改革を始めよう
真島夏生は羽澄光汰に二度助けられている。
一度目は夏生に発現した異能を気味悪がった母親から育児放棄され、飢餓状態で庭に放り出されたときだ。ちょうど近くを散歩していた光汰が何か勘づいたように「あの家の庭に男の子が倒れている」と騒ぎ出し、あまりにも騒ぐのを妙に思った職員が家の様子を窺ったところ発見され、助けられた。
二度目は施設で暮らすようになってからだ。これまでの境遇と元々の気質も相まって、なかなか周囲の人間と打ち解けられずにいた夏生は学校でも度々トラブルを起こし、問題児として認識されていた。クラスでのいざこざが起きた際、濡れ衣を着せられそうになった夏生の味方になってくれたのが当時クラスメイトでもあった光汰だった。このことは本当に感謝していて、今でも度々話題に出してしまうのだが、当の光汰は「照れるからやめてくれ」とはにかむのだった。
佐波沼市に関する報道のピークから一週間ほど経った。全国ニュースで「佐波沼」「星憑き」と言った単語もめっきり聞かなくなったな、と児童養護施設『あおばのいえ』の食堂に置いてあるテレビから流れる朝のニュースショーを耳にした光汰はふと思った。
「おはようたいそう、はじまるよ〜!」
この音声を聞いた小さな子どもたちがテレビの前に集まってくる。平日朝のルーティンだ。ニュースの合間に5分ほど子ども向けのミニコーナーが設けられており、そのコーナーが始まるのは決まって七時三十五分である。
「……おや」
そこで光汰は普段と違うことに気が付く。夏生が居ない。光汰が先に起床し、食堂に向かうのはいつものことだ。しかし、この時間にもなれば夏生も起きてきて食堂にいるはずである。だというのに、今朝は一度も見かけていない。何となく、胸騒ぎした。
「夏生ー?」
光汰は部屋に戻り、夏生の様子を窺うことにした。呼びかけながら部屋に入る。カーテンは開けてあるものの、照明は付いていないままなので薄暗い。光汰は眉を寄せた。何かあったに違いない。
「夏生?」
光汰の声が自然と硬くなっていた。返答はない。2段ベッドの下段が夏生のスペースだ。今は薄い仕切りカーテンが閉められているが、人の気配はある。
「どうしたんだ? 具合でも悪いのか?」
カーテンの向こう側に尋ねる。しばらくの沈黙の後、「ちょっと今はそっとしておいてほしいかも」と答えが返ってきた。光汰は「分かった」と頷いて、離れる。夏生は悪夢こそあまり見ない性質のようだが、最近までの過剰とも言える星憑き排斥運動関連の報道にあてられてしまったのかもしれない。特に夏生は実母から星憑きであることを否定された過去がある。
「ごめん、やっぱちょっと話聞いてほしい」
部屋を出ようとする光汰の背中を、弱々しい夏生の声が呼び止めた。振り向くとカーテンの端から、夏生の僅かに潤んだようにも見える目が覗いた。
「勿論だ」
光汰は深く頷いて、静かに──しかし朗と答えた。
夏生が弱ってしまった理由は、おおかた光汰の予想通りだった。ただし、予想よりもっと悪いのは、実母からの追い討ちとも取れるメッセージが届いていたことだ。実母は夏生と引き離された後は佐波沼市の外へ引っ越している。年に数回面会交流のような時間は取られているが、ほとんど業務連絡みたいなものだよ、と夏生は笑っていた。
そんな関係性だというのに、夏生が自分から積極的に受け取ろうとしていなかった星憑きヘイトのニュースや、いわゆる『ネットの反応集』を押し付けた挙句、「星憑きは滅ぶべき」というようなことを長々と説教するような論調で述べ立てては昼夜問わず送りつけて来るという。
「しばらくは軽く流したりしてたんだけど、どうにもしんどくなってきて」
ベッドの上で体育座りをしていた夏生はその膝に顔を埋めた。横に座る光汰は「そうだよな」と頷いた。
「この人がこんな考えなのは今に始まったことじゃないんだけど、最近の世論って言うのかな、ニュースで自分の考えが正しいって太鼓判押されたみたいに思ってるっぽい」
