第1部 終焉戦争の末路・後編
花びらが、まだ砂丘を舞っていた。
三国の魔導師たちが放った大規模魔法は、エリアーナのフローリスによって完全に受け止められた。巨大な魔力の奔流が消えたあとに残ったのは、焼け焦げた大地でも、倒れた人々でもない。
白。淡い桃色。薄い黄色。
小さな花々が、風に揺れている。
誰も死んでいない。
それだけで、戦場の空気は大きく変わっていた。
侵攻三国側の兵士たちはすでに武器を下ろし始めている。魔導人形はノクスとヴァルクによってほぼすべて破壊され、飛行型魔導兵器も起動できないまま拘束されていた。
傭兵たちは勝ち目がないと判断し、戦線を離れている。
魔導師たちも、もう二度目の術式を組もうとはしなかった。
自分たちが束になって放った魔法を、十五歳の少女一人に正面から止められた。
しかも、その少女は――こちらへ一度も攻撃魔法を向けていない。
その事実だけで、もう十分だった。
「……戦争にならねえな」
侵攻国側の兵士が、ぽつりと呟いた。
人間は守られる。
兵器だけが止められる。
戦おうとしても、戦争そのものを成立させてもらえない。
エリアーナとノクスが望んだ通り、人間の命を誰も奪わないまま、戦場は終わり始めていた。
✦ ───────────── ✦
ヴァルクは大剣を肩から下ろした。
黒炎も、もうほとんど消えている。
隣ではノクスも二刀を構えたまま、前方を見ていた。
侵攻三国連合陣営には、まだ人が残っている。
――三人。
侵攻三国、それぞれを率いていた大将たちだ。
兵士たちはもう下がった。
魔導師も動かない。
傭兵もいない。
それでも三人だけは、まだその場に立っていた。
ヴァルクが距離を保ちながらも、一歩前へ出る。
「我が名は、ルミナリア王立騎士団長――ヴァルク・ルシアン!」
砂丘に大きな声が響く。
長年に渡り、何度も戦場地で通した声だ。
「貴殿らに問う!」
三人の大将が、ヴァルクを見る。
「まだ剣を取るか?」
返事は――ない。
ヴァルクは大剣を構える。
「まだ剣を取ると言うなら止めぬ! 我が剣と――」
横に立つノクスをチラリと見る。
「息子の双剣が相手になろう!」
「勝手に俺まで入れんなよ」
「嫌なら帰れ!」
「この流れで帰れるわけねえだろ」
こんな時まで、ヴァルクとノクスは相変わらずな親子だった。
エリアーナは少しだけ笑いそうになる。
けれど、すぐに笑えなくなった。
三人の大将が互いに顔を見合わせた。
そして同時に、小さく頷いた。
その瞬間、六大精霊が一斉にざわめいた!
「……え?」
エリアーナの背筋を、冷たいものが走る。
魔力? いや、違う。
もっと――嫌なもの。
「ノクス!!」
紫焔がすぐに繋がる。
(どうした!?)
(爆発する!)
(どこが!?)
エリアーナは三人の大将を見る。
外からではない。足元でもない。
もっと近い。身体――そのもの?!
「……っ」
エリアーナは見つけた。三人の衣服の下。
腹部にある魔導式。
複雑に組み込まれた――自爆装置。
「……やだ」
三人とも、最初から生きて帰るつもりがなかった。
負ければ自決する。捕虜にはならない。和平交渉にも参加しない。
国へ、何も持ち帰らない。
自分たちの命ごと戦争を終わらせる。
「やだ……!」
エリアーナの手が震える。
少し前まで自分も同じだった。自分が死ねば、全部終わる。そう思っていた。
でも、違った。
ノクスが、違うと言ってくれた。
生きたいなら生きろと言ってくれた。
だったら、目の前の人たちにも同じことを言わなければ!
「もうやめて――!!」
エリアーナが叫ぶ。純白の光が一瞬にして走った。
「――バインド!」
三人の大将を同時に拘束した。腕、脚、胴体。自爆装置へ伸ばしかけていた手まで、完全に止める。
「なっ……!」
一人が声を上げる。
「精霊さん!!」
六つの光が三人へ殺到する。
精霊たちは自爆装置の周りを漂い、術式そのものを解除した。
エリアーナ自身には分からない。人命を刻んだ術式は複雑すぎる。
でも、精霊たちなら。魔力の流れそのものを読める。
「お願い……」
エリアーナは両手杖を強く握る。
「お願いだから……」
精霊たちが、一つずつ術式を解いていく。
誤作動防止。解除防止。強制起爆。
それから――自決用。
何重にも組まれた魔導式だ。
「もうやめてよ……」
エリアーナの涙が頬を落ちた。
「自爆なんかしちゃダメだよ……」
三人の大将は動けない。
ただ、エリアーナを見る。
つい先ほどまで、三国の大規模魔法を一人で止めた金色の少女だ。
戦場の女神。
精霊使い。
圧倒的な力を持つ敵国の姫君。
その少女が、今、自分たちのために泣いている。
「生きてたら……」
エリアーナの声は震えていた。
「生きてたら……なんとかなるよ……」
十五歳。
自分だって、その言葉をようやく信じ始めたばかり。
昨日まで、十五歳のうちに死ぬことが自分の役目だと思っていた。
だけど今日、改めて生きると決めた。
だから、言える。
「私も……」
涙が止まらない。
「私も、死にたくないって思ったから……」
ノクスが、静かに目を伏せる。
ヴァルクも、何も言わない。口を挟まない。
「怖くても……これからどうなるか分からなくても……」
エリアーナは三人を見る。
敵だった。間違いなく。
でも、彼らも人間だ。
「生きてたら……きっと、なんとかできるから……」
エリアーナの声が少し掠れる。
「だから……死んじゃダメだよ……」
