れ様としている。
どこから歌に、『成り代わった』のか、タイミングが読めないが、少なくとも、蓮と一緒に、鍋を食べたのは、本物の歌だ。
しかし、外に連れ出した時には、既に、入れ替わっていた。
見抜けない程に、巧妙ではあったが、蓮の黄金色の瞳は、嘘を暴いて見せた。
そして、姿を、何らしかの『方法』で変えられ、橘直に、殺されたのが、本物の『平賀歌』だ。
昼間の休憩室の空気が、一気に、冷ややかなものへと、変貌した。
歌の姿をした『誰か』が、にっこりと、不気味に、笑って見せた。
「これはまた、随分と賢い子だな。初見で見破るとは、大したものだ。いやはや、お見それしたね」
パンパンパンと乾いた拍手の音が、休憩室に響くと、歌だった者が、本来の少年の姿に成った。
鮮やかな緑色の着物に、ピンク色の帯を結んでいる。
赤ピンクの瞳に、墨色の短い髪、ミルク色の手足。
笑みを浮かべたままの少年が、改めて、蓮に、お辞儀した。
「煙に巻いて見せたり、目に見えない演出をして見せたのは、私の『相方』だよ。盗賊の輩も、私達のしわざ、さ」
強調して、お調子者っぽく、喋って見せる少年。
蓮は間髪入れず、少年の顔面を、殴り飛ばした。
「あの人の命を、何だと思っているの! あっさり奪うなんて、あんまりにも横柄だわ。この、人でなし!!」
地面に倒れた少年は、敢えて反論せず、腫れた頬を撫でている。
「あー、すまない。蓮。大変、忍びないのだが、歌は、政敵の『標的』にされているんだ。最愛の娘を喪えば、父親の平賀 アンリは、生ける屍になるからな」
いくら武芸に秀でていても、不意打ちには、対処が間に合わず、歌は、命を散らした。
「おそらく館長は今頃、『カラクリ』に、気付いただろうよ。君が嘘を見抜いた時点で、あれは、本当の姿に、戻っただろうしね」
ここからが、本題だよと、少年が、真面目な顔をした。
「状況は差し迫っているし、君を、どうするか。……私は、菊矢かんぱち。君とは語り合ったし、危害は加えたくは無いかな」
近寄って来るかんぱちの前に、猫の美鈴が威嚇すると、彼は、苦笑いした。
「とてつもない『気配』を感じるなぁ。君の神獣だね、その子は。ま、良いや。ここは退くとしよう。また、病室で会おうね、蓮」
凝り固まった蓮を残して、かんぱちが、休憩室をするりと、抜け出した。
幾重もの涙を浮かべながら、蓮が、足元から崩れ落ちた。
また、守れなかった。
……無力だ。
蓮は気力を絶たれて、絶望に、飲み込まれていった。
ごぼり。
深い泥の中に沈み込む。
真っ暗闇で何も見えない。
何も、考えたく無い。
思考を放棄してしまった、蓮の、夢の中、ぽっと、白い狼が降り立った。
……戦場に身を置いている以上、こんな死もあり得るわ。仕方ないのよ。
それは、歌の声だった。
そんな気がした。
だけど、ごめんなさいね。貴方には残酷過ぎたかしら。してやられたのは悔しいから、貴方には、技を継承してほしいの。
白い狼が、高く吠えると、蓮のお腹に、突進した。
体が熱くなり、蓮の頭の中に、歌の『記憶』が入って、一瞬にして、消え去った。
これは『継承の儀』よ。
本来なら、子供に託すのだけど、あたしは、死んだから。蓮に全てを与えるわ。
それから、
また、会えるわよ。……きっと。
白い狼になった『歌』が、守るべき者の元へと、駆けて行った。
蓮が目を覚ますと、そこは、美術館の中にある、救護室。
蓮を心配そうに、館長と、直、猫の美鈴が、取り囲んでいた。
……歌の亡骸は安置所に。
直の顔は憔悴し、館長も、かなりのショックを受けていた。
蓮の体には、仄かに、歌からの温もりが残されていた。
深い悲しみは消えないが、蓮は、確かに歌から『受け取った』ものを、体内に、感じ取っていた。
歌が生きた『証』は、この日、夕日が沈む頃、蓮の中に、刻まれた。
歌の生きた『記憶』は、永遠に、消えない。




