第5話 呪詛の人形
「こ、これはっ!」
まさたかが高々と掲げた人形を見るやいなや。主上がごくりと息を呑んだ。さちこも「ひっ」と喉奥から出た悲鳴を呑み込み、主上の胸へと小さな顔を伏せる。
「まあ、なんて恐ろしい……」
「大丈夫だよ、祥子。あなたのことは私が守る」
主上は年上の小柄な中宮の背中を優しくさすっている。いっぽう、さちこのお付き女房たちは青ざめた顔をおろおろと見合わせ合った。
「呪詛だなんて。祥子さまはお優しい方なのに」
「いったい、どなたの仕業かしら?」
「決まってるでしょ? 麗景殿の……」
「しぃっ、帝の御前よ!」
へー、麗景殿って主上が嫌っている化物女の住処だよね? やっぱり、化物だから、こっそりひとの殿舎に忍び込めたのかね?
「にゃーお?」と俺が首をかしげていると、女たちのヒソヒソ声を聞いたんだろうか? さちこが主上の胸から顔をふとあげて「あなたたち……」と咎めるみたいな口調で言いかけた。
だが、主上は中宮の髪をそっと撫でて、「いいから」と囁きかけると。肩を寄せ合って陰口を叩いている女房たちに向かってはっきりとした声で呼ばわった。
「誰かある! 陰陽寮に使いして、安倍啓明を呼んで来てくれ」
「は、はいっ」
蘇芳って呼ばれている若い女房が噂話の輪から飛び出ると。まさたかがあわてたみたいに立ち上がった。
「お待ちください、主上!」
「なんだい、藤少将?」
主上が中宮の髪を撫でながら顔をあげると。十四歳のまさたかは、ほっぺたを真っ赤にして言った。
「このお話。表沙汰になればきっと、麗景殿の女御さまと我が姉の間に確執があったであろうと、人々の口の端に上ることになろうかと存じます!」
「たとえ、なにもなくても、そうなるだろうよ。それで?」
主上がニッと唇の端をあげて尋ねると。少年ははっきりとした口調で言った。
「ですので。この藤原昌高が本件につきまして、お調べいたしたいのです」
その瞬間。もしも俺に耳がまだあったら、ピクピクと動き始めていたに違いない。
なにそれ? 秘密で呪い人形のこと、調べるの? 面白そう!
「なるほどね? 要は陰陽寮に知らせること無く、左大臣家で内々で処理したい、と」
「主上、そういうことではございません。僕……いえ、私は。ただ、姉のことが心配なのです!」
なんか、ぐちゃぐちゃ言ってるけど、そんなのどうでもいいや。とにかく、ここで言い争っていても始まらないよ。だったら、俺が代わりに調べてあげて、あとで主上に報告すればいい。
それに。あの、まさたかの指先でひらひら揺れてる白い紙。ああ、たまんないにゃ。
お尻をふりふりして気合を入れると。俺は「にゃっ!」と叫び、前足を伸ばして跳躍した。そして。前足の肉球の間にパシッと白い人形を挟み込む。
よし! 奪えたぞ!
「あ、ちょっと、にゃあさま!」
「ひいいいっ、御猫さまが呪詛の人形を!」
「にゃあ、だめだよ! 返しなさい!」
まさたかや女房たち、それに主上が口々にわめくなか。俺は白い紙切れを咥えたまま、麗景殿の縁側へと走り去り、そこから飛び降りた。そしてそのまま、まっすぐに藤壺へと向かう。
ちょうど、いつもの女の童がふかふかの錦の茵から俺の白い毛を取っている真っ最中だったので。俺は取ってきた人形をクシとか入った手箱の陰に隠してから、その子の膝の上に乗って、にゃーおと鳴いた。
「あら? にゃあさま。あたしに御用?」
あ、そっか。先に変身しないとな。
ボンっと俺は人間の姿になって、女の童の肩をつんつんした。
「あやめ。きもの、きせて」
「あ、そうね。わかったわ」
あやめはどぎまぎしたみたいに頷くと、すぐに乱れ箱から水干を出してくれた。
「ですが、にゃあさま。こないだも志摩さまに言われたでしょう? 最初っから着物を着たお姿に変化なされば、お着替えしなくてもいいのよ?」
「う……おけいこしたけど、むずかしいの……」
「次からは頑張りましょうね?」
女の童にお説教をされながら水干を着せてもらって。俺はこっそりと紙の人形を襟元にいれると、ひろあきの匂いがする方へと歩いて行った。ひろあきは陰陽寮というところにいるらしい。ってことは、この内裏の外なのかな?
