美術館と清掃員-3-
茶田地区の美術館の近くには、寮があるが、貸屋も何軒か建っている。
美術館も国の管轄なので、職員であれば、住むのは無料だ。電気やガス代などは、自腹である。
周辺には田んぼや住宅街、点々と、工場やクリーニング店、病院、小さなスーパーもある。本屋に商店通りもあって、便利な場所だ。
「何処となく、下町って感じがするでしょ? 離れた場所には、海岸もあるから、潮の香りもするのよ」
夕日が歩道に差し掛かる。
学校帰りの子供達の笑い声も、響いていた。
子供達には、身辺警護する、警察官も数人、くっついている。
治安が悪化しているのは、真実で、茶田地区では、全力で、子供達を守っている。
歌が言うには、この地区に住む者は、必ず、武器の着用をし、正当防衛も、認められているらしい。
それに加えて、魔物も出没するケースが、増えている。
蓮は、施設で育っているので、ここまで物騒だと、どうしても、挙動不審に、なりがちだった。
「もっと前は、ここまで廃れていなかったのよ。やっぱり、人の誘拐や強盗も多いし、のんびり気ままには、出歩けなくなったのよね」
スーパーの買い物袋を片手に、歌が、大いに嘆いている。
「心配しなくても、今の時間帯はまだ、比較的、安全よ。蓮には、あたしが居るから、平気だって」
けらけら笑う歌には、余裕がある。
それは、先程の戦い振りを見た蓮には、かなり、心強かった。
築年数、三十年以上は過ぎた平屋の前で、歌が立ち止まると、玄関の鍵を開けた。
真っ先に入ったのは、猫の美鈴だ。
ご機嫌に廊下を、走りまわっている。
リビングに通されると、蓮が、丸いテーブル椅子に座った。
冷蔵庫の中から、食材を取り出して、歌が、晩ご飯の準備を始めた。
年季の入った、四角いテーブル。高さは結構ある。結構、木目に、傷が入っている。
リビングは思いのほか広くて、歩くのも、不自由はしない。天井の高さもあった。
ガスコンロの前で、鼻歌交じりに、鍋の材料を煮詰める、歌が、炊飯ジャーの炊き上がったご飯を、しゃもじで混ぜた。
「美術館の所有している、家だけど、ま、貸屋としては、居心地良いのよ。三部屋もあるしね」
一つは客間として、普段は、使わないのだが、そこがしばらくは、蓮の仮住まいになりそうだ。
電気、ガス、水道が、この地区でも流通しているのは、他国の『力』を借りているからだ。鋼の国とか水の国とか。
火を使う事に関しては、実は、王家の者が深く関わっているのだが、ここでは、割愛する。
要するに、この火の国では、『火や炎』に関しては、皇室の『魔術』が、関係している。
そうした火の使用料に関しては、皇室の方に、入る訳だ。そう決まっている。
とは言っても、使用料は、比較的、安い方だ。
「ガスコンロを使う時の火力は、魔術が、施されているのよね。『青く』はならないけど、ね」
「確か、赤い炎までしか、現時点では、存在しない、でしたよね。ガスは出るけど、青くならないって、やはり、女神の影響ですね」
「うーん。その辺はあたしも、詳しくは分からないけど、女神自身の生まれ変わりが、未だに、確認されていないから、かな? やはり、神話だからね」
火力発電所は、国の管轄。天然ガスも同じく。青の火を扱えるのは『女神』のみで、今の皇室の中には、現存しない。
だから、神話、お伽噺になっている。
「美鈴にも、ご飯の準備をしないとね。……て、人型になって貰えば、良いのか」
歌が、どこかの部屋に隠れた猫の美鈴を、探しに向かった。ガスは切っている。
蓮が食器棚から、必要な器を取り出すと、美味しそうな鍋に、視線を落とした。
「ポン酢にするか、胡麻だれも良いわよね。炊き立てのご飯も、食欲をそそる~」
ペコペコのお腹を撫でると、蓮が、二人が戻って来るのを、今か今かと、待ち構えた。
ここのところ、不穏な日々が続いたから、蓮にとっては、束の間の、ほんのささやかな、休息だった。
白菜、鶏肉、白滝、ほうれん草、豆腐に、ウィンナーなど。
思う存分、食べ切った蓮が、お風呂上がりに、室内着の上下スウェットになると、客間のベッドに、転がった。
明日は、美術館に入る為の『面接』が、控えている。
それに、病院に居る華の様子も、気に懸かる。懸念は、まだ、意識が戻らない事だ。
それは歌の父親も、全く、同じ事が言えた。
「蓮様ー。華の事が、気がかりですか?」
人型から、猫になった美鈴からは、お風呂を済ませた後の、良い匂いがした。
「怪我をした経緯を、もっと詳しく、歌から聞かないとね。いつまでも目を覚まさないのも、何だか、不安だわ」
「……あの、蓮様。非常に言い辛かったのですが、きっと、華は、魔術に掛かっています。あ、いや、『魔法』と言いますか。魔族の仕業かも知れません」
美鈴には、華に残った、魔力の『残留』が、感知できた様だ。
「……その口振りだと、あたしの父さんも、『睡魔の魔法』が、掛かったって事だね。あの時、攻撃してきた奴らの中に、魔族が、潜んでいたって事か!」
客間に入ってきた、歌の髪は、少しだけ水滴を弾いていた。まだ、髪が、乾ききっていない。
魔族。以前にも蓮は、遭遇してはいる筈だが、敢えて、二人に狙いを定めたのは、何故なのか。
そもそも、昏睡させる意味とは。
あからさまな、蓮および、『歌』への、罠だろう。
今回の事件も、一筋縄では、行かなそうだ。
蓮が、興奮気味の歌に抱き付くと、
「ひとまず、今夜は寝ましょう。明日は、私、ど緊張すると思うので、宜しくお願い致します、歌。あ、護衛術の稽古も付けてね」
念を押して言うと、ぱっと離れて、軽く、笑った。
「うん。そうだね。巻き込んだのは、あたしだった。そこは、ごめんと謝るよ。でもま、今日の鍋で、勘弁してよ、蓮。ね?」
ベッドの上、両手を軽く合わせて、謝る姿勢の歌に、蓮が、そっと唇を開いた。
「あんなに、心滾る、あったかご飯は、久しぶりだったわ。ありがとう、歌。同じ釜飯を食ったら、もう、『仲間』でしょ、歌!」
蓮が控えめに拳を突き出すと、歌も、拳骨を、こつんと、かち合わせた。
「はは。良い子だね、蓮。無防備過ぎて、笑える。けど、貴方を信じるよ。こちらこそ、これからも宜しくね、蓮!!」
今度は、歌の方から、蓮を抱擁した。
なぜかそこに、猫の美鈴も、参加しようと、歌の背中に、飛び乗った。
賑やかで、あたたかい夜は、静かに過ぎて行こうとしていた。




