第6話 藤少将
「にゃあさま! 人間になれる、って本当だったんだ」
まさたかはパアッと笑顔になると、俺の隣に腰掛けた。
「そうだよ?」
「主上は冗談がお好きだからね。また、姉さまのことをおからかいなのかと思っていたよ」
少年の朗らかな声を聞いて。陰陽師のひろあきはそろそろと顔を上げたが、すぐに再び顔を膝にうずめてしまった。
「緋色の袍だよぉ。まだ子どもなのに緋袍だよぉ。『まさたか』って! ひょっとして藤少将でいらっしゃいますか?」
だが。まさたかはひろたかの手を軽く握って言った。
「そういうそなたは安倍啓明だろう?」
「うごぉっ!?」
ひろあきはビクッと顔をあげると、普段は糸みたいな目を大きく見開いて言った。
「は、はい、そうでございますが」
すると。まさたかが真剣な顔になる。
「ちょうどいい。ここは大内裏の壁裏。ひとも通わぬ。猫までもが口を訊く。ならば、僕もただの姉を想う少年。どうか丁寧なことばなど使わないでおくれ」
「あ? はい。だが。どういう気なの?」
陰陽師が怪訝そうに問いかけると。少年は口元に笑みを浮かべた。
「さっき、猫が呪詛の証拠品を持ち去った。その話を聞きたいんだ」
「呪詛!」
ひろあきは悲鳴みたいな声で叫ぶと、座ったまま三寸ほど浮き上がった。へえ、飛べるんだ。俺もやってみたいな。そんなことを考えながら、俺はふところから嫌な感じのする人形をひっぱりだす。
「じゅそのしょーこひん? おれがもってったのはこれだよ」
そう言いながら俺が紙人形を引っ張り出し、ひらひらさせると。ひろあきはパシッと俺の手から人形を奪い取った。
「だから! びらびら見せんな、っての! このド素人がぁっ!」
ひろあきは俺に向かってそうわめいてから、紙人形へと手を伸ばすまさたかに向かって顔をしかめてみせた。
「おっと。こういうものにはあまり触れないほうがいいですよ? 障りがあるからね……って。そこの化け猫は平気みたいだけどさ」
「おれだって、ヤなかんじはするにゃん」
返事をしながらも。俺は陰陽師の浮き上がった膝の上へと両ひじを載せた。
「今は猫姿じゃねえんだから、膝の上に乗ろうとすんな! ま、アレだ。俺ら陰陽師や化生のモノならともかく、坊っちゃん、あんたには良くない影響が出るから……って! やれやれ。すでに触っちまってたのか」
ひろあきはため息をつくと、ふところから似たような紙人形を出し、それでまさたかの右手をさっと撫でた。
すると。まさたかが驚いたみたいに叫ぶ。
「い、今のは? 急に身体が軽くなったぞ」
「穢れを撫物に移したの。あとで御猫が持ち込んだのと一緒に祓っとくよ」
ひろあきはそう言うと、人形ふたつをまとめて懐紙に包もうとし始めた。だが。まさたかは目をきらきら輝かせると、陰陽師の浮いた膝の前にずいっと身体を乗り出した。
「噂に違わぬ力の持ち主! ねえ、啓明。内々で。僕の相談に乗ってほしいんだけど」
「どうせ『姉ちゃんの部屋に落ちていた呪詛の人形のことを教えてくれ』って言うんだろ? 聞く前から分かってるよ」
陰陽師の尻が地面へとボトンと落ちたので。俺はひろあきの膝に両ひじをつくと、くしゃくしゃになった顔を見上げた。
「ねー、ひろあき。なんで、ないてるの?」
「ロクでもねえことに巻き込まれる予感しかしねえからだよ。猫には分かんねえよ」
「にゃ?」
なんて失礼なんだろ。俺が憤慨していると。まさたかが真剣な表情で言う。
「もともと主上はこの件であなたを弘徽殿に呼ぼうとしてたんだ。何にしても巻き込まれていたよ」
「へえ? だったらどうして、今の今までお召しが無かったんで?」
