第32話:偽りの終わり、本命の扉
【探査船アーク・クラス 航海日誌ログ】
■ 船内主客観時間:デコイ事象 収束シークエンス
■ 現在座標:プロキシマ・ケンタウリ星系外縁・帰還航路
■ 機関ステータス:ルミナリア・アーク・ドライブ[全出力リミッター解除]
■ 次期跳躍ターゲット:TRAPPIST-1e(公称距離:約四十光年)
「――おいナナ、機関ブロックの固定ラッチ、最終トルク締め完了したぞ! 魔改造ヒートシンクの排熱ライン、完全に船体フレームと馴染んだぜ」機関室から戻ってきたレインストが、油じみた作業グローブを脱ぎ捨てて息を吐いた。船内空調はすっかり適温を取り戻し、先ほどの極冷騒ぎが嘘のように穏やかな微風をブリッジに送っている。メインシートには、レインストのぶかぶかな防寒ジャンパーを羽織ったまま、すっかり機嫌を直したナナが足を組んで座っていた。「当然よ。私の組んだ数理パッチに狂いがあるはずないじゃない。……まあ、あんたの泥臭い手技も、コンマ数ミリの誤差もなく設計図をトレースできていたことは認めてあげるけれど」
「へいへい、そいつはどうも」レインストがパイロットシートへ腰を下ろすと、サブシートのアミィが冷えた『ソルティ・ルミナス(強炭酸ライム)』の缶を二人に差し出した。「はい、お二人とも水分補給! 外縁デコイ宙域の掃討・サルベージ・機関最適化の全ログ、バックアップ完了したよ」
「ありがとう、アミィ」ナナが缶を受け取り、プシュッと小気味よい開栓音を響かせる。一口喉を鳴らしたあと、彼女の細い指先がメインコンソールの上で優雅に払われた。パッ、とブリッジ中央の空間に巨大な三次元ホログラムが展開される。映し出されたのは、先ほどまで戯れていた「偽りの惑星シグナル」の残骸ではなく――暗紅色の恒星を周回する、厳格にしてリアルな惑星の物理データ群だった。「さて……お遊びの退屈しのぎは、これで本当におしまいよ」ナナの纏う空気が、ツンデレな少女のものから、世界のバグを上書きする絶対的知性(73K)のそれへと瞬時に切り替わる。「外縁部で拾った旧世代のガセネタをパージし、アーク・クラスの急制動限界と電子戦の実戦データはすべて採取し終えたわ。さらに、あの鉄くずから剥ぎ取った超伝導コイルのおかげで、ルミナリア・アーク・ドライブの時空歪曲許容値は過去最高を記録している」
「つまり……いよいよ『本命』へ跳べる準備が整った、ってことだな」レインストの引き締まった横顔に、コンソールの赤い光が反射する。「ええ。私たちの次の目的地――地球から約四十光年、赤色矮星TRAPPIST-1のハビタブルゾーンに位置する第四惑星、TRAPPIST-1eよ」ホログラム上に、自転と公転が同期(潮汐固定)された特異な惑星モデルが浮かび上がった。「見ての通り、プロキシマbのような過酷な地下ドーム生活から一歩進み、ここは地表に広大な海洋が存在する可能性が極めて高いわ。ただし――最新透過分光観測モデルによれば、大気には窒素のほかに微量のメタンが含まれている兆候があるのよ」
「メタン大気……? おいおい、それって引火性の気体じゃないか」
「その通りよ、レインスト。つまり現地へ到達した際、不用意に高熱のスラスターを噴射すれば、周囲の大気ごと船体が誘爆するリスクがあるわ。さらに軌道スキャンで海洋が『淡水』だと判明した場合、サピエンスの生存に必要な電解質をどう確保するかという、地質・生物学的なバグの上書きも待っている」ナナの瞳が、未知の物理的挑戦を前にして怜悧に輝く。「生半可なハードSFの知識じゃ、一歩踏み出した瞬間に詰む過酷な世界。……だからこそ、私が上書きする価値があるのよ」
「淡水海に、メタンの大気か……。上等だ、どんな星だろうが、足場を作って大地を踏みしめてやるさ」
「ふふっ、レインストもナナさんも頼もしいな! アミィの航海ログ、次章のタイトルはもう決めてあるよ!」アミィが胸を張り、記録端末のインデックスを更新する。「ルミナリア・アーク・ドライブ、全系統オンライン。アマテラス・リアクター、臨界励起開始!」
「航法アレイ、四十光年彼方のTRAPPIST-1e座標へ完全同期! いつでも行けるぜ、チーフ!」レインストがメインスロットルを握りしめ、力強く前を見据えた。ナナは防寒ジャンパーの襟元を正し、二人の共犯者へ向けて最高に不敵な笑みを浮かべる。「偽りの扉は閉じたわ。…… 私たちの本物の新天地へ跳ぶわよ、レインスト、アミィ!」
「「了解――跳躍シークエンス、スタート!!」」轟音とともに時空が歪み、アーク・クラスは四十光年の深淵へと光の矢となって消え去った。
(第33話に続く)




