第3話 人間になっちゃった
「主上っ、ご無礼をばっ」
バッと御帳を開けて入ってきた志摩と女の童のあやめは、俺の顔を見るなり「きゃあっ」と悲鳴を上げた。
「お、主上っ。どこから連れ込んだのです? その男の子をっ」
「誤解だ、私には稚児趣味は無い! これは、にゃあだっ!」
主上がそうわめき返すと。女房の志摩はぱちくりと鋭い目を見開いた。
「にゃあ? にゃあですって?」
「そうだ。見ろよ、志摩。この金色の目」
「金色?」
前から思っていたけれど、縮れ毛のお姉さんは目が少し悪いんじゃないのかな。おそらく、四角い字の読み過ぎのせいだ。
志摩は俺の顔へと鼻を近づけてじーっと俺の目を覗き込むと、傍らにいた女の童に向かって命令をした。
「あやめ。灯台からこの紙燭に火を移してきてちょうだい」
女の童が言われたとおりにすると。志摩は紙燭の明かりを俺の顔に近づけたり離したりしながら、俺の目をじろじろーっとみすえた。
「うん、光を近づけるたびに瞳孔がキュッと細くなるわ。これは間違いなく猫の目ね……主上。お疑いして申し訳ございません。確かにこの子はにゃあですわ」
「そうだろう!?」
勝ち誇ったように胸を張る主上に向かって。縮れ毛のお姉さんはため息を吐くと、震え上がっている女の童の手に紙燭を握らせた。
「あやめ! 今すぐに陰陽寮に行って、安倍啓明のクソバカを呼んでいらっしゃい!」
「で、ですが……いらっしゃるでしょうか?」
「あいつは宿直よ。こんなこともあろうかと確認しておいたの。つべこべ言わずにとっととお行きっ!」
少女が泡を食ったみたいに走り去ると。志摩は引きつり笑いを浮かべながら主上に向かって言った。
「愛らしき御猫も人型を取るならば、裸では見苦しゅうございます。恐れながら、主上が童でいらした頃のお召し物をお持ちしてもよろしいですか?」
「あ、ああ。取っておいてくれたんだ……」
主上が呆然とそう言うと。縮れ毛の女房がふふっと笑む。
「幼き日々よりお仕えしてきた、他ならぬ梅千代さまの御衣ですので」
それだけ言うと。志摩は鼻歌でも歌いそうな軽やかな足取りで御帳の向こうへと下がっていった。
「うめちよ? だれ?」
「ああ、私の幼名だよ、にゃあ。私の母は『梅壺の女御』だったからね」
主上はそう言うと、頭からかぶらされた衾からはみ出た、俺の長い人間の髪の毛を手に一束だけ取った。
「なんて手触りなんだろう。ひんやりとして……射干玉の黒髪とは、このことだね」
「にゃあのけ、しろいのにね」
「ああ。だからかな。肌は真っ白だよ、にゃあ。そうだ、あなたの住まいは……」
主上がそう言いかけたとき。縮れ毛の女房が再び御帳の中へと入ってきて、どやっと胸を張った。
「お待たせいたしました。さあ、にゃあさま、こっちにいらっしゃい」
そう言うなり。志摩はあっという間に俺に着物を着せてしまうと、俺の長い髪をクシでとかし始めた。
「本当、妬ましいほどまっすぐな黒髪だわ! ほんの少し猫っ毛だけど」
「やああ、かみ、ひっぱらないで!」
「じっとなさい!」
志摩は俺の髪を元結でひとつ結びにしてくれた。白い水干に紫の袴を履いた俺のことを、主上がほめてくれる。
「おお、なんと愛らしい稚児姿なのだ!」
「おかみ、おひざ、のせて」
俺がそう言って前足……じゃなかった、手を主上の胸に掛けると。十八歳の飼い主はどぎまぎしたみたいに尋ね返した。
「え?」
「だめなの、おかみ? おれ、にんげんになったから?」
俺が主上の目をじっと見つめていると。力強い白い手がひょいっと俺の腰を持ち上げた。
「にゃあ。不安なのか」
「ううん? おかみがいるから」
俺がそう言うと。主上は「そうか」とだけ呟いて、俺の顔に頬ずりしてくれた。
志摩がため息をつく。
「いくら美人でもオス猫なのよねえ。頭がクラクラしてきたわ……おや?」
女の童に連れられてパタパタと夜御殿へと入ってきた人物を見たとたん、志摩の眉が吊り上がった。
「安倍啓明さま! どういうことですの!?」
「え? え? 帝に稚児趣味が!? ああっ! 御猫かよっ!?」
もっさりとした青年陰陽師のひろあきが俺を指さして叫ぶなり、志摩が怒鳴り返した。