匂いのするほうへと、ぽてぽて歩いていくと門があり、そのすぐ先にはまたもうひとつ門があった。その向こうには建物がいくつも並んでいて、ひろあきやお医者のひげのおじさんみたいな格好をしたひとが何人も歩いている。
「ねえ、おんみょうりょうってどこなの?」
門の前に立っているひとに聞くと。強そうなおじさんは、俺の顔や着ているものへと目を走らせた後、驚いたみたいに目を見開きながら答えてくれた。
「主上か中宮さまのお使いでいらっしゃいますか? ならば、すぐ前の建物ですよ」
「ありがと」
おじさんが指さした建物からは、ひろあきの匂いがぷんぷんしてたので。俺は扉を開くと、まっすぐに中へと飛び込んでいった。
「ひろあきー! これなあに?」
「お前、誰? ……って! 帝の御猫じゃねえかよっ」
ひろあきは手にしていた筆を置くと尻もちをついた。すると、周りにいた、目の底光りした男たちが俺らのほうへとにじり寄ってくる。
「帝の御猫? 例の?」
「道理で気が尋常じゃないと思った」
「金目だ、金目」
ぞろぞろとやってくる男たち。なにこのひとたち、こわい。
俺が思わずひろあきにすりすりすると。陰陽師は同僚たちに向かって、しっしっと手を振った。
「興味深いのは分かるが、あまり怯えさせるな。この子はにゃあさまだ。帝が溺愛してなさる御猫。嫌われたら、首が飛ぶぞ」
「それはたいへん」
「我ら、遠巻きにして眺めるのみ」
目の底光りした男どもは元の席へと戻ると、ぶつぶつとなにかをつぶやきながら、算木をいじったり、札に変な模様を書いたりし始めた。それを見て。ひろあきがため息をつく。
「こんなところにあなたみたいな変化が来たら、頭の毛から足の爪まで調べあげられちまいますよ? で? 俺に何か用なのかい?」
「うん、ひろあき。これなあに?」
俺が懐から例の紙人形を出そうとすると。ひろあきが「ぎゃあ!」と叫んだ。
「ちょ、おまっ。おいっ。それ、内裏の中で見つけたんだろ?」
「あ、うん。さち……」
「言うなっ! 具体的な場所を言うでないっ」
ひろあきは俺の口を塞ぐと、俺の身体をそのまま横抱きに持ち上げた。
「なにやってんですか? 安倍どの?」
「ちょ、ちょっと、込み入った話でな。外行って、話をしてくるっ」
「行ってら~」
目の逝った人々が軽やかにあいさつをしてくれて。そのうち、ひときわ目のギラついた若い男は「今度は猫姿でおいで」と俺に向かってニタニタ笑いながら、両手の塞がったひろあきのために扉まで開けてくれた。
外に出るなり。ひろあきは俺のことを抱きかかえたまま走り出すと、建物と壁に挟まれたひとけのない場所に立つ木の脇に腰をおろした。
「はあっ、はあっ。なあ、御猫さま! こんなもの、大勢がいる場所で出したらだめだよ!」
「なんで?」
「なんでもクソも……話してもわからないか。なあ、にゃあさま。これ。どこで見つけたの?」
「えっとね。さちこのおへや」
「さちこって……要は中宮じゃねえかよっ!」
膝に顔をうずめてしまったひろあきの冠を俺がつんつんしていると。俺らの前に、ふと、ひとが立つ。緌付きの冠に、闕腋袍。幼いといえるほど若い、近衛の武官。
「あなたがた、ここでなにをなさっておいでで……あれ? その金目は。まさか、にゃあさま!?」
「うんっ、まさたか!」
俺が元気よく返事すると。俺のすぐ隣で膝を抱えていた陰陽師は「こんなのよぉ、もはや収拾が付かねえよぉ」と涙声で嘆き出した。