夏生の話を聞く限り、実母と彼を結ぶのは電話番号だけのようだから(住所も知られてはいるが、彼女の感覚で言えば佐波沼市自体が厭悪の対象らしく足を踏み入れたくないらしいので余程のことがない限り突撃はしてこないだろう)、実母からの連絡を遮断するにはメッセージをブロックしたり、電話番号を変えればそれで済む話だ。指一本で済む処理をしないのには相応の理由──もしかしたら、夏生自身にもまだ咀嚼しきれていないもの──があるのだろうな、と光汰は夏生の背中をゆっくりとさすった。
◆◆
「そういえばさ、武藤くんって生徒会選誰に入れたの?」
「俺」
「無効票が十くらいあったって聞いてたけど、そのうちの一票を投じた奴が横にいたとは」
「十しかなかったのか、真面目だな」
「生徒会長って、みんなの能力見られるのいいよねー。桜庭くんルートで次の生徒会長と仲良くなろうかな」
普段通りのゆるい会話をするいつひと重光が昇降口を通りかかったときだった。見覚えのある赤色が丁度上履きに履き替えて校内に入ってくる姿が見えた。
「あれ、噂をすれば元会長」
「噂してねーだろ」
重光が面倒そうな声で呟いたのを無視して、いつひは光汰の元へ向かった。
「羽澄くーん! 遅刻〜?」
「おや、賀川に武藤。おはよう」
光汰は朗らかに笑い、いつひと重光に順に視線を送った。「ルームメイトが体調を崩してしまってな。少し遅れた」
「もうすぐ三限始まるよ」
「ああ。賀川と武藤のクラスは体育じゃなかったか?」
体操着に着替えていない二人に不思議そうな視線を送った光汰にいつひが「気乗りしなくて〜」と肩を竦めて返す。
「ふむ……。あまり褒められた姿勢ではないな。サボリも程々にするんだぞ」
少し困ったように眉を下げた光汰は「俺は次の授業に間に合うように急ぐから、それじゃあな」と軽く手を上げて自身のホームルームへと向かった。
「羽澄くんのルームメイトって、真島くんだよね」
「知らね」
光汰と別れた二人は先ほどのゆるい会話を続けたのだった。
◆◆
時は放課後、場所は生徒会室。
生徒会長、と書かれたプレートが置かれている机の前に立つのは光汰と、去る十月三日に行われた生徒会長選挙を制し、晴れて新しく生徒会長となった譜久山武紀だ。二人を取り巻くようにして生徒会執行部の面々が並ぶ。簡易的な引継式だ。
「今までお疲れ様でした。あとは僕がしっかりその任を果たしたいと思います」
後方で控えていた副会長の赤胴かすみから花束を受け取った譜久山は、それを光汰に渡した。花束には『お疲れ様でした』と新体制の生徒会からのメッセージカードが添えられている。
少しはにかみながら花束を眺めた光汰に譜久山は恭しく礼をする。腰ほどまで伸びた美しい銀色の髪がふわりと棚引いた。
「花束までありがとう。引き継ぎはもう完了したと思っているけれど、何か不明なことがあれば遠慮なく声をかけてくれ」
「お心遣い感謝します」
「それじゃあ」
光汰はふわりと笑い、手を振る。拍手に見送られるようにして、光汰は生徒会室から去った。
扉が閉まり、徐々に拍手が止んでいく中、譜久山は手を大きく二回打ち鳴らし、部屋の注目を集めた。
「近々発行予定の生徒会広報誌です。生徒会の皆には先に目を通しておいて欲しいので、今配りますね」
後方に控えていた赤胴が紙の束を譜久山の手元に差し出す。光汰に花束を渡した時と同じだ。譜久山はそれを生徒会のメンバーに一枚ずつ手渡しで配った。
生徒会長就任に関する挨拶と簡単な自己紹介が載せられている。気障な物言いに斜め読みをしているだけで塩を撒きたくなってくる、と湊叶は譜久山の前でも憚らずに眉を寄せた。両面刷りだったので紙を捲り裏面も確認した湊叶は──反射的に声を上げていた。
「おい、これどういうことだよ」
視線は譜久山にまっすぐ向いている。譜久山は「何でしょう」と小さく首を傾げた。湊叶は広報のある文章を指で示した。そこには『生徒会として毅然とした対応を徹底』と見出しがあり、記事中には『生徒会選挙で公約として掲げた通り』『今までの生徒会は弱腰』『校内の秩序を保つ義務を放棄していると言っても過言ではない』などと散々な言い草が並んでいる。
