第7話 素人呪詛
「絶望的な代物? それよりも。なぜ、姉に呪いをかけた者が誰なのか、分からないのだ?」
緋色の闕腋袍を着た少年が少し激しい口調で問いかけると。陰陽師は鼻の頭にシワを寄せて笑った。
「いま、坊っちゃんは『姉に呪いをかけた』とおっしゃいましたがね? ほんとうの事をいえば『誰が呪われているのか』すら分からないのですよ」
「どういうことだ? 啓明。説明してくれるか?」
まさたかが座り直してそう言うので。俺も「にゃん」と同意した。誰が呪われているのか分かんない、って? みんな、あの人形を見たとたんに言ってたじゃないか。主上の昔からの交尾相手のさちこのことを新しく来たニョーゴって化け物女が呪ってるんだ、って。
なのに、この占いのお兄さんときたら、もったいぶって笑ってばかり。なんでも良いから、とっとと言えばいいのに。
俺は後ろ足だけで立ち上がると、ひろあきの顔をざりざりと舐めてやることにした。主上は俺がこうしてやると仕事をする気になるそうだから。ひろあきも何か白状する気になるかもしれない。
「うわっ。おいっ、御猫! 分かったから。話すから、もうっ。しょうがねえなぁ……つまりですね。おい、猫さま。それに藤少将。この人形を良おくご覧になってください。何が書かれていますか?」
なにって……。
この人形は白い紙ぺら。誰か分かんないけど、たぶん女の気持ちがこもっている。「かなしい、くやしい、だいすき、にくたらしい」そんな気持ち。
で、上の丸いところは頭なのかな? 目と鼻と口みたいに見える線が墨書きしてあって。手足の生えた逆三角形の胴体の真ん中には、字みたいなのが書いてるけどね? 俺、猫だから。読めないよ。
「にゃっ」と鳴きながら前足で自分の顔を指し示し、それからお腹を指しながら「にゃん?」と首をひねってみせると。まさたかも一緒に頷いてくれた。
「顔が書いてあるけど。こんな引目鉤鼻じゃ、誰に似てるかだなんて分かりやしないな。胴体にあるくずし字は……なにこれ? 『呪』? こっちは……『怨』? これ、わざと下手くそに書いたのかな。それとも、うろ覚えの漢字をテキトーに書いたわけ?」
十四歳の少年の困惑げな声を聞いて。もっさりとした陰陽師は重々しく頷いた。
「そう。この呪符は漢字もロクに知らんヤツが作ったものだよ。他にも欠けてる情報がありませんか?」
「他にも、って……」
まさたかが黙りこくってしまったので、俺が「にゃあ」と鳴いて励ましてやると。少年がハッとしたみたいに口を開いた。
「にゃあ、って……あ、まさか! 名前!?」
「ああ。それもある」
陰陽師は頷くと、俺の耳無し頭をナデナデしながら言葉を続けた。
「呪詛ってね。相手に届いてナンボだから。普通は人形に相手の名前を書くなり、相手の髪やら爪の切り屑やらを手に入れて藁人形なんかに仕込んだりしてね。呪いの宛先をはっきりさせとくものなんですよ。ところが。この人形にはそれが無い。よって、誰が呪われているんだか、俺らみたいな陰陽師にだって分からない。困ったもんです」
髪の毛? 爪の切り屑? キモチワルイ単語を聞くたびに俺の白い毛は逆立ったけれど、まさたかも同じ気持ちだったみたいで。眉をぎゅっと寄せると、年上の陰陽師に食って掛かった。
「だ、だけどっ。あなたなら、この人形が発する念を辿れば……」
「そう。念、発しちゃってるんだよねえ。だから、大問題なんだよ」
はあああーっと大げさにため息をつくひろあきに。少年が鋭く問いかける。
「どういうことだ?」
「んー、この人形ね? ぶっちゃけ、デキは子どもの工作以下なわけですよ。だってそうでしょう? テキトーに白い紙ちょきちょきして、お顔描いて。心臓のところに釘とか打つでもなく、なんだか怖そうな漢字をデタラメに書いてみただけで、呪いの宛先も何もナシ! なのに、ちゃんと邪念を発散してるんだからね。ぶるぶるぶる。女ってヤツはつくづく恐ろしいよ」
