第9話:小惑星帯のハッキング(迫る追撃)
木星軌道近傍、小惑星帯。
無数の岩石と氷の塊が、不規則な公転軌道を描いて荒れ狂う混沌の海。
その巨大な小惑星の一つに、魔改造されたアーク・クラスの機体が寄り添うように固定されていた。
「ナナ様、アンカーの固定完了。現在、小惑星の深部から高密度レアメタル『オルタナイト』の抽出を開始しました。……でも、ここは浮遊デブリの影になっていて、周囲の索敵レーダーがほとんど機能していません」
サブシートのアミィが、絶え間なく流れるノイズ混じりの探査データと格闘しながら声を潜める。
「問題ないわ、アミィ。岩石の自転周期と遮蔽率の変動なら、すでに私の脳内で完全にアジャスト済みよ。ノイズの隙間を縫うように、資源回収のハッキングPATHを直列で通しなさい」
コンソールの前に座るナナは、まだ少し顔に赤みを残しつつも、完全に冷徹な監査官の瞳を取り戻していた。
先ほど個室でボトルのキャップが開けられずにレインストに泣きついた少女と同一人物とは誰も思うまい。彼女の手元では、地球で回収した『地球元素カプセル』の制御プログラムが微かに光を放ち、小惑星の未開の資源を次々とアーク・クラスの規格へと最適化していく。
「へっ、さすがはお嬢様だ。吸い上げたレアメタルが、リアルタイムで船底の予備推進ノズルへと肉付けされていくぜ」
コンソールの下部でバイパスの物理配線を無理やり繋ぎ変えながら、レインストがニヤリと笑う。
画面には『船体アップデート:予備推進推力+22%』の文字。着実に、このブリキ缶は化け物へと進化していた。
だが。
「——レインスト、ナナ様! 長距離重力波センサーに異常反応! 浮遊岩石の遮蔽をブチ抜いて、急接近してくる高出力の熱源があります!」
アミィの悲鳴のような警告がブリッジに響き渡った。
「数は……一! この識別信号(ID)、ルナ・セクターの正規軍じゃない。地球棄却派(居残り組)の強襲駆逐艦よ! 私たちの『地球元素カプセル』を狙って追ってきたんだわ!」
瞬間、ブリッジの照明が自動的に戦闘モードの警告赤へと切り替わった。
「チッ、もう嗅ぎつけやがったか。居残り組の過激派どもめ、心中するなら地球の地表で勝手にやりやがれってんだ」
レインストがスパナを放り投げ、操縦桿へと飛びつく。
だが、まだ小惑星からの資源ハッキングは完了していない。アンカーを強引に引き剥がせば、アーク・クラスの未完成のノズルが物理的な負荷で消し飛ぶ。
「アンカー解除まであと百二十秒! でも、敵のロックオン・レーザーの到達まであと三十秒しかないわ!間に合わない……っ!」
アミィの指が焦りで止まりかける。
敵の駆逐艦は、この小惑星ごとアーク・クラスを塵にするつもりだ。
「……動揺するな、アミィ。地上のシステムをハックしたあなたなら、この程度のレーダー反射、欺瞞に書き換えられるはずよ」
冷徹な声が、ブリッジのパニックを切り裂いた。
ナナが、レインストの座る操縦席のすぐ後ろに立ち、その華奢な両手でレインストの肩を強く掴んでいた。
その手のひらは、微かに震えている。恐怖からではない。レインストの肉体の熱を、その存在を、自分の錨として強く依存し、求めているがゆえの震えだ。
「レインスト、私の脳内絶対座標を、あなたの操縦桿にダイレクトに流し込むわ。……この混沌とした岩石の海のすべてを、私たちの盾にするのよ!」
「上等だ、お嬢様! お前の弾き出す未来の弾道、俺のこの腕で全部現実に変えてやる!」
ナナの瞳が、限界を超えた演算のために怪しく明滅し始める。
彼女の超天才的な頭脳が、周囲に漂う数万の岩石の衝突確率と、敵のレーザーの照射軸を完全にハッキングし、アジャストしていく。
「アミィ、左舷の小惑星デブリへ向けてダミーのPATHを偽装送信! レインスト、スラスターをコンマ二秒だけ逆噴射——そこにある岩石の影へ、滑り込みなさい!」
「おおお! 行くぜえええ!」
ナナの叫びと同時に、レインストの無骨な手が操縦桿をねじ切らんばかりに引き絞った。
アミィの放った偽装信号に惑わされた敵の熱線レーザーが、アーク・クラスの僅か数メートル上の浮遊岩石を蒸発させる。
凄まじい熱波と衝撃波が船体を襲うが、魔改造された超空間装甲はその衝撃を完璧に吸収してみせた。
「ハッキング成功……! 敵の照準、完全に外れました! アンカーパージまで、あと十秒!」
アミィが二人の背中を見つめながら、確信に満ちた声を出す。
敵の猛攻の渦中でさえ、二人のコンマ数秒のシンクロ領域は微塵もブレない。もはや、このボロ船の中で、二人の絶対的な共犯関係を脅かすものは何もなかった。
「よし、資源回収完了! アンカー解放!」
ガチン、と小惑星から解き放たれたアーク・クラスが、魔改造された推進ノズルから蒼い火花を散らして加速する。
「さあお嬢様、次はこっちの番だ。あの追撃者どもに、俺たちの魔改造の成果を叩き込んでやろうじゃねえか!」
漆黒の宇宙空間で、ブリキ缶の反撃が始まろうとしていた。(第10話に続く)