戦場に十五歳の少女の泣き声が響いた――。
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風が止まったように感じた。
誰も話さない。
ルミナリア側も。
侵攻国側も。
ただ、少女を見る。
その時、六大精霊たちの動きが少しだけ変わった。
自爆装置の解除を続けながら。
一つ。また。一つ。
小さな音が生まれる。
旋律が砂丘を駆け抜けていく。
誰かが奏でているわけではない。
精霊たちが歌うように、砂丘へ静かな音を広げていく。
鎮魂歌。
けれど今日は、死者のためではない。
これ以上、死ぬ者を出さないための『優しい歌』
エリアーナは、泣きながらその音を聞いていた。
やがて、一つの自爆装置の光が消える。
二つ。そして、三つ。
「……解除できた」
精霊たちが、ふわりとエリアーナの周囲へ戻ってくる。
「よかった……」
エリアーナの力が抜けそうになり、ノクスがすぐに背中へ手を添えた。
「大丈夫か?」
「うん……」
その時。
三人の大将のうち、一人が口を開いた。
まだ若い。三十歳前後だろうか。他の二人の大将よりもまだまだ年下のように見える。
「……姫殿下」
エリアーナが、涙の残る顔を上げる。
「はい……」
「一つ、訂正させていただきたい」
「……?」
男は、拘束されたまま背筋を伸ばした。
「私は、大将ではありません」
ヴァルクの表情が、一瞬で変わる。
ノクスも男を見る。
「では、何者だ」
青年は、静かに答えた。
「……侵攻三国連合を束ねていた国王です」
誰もすぐには反応できなかった。
「……おうさま?」
エリアーナが、一番最初に口を開いた。
「はい」
青年王は、ほんの少しだけ苦笑した。
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侵攻国の国王。本人。
しかも、自爆装置を抱え本陣で待機している。
戦場最前線では、通常はあり得ない人員配置だ。
ヴァルクはしばらく男を見つめる。
それから、ゆっくり大剣を鞘へ戻した。
もう、戦う意思がない。
もう、分かる。
青年王は、ヴァルクではなくエリアーナを見た。
「ルミナリア王国国王陛下へ、正式に面談を申し込みたい」
青年王の声は落ち着いていた。
先ほどまで死ぬつもりだった人間の声とは、少し違って聞こえた。
「我が国がこの戦争へ参加した経緯も、今日ここへ至った事情も、すべて私からお話しします」
青年王は、まっすぐに三人を見た。
「その間、捕虜として扱われても構いません」
ヴァルクが静かに頷く。
「承った」
『捕虜になる』
その言葉の重みを、ヴァルクは知っている。
戦場では、それ以上の会話はいらない。
戦場では、十分だった。
✦ ───────────── ✦
けれど、エリアーナにはそれだけでは足りなかった。
「……あの」
エリアーナの言葉に、青年王がもう一度少女を見る。
「はい」
「死なない?」
「……」
一瞬だけ、青年王の表情が崩れた。
捕虜、和平、国家、王。
そんなことではない。
エリアーナが確認したかったのは、ただ一つ。
「もう、自爆しない?」
青年王は目を閉じた。
そして、静かに息を吐き小さく笑った。
「はい」
「ほんと?」
「国王として誓います」
エリアーナは、しばらくその顔を見ていた。
嘘ではない。そう思えた。
「……よかったぁ……」
今度こそ、身体から力が抜けた。
「おっと」
ノクスがすぐに抱き止める。
「ノクスぅ……」
「はいはい」
「疲れた……」
「そうだな。知ってる」
ノクスは小さく笑った。
「帰ろう。ルシアン家に」
「……うん」
✦ ───────────── ✦
その日。
三国連隊。魔導人形。飛行型魔導兵器。大規模攻撃魔法。
そして、三人の大将が抱えていた――自爆装置。
すべてが止まった。
敵味方を合わせても、確認された死者はゼロ。
後の戦争史で『奇跡』と呼ばれる戦いだった。
けれど、十五歳のエリアーナが最後に止めたものは兵器ではない。
死ぬことで、戦争を終わらせようとした人の心だった。
『生きてたら、なんとかなるよ』
それは。
『戦場の女神』が、敵国の王へ与えた言葉ではない。
十五歳で死ぬはずだった、一人の少女。
同じように、死のうとした一人の青年へ差し出した、等身大の言葉だった。
そして、この日。
終焉戦争は、勝者と敗者を決めることで終わったのではない。
敵味方の双方が、生きて戦争を終わらせる。
そう決めたことで、ようやく数年間に渡る資源を巡る戦いに終わりを迎えた。
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エリアーナ・ルミナリア。
十五歳。
精霊使いの本懐を使わなかった。自分の命を差し出さなかった。
それでも、戦争は終わった。
だから――少女は生きる。明日を怖がらずに。
そしてその隣には、当然のように一人の専属護衛が歩いている。
「ノクス」
「ん?」
「帰ったらケーキとかあるかな」
「この前誕生日の時に食っただろ」
「今日頑張ったもん! 甘いもの食べたい」
「……母さんが、何か作ってるかもな」
「やった!」
さっきまで泣いていた少女が、もう笑っている。
ノクスもつられて笑った。
十五歳で死ぬはずだった王女は、戦場で生き抜いた。
運命へ全力で抗って。
そしてこれから、自分の人生を歩み始めるために。




