茶田の図書館と猫-7-
色々あって、平等に夜は訪れて、どうにか傷跡が残らずに済んだ、灯理野 ほのかは、橘 ほだかが、迎えにやってきた。
ほのかの立場は、尊い、一応は王族なので、一旦、親王 隼の住まう、王府に帰された。第三区の上流地区へ、強制送還だ。
会う事も叶わず、こんな形で、お別れになった蓮に、ほのかは、去り際、手紙を渡してくれた。
そして、同じく、背中に傷を負った、松村 なずなを、迎えに来たのは、孤児院 春馬の、早瀬 アリスだった。
病室で、嫌がるなずなを連れ歩くと、廊下で、蓮とアリスが、すれ違った。
蓮が何か言葉を発する前に、なずなとアリスは、元の居場所、春馬へ戻った。
なずなに至っては、また何処かで、蓮や華に、接触する機会は、あるだろう。
「本当は蓮お嬢様と話したいくせに、やせ我慢しちゃって」
「無駄口は叩かないです下さいよ。良かったですね。背中のそれ、数週間もすれば、完治するみたいですよ。医者の見立てでは、ですけど」
蓮や華に会いたい。話したい。抱き締めたい欲求を抑えて、アリスは、病院の外に出た。
「どっち道、この茶田地区には、どす黒い『化け物達』が潜んでいるから、私も、今以上に、力を付けないとダメね……」
蓮を守り通すと言う任務を、まともにこなせず、なずなが、苦笑した。ふがいない自分に、心底、呆れている。
「院長は、次の手を考えているから、心配には及びませんよ。ここには、凄腕の『ご隠居様』や、第三皇子の秘密兵器達も居ますしね。それに、場合によっては、僕も」
馬車が来ると、乗り込む前に、アリスが、東病院を見上げた。
大切な仲間達に、温かい視線を向けた後、反論するなずなを、その背を押して、二人を乗せた馬車は、茶田地区から消えた。
もう一人、集中治療室に入っていた、次島 ハタは、一命を取り留めたが、どんな手を使ったのか、警察官の包囲網を抜けて、病院から失踪した。
蓮の元に残ったのは、一匹の猫だ。
化け猫、妖魔、要するに、人に変化する、春川 こすずは、うっかり眼を離した隙に、悪魔……亡くなったこすずの体に憑依した、あの魔族を、取り逃がしたらしい。
再び、東病院の二階。
一般病棟の個室に、思いも寄らない人物が、運び込まれていた。
渡柳 華だ。
外傷と言えば、左脚が折れている。
昏睡した華は、目覚める気配すらしない。
「あの、ああ、あたしのせいなんです! 酔っ払いに絡まれたあたしを庇って、ぶん殴られて、派手に打ち付けた、から。だから!」
松葉色の着物に黒い帯。
美術館の清掃員として、勤務する少女は、いちから丁寧に、説明してくれた。
ほだかに、非は無い。居合わせた華が、先走って、彼女を助けたらしいのだ。
ほだかも蓮に、状況説明したかったが、あくまで優先順位は、ほのかの方が上。そんな時間は無かったのだ。
「色んな場所に行くとは聞いていたけど、まさか、こんな大怪我するなんてね。か弱い女性を守ったのは、偉いと褒めるべきかしら。にしても、迂闊だわ」
ベッドの華の、柔らかな黒髪を撫でると、蓮が複雑そうに笑った。
「多分、もうこれ以上、虐げられた人を、傍観出来なかったのでしょうね」
瞼を下ろした、蓮に、思い浮かんだのは、今は亡き『友』だ。
「?」
「ごめんなさい。こちらの話よ。貴方には分からないわよね。何か、いっぺんに物事が進んで、感情が、ぐちゃぐちゃになりそうだわ」
蓮が、白いベッド、白いシーツの上に眠る華を、改めて、大切だと感じた。
「……すみません。あたしにも落ち度があります。勤務中で無ければ、あんな連中、余裕で、蹴散らしていたのですが。ですが、あまり見掛けない輩ではありました。かなり陰気と、言いますか。『誰か』に、雇われていた、可能性もあります」
山葵色の瞳。
乳白色の指先をした少女が、考えあぐねている。
「あたしのお父さん、えっと、父親も同じ職場で働いているのですが、一瞬、金縛りにあって、動けないところを、鈍器で殴られて。……幸い軽症ですが、この方と同じく、意識不明です」
ココナッツブラウンの緩やかな巻き毛を、おだんごに結んだ少女が、蓮の手を取った。
「あたし、その……平賀歌と言います。これは、何かの事件、陰謀ですよ! だから、図々しいお願いですが、一緒に、美術館で働いてくれませんか? 犯人達もまだ、捕まっていませんし、これは単なる勘なんですけど、貴方なら、一緒に協力してくれますよね」
白い蛍光灯の下。
だいぶ前のめりに、初対面で、圧迫感たっぷりに『お願い』する、歌。
動けない華。……華を襲った連中は、絶対に、許せない。それに、逃げている、ハタの行方も突き止めて、聞き出したい事が山ほどある。
「はぁ。分かった。分かりましたよ。私が、断らないのを、前提で話してるでしょ? 平賀さん。狡猾ですね。私は、春日 蓮。この子は、私の弟分、つまり、家族の、渡柳 華です」
「蓮に華ですね。はい! 覚えました。あ、あたしは、呼び捨てで、構わないので。歌で良いですからね」
グイグイ歌に、腕を引っ張られると、二人は、東病院の看護師、担当医に頼み込んで、休憩室の『ひと部屋』に、宿泊した。
深夜。
スゥスゥ寝息を立てる歌に、蓮は、未だ降り続ける雨に、不安を覚えた。
蓮の足元には、変わらずに、瑠璃色の毛並みの猫が、寄り添っている。
「やっぱりと言うか、院長は、内緒にしている事が、多いんですね。この猫の『正体』には、心底、度肝を、抜きました。だとしたら、私の血族は……」
本当にたくさんの事が起きて、深く、物事を慮っても、また、謎は、深まるばかり。
華には、護衛獣の白い狼が、院長から、寄越されていたのに、みすみす、骨折させるなんて。
……歌の言葉通り、蓮や華は、目に見えて、『標的』にされている。
肩の温もりが心地良くて、蓮は、浅い眠りに付いた。
パサリと蓮の眠る、休憩室のベッドに、白い梟が降り立つと、まるで、護衛する様に、付かず離れずそこに居た。
配慮が行き届かなくて、ごめんね、蓮……。
孤児院 春馬の、院長、松村 輝良は、梟を通して、蓮達の、束の間の安眠を守った。
雨音に混じって、届いた声に、蓮の牛乳色の指先が、動いた気がした。
優しい視線に気付いて、蓮がそっと、右手を伸ばして、小さく笑うと、また、眠りに落ちた。
赤ちゃんの時から、院長に、育てられた蓮。
蓮の輝良への信頼は『絶対』であり、また、輝良が、蓮を見放す事は皆無だ。
そもそも、院長に、『裏切り』の文字は無い。
蓮は、院長、松村 輝良の生きる『希望』だから。言うなれば、大事な『生命線』だ。
良い夢を、蓮。
瞬間、白い梟は、人の姿になり、眠る蓮の頭を撫でると、元の、梟に、戻った。