「なぜって? 僕が止めたからだ」
そのとたん、ひろあきが「聞かなかったことにしますよ」と立ち上がりかけたので。俺はひろあきの首に抱きついて言った。
「ひろあき! まさたか、ひとがたのなぞ、じぶんでとくんだぞ! おれもやってみたい!」
「あ゛あ゛っ!? 遊びじゃねえんだよ、この化け猫がぁっ」
陰陽師はそう叫んでから座り直し、俺のことを膝の上へと抱きかかえてから、まさたかに向き直った。
「要は。事を表に出さないまま、事実を解明なさりたいと。そういうことで?」
「ああ」
まさたかは頷くと、まだ子どもらしい顔に緊張を浮かべた。
「姉の房で呪詛の人形が見つかったとなれば。きっと初めのうちに立つ噂は『麗景殿にお入りになった女御さまの仕業ではないか』といったものだろう。だが、人々とは裏の裏まで勘ぐる者。唐土の則天武后の例にもあるとおり、厭魅の証は、憎い相手を呪うことよりも、むしろ敵を葬り去るために使われることが多い。そうだろう、安倍啓明?」
「……そうだな。主上はまだ十八歳。いっぽうあの華奢な中宮さまは二十二か? そこへ十三歳の女御さまが入内なさった。となれば、今はまだ良くても、あと二年も経てば? そんなご心配をなさった御方が自作自演をなさったんじゃないのか、とね。そのように勘ぐる者が決していないとは申せませんな」
陰陽師のぼそぼそとした言葉に、赤い袍の少年は唇を噛んだ。
うーん、まさたかもひろあきも難しいことばかり言うから、よくわかんないぞ? けど、ニョーゴとか言ってたから……。
「けど、まさたか! おかみね。ニョーゴのとこにいくの、いやがってた!」
陰陽師の膝の上から俺がそう言うと、まさたかが目を見開く。
「にゃあさま。それ、ほんとなの?」
「『にゃあ』でいいにゃ。きっと、れいけいでんにはね。ばけものがきたんだよ!」
俺がそう言うと。頭上から陰陽師のため息が落ちてきた。だが、まさたかは考え込むみたいに「そうなのか……」とつぶやくと、澄み切った目をパッと見開く。
「にゃあ! 僕が呪詛の人形のことを秘密で調べようとしているのは、姉さまのことを守るためなんだ。君も手伝ってくれる?」
「にゃっ!」
もちろん! 俺が元気に返事をすると。まさたかは陰陽師のほうへぐっと膝を乗り出した。
「啓明どの。あなたも僕に協力してください。無事この件が落着すれば、必ず父にお話します。今後も何くれと無く、あなたに相談するようにさせますから」
「左大臣家とまで御縁を結ぶんですかぁ? しょっちゅう俺のことを呼びつけるお偉いさんは主上だけで間に合ってるんですがね?」
ひろあきはトホホ笑いをすると「重い、御猫。元の姿に戻れ!」と俺の肩を撫でた。次の瞬間。俺の視界が急に低くなって、背中の上にバサバサと布が落ちてくる。
まさたかが俺の頭を撫でながら小声で叫んだ。
「なんと! にゃあが白猫に戻ったぞ」
「水干なんか着てくるもんだからよ。あとで清涼殿まで届けてやんなきゃいけねえや……。で。具体的に俺は何を協力すればいいんで?」
「この呪詛を行った人物が誰なのか。まずはそれを教えてほしい」
誰って? みんなが言ってたみたいにニョーゴっていう化け物女じゃないの?
俺が「にゃにゃ?」とまさたかに問いかけると同時に、ひろあきがギャハハと笑った。
「呪詛を行った人物? そんなの分かれば苦労しませんよ!」
「そうなのか?」
ひろあきにも分からないだなんて。そんなことってある? 俺が首をもたげて「にゃあん?」と鳴いてやると。陰陽師は頷きながら答えた。
「ああ、そうだよ、御猫さま。この呪詛人形ときたらよ。俺ら本職にしてみりゃ絶望的な代物だからな!」