ひろあきがわざとらしく震えてみせると。まさたか少将が咎めるみたいに切り返した。
「女? どうして女だと断定できる?」
「だって弘徽殿で見つけたんでしょ? だったら犯人は女だよ。女房のところに夜這いをかけてくるような殿上人が犯人だとしたら『呪』や『怨』なんて漢字は書けるはず。だからね、女です。しかも俺ら陰陽師に頼むツテも無いようなヤツ! こんなヤバイもの、俺らが身内に作らせとくはずがないでしょ? 下手したら呪詛が返ってきちまうよぉ」
ひろあきが超早口でそう言うと。まさたかはゆっくりと頷いた。
「さすがだな、安倍啓明。よく理解できたよ」
「まあね? 呪いの宛先があなたさまのお姉さまだと考えておられること自体は、状況証拠的に見て妥当だと俺だって思っていますよ。で? どうなさりたいんです? もしも呪詛返しをご希望でしたら、事前に左大臣さまから正式にお話をいただきたいんですが?」
ひろあきが声をひそめると、まさたかはさらに小声で答えた。
「そうか……そしたら犯人が分かるか」
「ええ。少なくとも左大臣家としての威はお示しできましょう」
陰陽師の低い声。だが、まさたかは静かに首を横に振った。
「有難い申し出。だけど、もう少し調べてからにさせてくれないか。藪から何が出てくるか分からないから」
「それがようございます」
いつもなら主上の前でもへらへらしている男なのに、こんなまともな喋り方もできるんだな。
「ふみゃあ」と俺があくびをすると。まさたかが俺の背中を優しく撫でてくれた。
「怖い話ばかりして、ごめんね? にゃあ。もうそろそろ僕、行かなくちゃ。ねえ、にゃあ。宮中で見聞きしたこと。次に僕と会ったときに、教えてくれる?」
「にゃおん」
俺が鳴くと。まさたかはニコッと微笑んで立ち上がった。
「ありがとう、にゃあ! 僕はね、普段は左近衛府にいるの。『とうのしょうしょう、いますか』といえばわかるから。訪ねて来てね!」
まさたかは子どもらしい表情に戻ると、俺に手をぶんぶん振りながら行ってしまった。
「あの子の本当の顔はどっちかな? やれやれ、可哀想に!」
近衛の少将の姿が見えなくなってから。ひろあきはそう独りごちると、俺のことを抱っこしたまま、ゆっくりと立ち上がった。
「御猫さまよぉ。あんたの水干を志摩さんに預けがてら。清涼殿まで送ってやんよ」
「にゃっ」
「いいけどよ。俺の袍に爪なんか立てんじゃねーぞ?」
俺、猫に戻って縮んじゃったから。自分の足で歩くとなると、主上の住まいまではちょっと遠いからね。もっさりとした青年陰陽師のふところの中で丸まったまま、さっきの強そうなおじさんが番をしている門をくぐり、清涼殿まで来ると。縮れ毛の女房といつもの女の童が飛んで出てきた。
「おや、啓明さま? 主上なら弘徽殿に行ったっきり……ちょっとぉ! それ、御猫さまのお召し物じゃないのぉ?」
「人間姿で陰陽寮に遊びに来ちゃったうえ、途中で猫に戻っちまったんだよ。なあ、最初っから水干着た姿に化けるよう、躾してくんねえ?」
「んもうっ、だからいつも言ってるのにぃ……あ、にゃあさま、こらっ」
冗談じゃないよ。こんなところにいたら、志摩とあやめふたりからお説教されちゃうよ。いますぐ逃げなくっちゃ!
逃げるたって、どこに行こう? 藤壺はだめだ。あやめが来る。
渡殿をピューッと走りながら。俺は考える。
主上がいる弘徽殿。あそこもだめだ。もうすぐ夜だから、女房たちにつまみだされちゃう。となるとどこだろ? 俺が今まで行ったことがないところ……。
そうにゃ!
さっき、まさたかも言ってた。宮中で見聞きしたことを教えて欲しい、って。だったら!
(ニョーゴっていう化け物女! 見に行ってみるにゃ!)
そう決意すると。俺はしっぽをピンと立てて、麗景殿ってところがありそうな方へと歩いていった。