「あんたが持ってきた熨斗鮑を食べたとたん、耳が落ちたのよっ」
「熨斗鮑? やっべ! 平べったいからよぁ。呪符と間違えて念掛けちまったかも」
ひろあきはぶつぶつ呟いたが、主上がじっと見ているので弁解がましく頭をかいた。
「その……念と申しましても御長寿と子宝祈願ですから、決して害のあるものでは……どれ、御猫や。おじさんに顔をよくお見せ……やっべ、寿命延びすぎて、化け猫になっちまいやがったよ……ですが。熨斗鮑を食べたあと、何かありましたか? 私の念だけでヒトに化けられるまでになるとは思えないのですが」
「やっぱりあんたのせいじゃないのっ」と志摩に肩を揺さぶられながらも、ひろあきがなんとかそう申し上げると。主上は俺の髪を撫でながら、苦笑交じりに答えた。
「ああ。幸道が神薬を用い、弘照どのが加持祈祷を行った」
「和気の神薬に、弘照僧正の祈祷ですって!? ああもう……百年の修行を重ねたも同然だよぉ……」
ひろあきは肉厚な手で顔を覆った後、ため息交じりにこう言った。
「主上。にゃあさまは神通力を得られました。人型を取っておられるのは、そのせいです」
「ねえ、ひろあき。おれ、これからどうなるの?」
俺が思わず主上の首に抱きつきながら問いかけると。ひろあきは首を横に振った。
「それは主上の思し召し次第だよ」
「おかみ……」
俺だけじゃなくて、志摩までもがはっと息を呑むと。主上はくすくすと声をあげて笑い始めた。
「人の姿を取るのなら寝場所が必要かな? 私は毎夜はここにはいられぬから」
「え?」
「主上?」
俺と縮れ毛の女房が一斉に訊き返すと。主上は俺のことをぎゅっと抱きしめながら言った。
「決めた。にゃあに藤壺を与えよう。志摩、明日の朝には手配しといて」
「ちょ……主上、ご正気ですの!? 藤壺とは、妃嬪の中でももっとも時めき給う御方がお住まいになる局……」
「そう! この清涼殿から最も近い局だ。私がこの宮中で最も寵愛しているにゃあにぴったりだろう?」
主上が爽やかにそう言い放つと。縮れ毛の女房は「んもう、猫バカ……」と舌打ちをしてから俺に向かって尋ねてきた。
「わかりました。にゃあさま。御帳台には、ふかふかの錦の茵と爪とぎの他、何をご用意すればよろしいでしょうか?」
「んとね。かつお!」
俺が元気に答えると。「それはごはんのときだけですわ!」と志摩がフンと鼻を鳴らす。
陰陽師に女房に女の童。三人が下がっていってしまうと。主上は俺のことを膝の上からおろして、衾をめくりあげながら言った。
「寝ようか。にゃあ」
「うん、おかみ」
いつもなら主上の肩にあごと右前足だけ乗っけて眠るんだけど、人間になったら、そんなことできないから。主上の意外とたくましい腕に身体を擦り付けてみる。
「ヒトの姿になっても体温は高いままなのだな」
「むにゃ……おかみのおふとん、あったかい……おかみ、だいすき……」
「そうか」
一瞬だけ。ぐいっと主上が俺のことを抱き寄せたけれど。
「やれやれ。男じゃないか。それに猫だよ」なんて苦笑が聞こえてきて。すぐにまた。腕が離れていってしまう。
「おかみー、だっこぉ」
「仕方がないな」
主上の腕の力は強くて。いつもより少し荒い息。だけど、化け猫になっちゃった戸惑いを暖かな腕が溶かしてくれて。すぐに俺はとろとろと眠りにつく。
やがて。薄暗い塗籠の外から鳥たちのさえずりが聞こえてきて。
(おかみー、あさだよっ)
そんなふうに言ったつもりだったのに。俺の口から出たのは「にゃおん」なんて鳴き声だった。パチリと目を開くと、眼の前には白い毛がもふもふとした肉球付きの前足。
「おやおや。水干に埋もれて、耳無し頭だけ出して。これはまた、愛らしいことだ」
主上はくすくすと笑うと、「志摩! にゃあが猫に戻った。着物を畳んでやってくれないか」と女房たちが控える局に向かって呼ばわった。
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次回はいよいよ、中宮・祥子さま登場!
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