譜久山は指された部分をゆっくりと目で追ってから、「読んだままの意味です」と極めて端的に返した。そして湊叶に口を挟まれる前に、自論の開陳を続ける。
「現在佐波沼は過渡期にあると思っています。市内外からの星憑き弾圧に鬱屈した想いを抱える者も少なくない。現に二週間前の星憑きへのヘイトデモを妨害したのは当校の生徒でもあります。流言による偏見、ましてそれを声高に宣うことは看過し辛いのは確かですが──」
「演説は要らねえって」
湊叶は辟易したように譜久山の話を遮った。それからため息を吐いて、譜久山と視線を合わせ「あ〜〜何か合わねえな。俺辞める」と言い捨てると光汰を追うように生徒会室を出て行ってしまった。──と思えば、すぐに戻ってくると顔だけ覗かせ、「業務内容なら全部文書化してるから引き継ぎはそれで」とだけ言い残すと今度こそ立ち去った。
残された譜久山は「まあ、彼は前会長の信者のきらいがありましたからね」と呟いてから、副会長の赤胴に目配せをしてから生徒会長の席に腰を下ろした。すると意を汲んだ赤胴が分厚いファイルを譜久山に手渡す。背表紙はおろか、表紙にもラベルの類は無い。中には簡素な表が並んでいる。その表に記されているのは、龍行高校の生徒の氏名と所属クラス、そして保持している異能の詳細だ。生徒の中では現職生徒会長だけが閲覧できるとされている文書である。
思案顔でページを捲っていた譜久山だったが、あるページでその手を止める。
「空席が一つ出来たことですし──、まずは気になっていた彼をスカウトしてみましょうか」呟きながら譜久山は『真島夏生』と記されたページに「優先①」と書いた付箋を貼り付けた。
◆◆
「桜庭くん生徒会辞めたってホント?!」
昼休み、二年二組に響き渡るのはいつひの大声である。元々通りやすい声質であるいつひの大声に教室にいた生徒たちは一瞬手や話を止めたものの、発信源がいつひだと見るや否や何事もなかったかのように各々の活動に戻る。
「うるっせーな。お前に関係ねえだろ」
友人らと談笑していたところに割り込まれ、迷惑そうな顔をした湊叶がつっけんどんな態度を返した。
「関係あるよぉ〜! 新しい生徒会長と仲良くなろうとしてたのにー」
「それと俺が生徒会辞めたことに何の関係があんだよ」
呆れた声を上げる湊叶に、肩をすくめたいつひが「生徒会メンバーの中では桜庭くんが一番気の置けない関係だし、なんていうか、伝手と言いますかね……」と答える。
「はあそーですか、っと」
いつも通りすぎるいつひの態度に辟易し、気のない相槌を打った湊叶に構うことなどしないいつひはずずいと顔を近づけると「ねえ、何で辞めちゃったの?」と尋ねた。
「新会長が気に入らなかったんだよなー」
湊叶の級友であろう生徒が話に割り込んできた。いつひは「へー、なんでなんで?」とそのまま話を続けた。説明しようとした級友が口を開くより先に「生徒会広報読んだらすぐ分かる」と湊叶が答えた。他人に言われるよりは自分で話したかったのだ。
「今朝配られてたやつだよね。秩序を乱す星憑きへの対応を厳しくするとか何とか書いてたやつ?」
「そぉだよ。対応は別に好きにしてくりゃいーんだけどよ、問題は書き方と態度だよ」
思い出してもイライラする、とでも言うように湊叶は眉間に深い皺を刻んだ。
「桜庭くんが辞めたこと、羽澄くんは知ってるの?」
素朴ないつひの問いかけ。空気が少し張り詰めた気がした。湊叶は瞳を一巡させてから「言ってねえ」とだけ答える。それから補足するように「昨日の今日だしな」と呟く。
いつひが話を続けようとしたその時、湊叶の友人の一人が「そろそろ飯にしよーぜ」と言い出した。ほんの一瞬、つまらなさそうな目をしたいつひだったが「ボクもご飯にしよーっと」と呟くと「お邪魔しました〜」と言い残してそよ風のように立ち去ってしまった。
二年二組の教室の入り口横にもたれかかっていつひを待っていた重光が「釣果はどーよ」とふざけた調子で聞いてくる。いつひは少し考えるそぶりを見せた後「んー、微妙!」と答えた。




